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2022年7月

2022/07/31

良い…と評される行いを…。

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小学校時代の恩師、
小宮路先生の言葉は、
今も大切で、心に響いたまま。


『本当の偉大さの標準とは何だろうか』

E・G・ホワイトは、「神は人を、その富や教育や地位によっては評価されない。
神は人の心の態度を見られる。
品性の美しさを評価される。
神のみ国で偉い者となるためには、謙遜で単純な信仰と、純粋な愛を持つ小さな子どものようでなければならない」と言っている。

 私たちの社会は、前進したいならば、ただただ上に向かって進むのみ!という示唆に囲まれている。

頂点を極める!
脚光を浴びる!
記録を破る!

これらは確かに人々の注目を集め、新聞・テレビの一面を飾り、お金と名声という報酬を私たちに与えてくれる。

この大きな誘惑に、多くの人が引き込まれてしまっているのである。

と…。 

玉川の教えでもあるわけだが、

良い行い…を自分がした事…
それをひけらかす奴は、
私は嫌いだ。

清掃をした…とか、
ボランティアで、わざわざ、
あーした、こーしたetc。

そんなのは、私は黙ってやる。

日常からやる。

特別視することすらが、
いやらしい…と感じる。

ひけらかした瞬間から、目的が
違ってしまうと感じるのは、
私だけではないだろう。

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2022/07/28

絶対評価と相対評価



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小学校の子供への評価。 そこには絶対評価と相対評価という ベクトルがある。 おそらく、年齢を重ねるにつけ、 相対評価が一般的になるものの、 小学校段階では、 絶対評価基準で通信簿が形成されるべきと思っている。 大人になって、営業職ならば、もうこれは相対評価になるわけだが、 それ以前や、研究職の場合は、 絶対評価という基準でなければ、 個性や独自性はスポイルされてしまう傾向にあると思う。 絶対評価とは、 その個に対する絶対的な評価であり、 その子が、これまでに比較してどんだけ頑張ったか、比較せずとも、 そこに頑張りがあったか…。 これを評価する尺度。 対して相対評価とは、 同じレベルの…つまり同学年の中で、 周りの平均を出して、評価をつくるもの。 評価としては、出し易い、導きやすい利点がある。 しかし、その評価の価値観は、一元化されたもので、独自性は皆無だ。 本人にとって、どんな努力があったのか、 何が成長したのか、 何に取り組んだのか。 学校だけでは見えてこない側面もあるだろう。 そりゃ、先生も、絶対評価の視点で評価して頂きたいものだが、 親こそは、絶対評価をし易い存在でもある。 そんな視点で、通信簿を見て欲しい。 正すところは、的確に。 伸びた所はちゃんと評価する。 そうであって欲しいなと。 願うばかり。


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