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2019/08/06

8月6日

この4年ほどだろうか。
以前は8月に入れば、それこそ広島に関する番組、コンテンツ、
戦争に関する記録や証言、それを語り伝えてくれるものが多かった記憶。

 

それが小さいころからの、夏休みのテレビの中の世界と感じていた。

 

それが少なくなったのではないだろうかと。

 

着実に戦争を知っている世代は少なくなっている。

 

だからこそ、コンテンツとしては作りにくいという現場の事情もあると思う。

 

でも、夏って、そんなもの、にいっぱい触れる時間であったはず。
それが昭和48年生まれの僕の『夏の感覚』

 

それには自分に通ずる歴史を感じもした。

 

戦争を知らなくても、『悲しい』というものが何なのか、それを味わっておくべき8月、
今、どうするべきなのか?

 

子供たちの時代には、余計に、戦争という言葉が、
漠然とした希薄ものになってしまうのではないかと。

 

いずれ、そんなことに対する作業も出来ればと。

 

そのためには、それができる環境をつくっておくこと。

 

8月6日、それを感じる日でもあった。

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