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2022年8月

2022/08/21

子供の言う『すごい昔』

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宇宙から見たら、
その計り知れない規模からすると、
私の時間など、
ほんの一瞬の出来事。

しかし、その一瞬は、
深く、喜怒哀楽あり、
当人にとっては、大きなもの。

大人の僕からすると、
子供の言う
『すごい昔』…なんてさ、『この前』

だけど、すごい昔なんだと。

本人にとっては、
大変な事を経験してきた時間が、
それまでの全人生の中での、
パーセンテージは大きい。

すごい昔は、すごい昔として、
話を聞いて行くことが、
子供に対する真摯な姿勢だと思う。

1人1人、相手の立場に立って…。

ラジオでも、話し手として、
気をつけている部分だが、

一方で、聞き手であるリスナーが、
そうでない場合とある。

勝手に、全てを、自分の世界の価値観のみに置き換えて、全力で批判してこられる場合も。

いやいや、そう言うコト言ってるんじゃなくてさぁ〜…と言いたくなってしまう場合だってある。

争点が違っていたり、
はたまた、例え話に噛みつかれても、
それは、皮肉での言葉…だと言うコト、
わかってくれないかなぁ…などなど。

同じことを言ってるのに、皮肉に噛みつかれて、同じ意識と思いなのに、
なんで〜!!
となったり。

さ、言葉の『すごい昔』
に、全力で
『それは去年の事で1年も経ってないよ!』
は、それこそ、大人気ない。

5歳の子が言ってりゃ、
人生の5分の1の時間ほど前。

我々からすりゃ、10年前は、
十分に昔じゃないか。

相手の立場に立って、
言葉を理解すること、

それが出来てこそ、
オトナです。

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2022/08/17

腕時計を好きな理由

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私は、SEIKOとOrientの時計が好き。
兄弟会社でもあり、
もともと、セイコーに部品を供給していたオリエントが、自分のとこでも時計を
創るようににり、
今や、セイコーの中のオリエント…。

閑話休題。

時計には、

ハートがあります。

例えば、この文字盤に表記された
『23Jewels』
この文字。
23個の宝石。
それが、
この時計の内部には使われていて、
そして、裏側のスケルトンから覗く、
ピンクダイヤ。
そのうちの1つで、これが心臓。

この時計の心臓なのです。

この機構を反対側にセットして、
表の文字盤から、
この心臓にあたる宝石、
それを見えるように、
オープンにしたもの、
それが、時計の
『OpenHeart』

オープンハートは、
Tiffanyだけの専売特許ではないのです。

僕は、オープンハートの時計、
それは持っておらず、
裏側のスケルトンから覗く心臓の宝石。
それをチラ見するくらいですが、
満足です。

腕元にこの時計がある時に、
その心臓が、自分の動きに呼応して、
時計を動かし、時を刻んでくれている…
そんな、あくまで現実を想像し、
幸せに浸るのです。

自動巻きの時計ならではの、
満足感。

そりゃ、クォーツ時計には、
正確さでは敵わないかもしれませんが、
日々、時間…という概念を意識すること、
それをさせてくれ、
時計を時刻に合わせる…という作業を
楽しませてくれます。

そのための、
23Jewels…という表記。
このとけのプライドを感じます。

#SEIKO
#szsb021

そして、僕が腕時計、
SEIKOに思い入れがある
理由のひとつに、
1999年、
ミュージカル
『リトルナイトミュージック』
このヘンリック役をやった時、
父親役でもあった
細川俊之さんに
『これから歳を重ねていくのであるから、30代までは、
年上の人に時計をプレゼントしてもらいなさい。
そして、いつか一人前になったら、プレゼントしてあげなさい。それが、時を歩むことを実感する事ですから…』と。

そして、僕の誕生日に、
一緒に大阪の百貨店に買いに行った。
SEIKO LUKIAのブルー文字盤の時計だった。
だから、自分が40代になり、
タッグを組んだ信頼する若手ディレクターにも、僕は出会って彼の最初の誕生日には、SEIKOの時計をプレゼントする事から始まった。

