原動力となる人
色々な原動力があると思う。
それは、維持する原動力だったり、
守る原動力だったり。
しかし、無鉄砲になれる原動力というのもあるかも知れない。
世の中には、人を突き動かす、
様々な原動力がある。
それが、モノだったり、環境だったり、
お金だったり…。
モノなどであれば、
それは手に入れば、
モチベーションを上げてくれるか、
さらには、愛おしく日々を過ごせるか、
期待はずれでなければ、
その関係値は持続できる。
まあ、僕の場合、
万年筆や、時計などは、数が増えれば、
同時に使う事はないわけで、
その内のひとつへの比重が、どうしても
軽くなるのが、パラドックスでもあるが…。
さて、原動力が『人』という場合、
それもあるだろう。
憧れだったり、
もしくはその存在自体が、
なんとも、説明つかない衝動を与えて
くれる何かであったり。
その時に、迎合するのか、
それとも、自然体であるかの違いも大きい。
迎合の場合は、それはいつか、破綻する。
自然体であるならば、そこには無理はなく、破綻はしない。
迎合ではなく、自然体でいること。
それが、この先を決める葛藤となる
側面でもある。
そして、必然と環境により影響を受けるのが人間だからこそ、
自分を俯瞰から見られるのかも、
そんな時を持つことも大切なんだと思う。
バイクで東京ゲートブリッジを渡る時、
東京を遠目に俯瞰から見る事が出来る。
そんな時に、自然体で思考し、
迎合か否かを俯瞰から覗く。
東京で起こるニュース、
それが、ちっぽけであり、
自分には関係のない事なんだと
思い知る。
原動力と遭遇し、それを見つける感覚。
鍛えるものではないが、
認識する素直さは持ち続けたいものだと思う。
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