これが、歩むことなんだろうなと。
今や、自分で大切な時計達を楽しめるようになっている。

そろこそが、嬉しい瞬間でもある。 Image2_20220817030501Image3_20220817030501Image4_20220817030501

 

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2022/08/16

今日も動き続けてくれ、ありがとう。

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2022/08/10

『最高』の安売りはしない

日々の言葉の中で、
『最高』を連発する人もいる。

けれど、最高とは、
もっとも、素晴らしい…こと、
もっとも高みを極めている何かである。

だから、そう簡単には僕には、使えない言葉であり、使わない言葉。
番組でも、さような比喩、表現は、ほとんどしない。

最高が、最高ではなく、ベターに近いニュアンスになってしまうのが嫌なのだ。

岡田眞善の言う『最高』は、この程度か…になるか、岡田眞善が言うならば、
それは凄い…これ以上はない!となるか。

僕は、決して『最高』と言う言葉の安売りはしない。

最高…と言えば、それは相手は喜ぶだろう。けれども、正直でありたい。
他の人に伝える事も
仕事としての立場である以上、
相手だけではなく、
その言葉を知った人にもれなく、
『最高』であると認められ、
初めて、言葉を仕事にしている人間の
言葉の重みを認識して頂けると…。
そう思うからだ。

現時点での、『最高』には使うこともあるかもしれないが、それでも、私には、
抵抗があり、
死ぬ時に、あの僕が使った
『最高』は、唯一だったなと、
自信を持って、責任を持って死にたい。

だから、なかなか使わない。

『素晴らしい』を『最高』に置き換えて
表現する人が、いかに多い事か…。

最高!って言いたい瞬間もあるが、
グッと堪えて、冷静になる。

最高に裏切られた経験だってある。

だからこそ、冷静になる。

でも、決して
『最高』を言わないわけではないからね。

ただ、安易に使いたくないのだ。

そして、最高を、いとも簡単に受け取ってしまう人も多い。

最高は、とっておき…のために、
とっておこうよ。

ね。

そうしたい僕が、ここに居ます。

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2022/08/07

原動力となる人

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色々な原動力があると思う。

それは、維持する原動力だったり、
守る原動力だったり。

しかし、無鉄砲になれる原動力というのもあるかも知れない。

世の中には、人を突き動かす、
様々な原動力がある。

それが、モノだったり、環境だったり、
お金だったり…。

モノなどであれば、
それは手に入れば、
モチベーションを上げてくれるか、
さらには、愛おしく日々を過ごせるか、
期待はずれでなければ、
その関係値は持続できる。

まあ、僕の場合、
万年筆や、時計などは、数が増えれば、
同時に使う事はないわけで、
その内のひとつへの比重が、どうしても
軽くなるのが、パラドックスでもあるが…。


さて、原動力が『人』という場合、
それもあるだろう。

憧れだったり、
もしくはその存在自体が、
なんとも、説明つかない衝動を与えて
くれる何かであったり。

その時に、迎合するのか、
それとも、自然体であるかの違いも大きい。

迎合の場合は、それはいつか、破綻する。
自然体であるならば、そこには無理はなく、破綻はしない。

迎合ではなく、自然体でいること。
それが、この先を決める葛藤となる
側面でもある。

そして、必然と環境により影響を受けるのが人間だからこそ、
自分を俯瞰から見られるのかも、
そんな時を持つことも大切なんだと思う。

バイクで東京ゲートブリッジを渡る時、
東京を遠目に俯瞰から見る事が出来る。

そんな時に、自然体で思考し、
迎合か否かを俯瞰から覗く。

東京で起こるニュース、
それが、ちっぽけであり、
自分には関係のない事なんだと
思い知る。

原動力と遭遇し、それを見つける感覚。
鍛えるものではないが、
認識する素直さは持ち続けたいものだと思う。

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