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2019年8月

2019/08/10

芸術家とクリエイター

愛知トリエンナーレが、色々とあったと。

そもそも、芸術なのかどうなのか?

芸術監督が津田さんだったというわけだが、
津田さんは、そこに秀でた方というわけではないというのが、僕の認識。
2010年、一緒に仕事をする機会があったりもし、酒酌み交わしもしたが、
津田さんは、この分野ではない部分こそが素晴らしく秀でていらっしゃる方だと記憶している僕がいる。

いわば、芸術家に近い存在ではなく、クリエイターに対する造詣がある方ではなかろうか。

話題集めるための企画や作品・・・というのが芸術なのかどうなのか?
少なくとも、僕は違うと思う。
そこに芸術家、作家なのか、クリエイターなのか・・・という違いがあるのではないか。

つまりは、今回の企画はクリエイターによる作品展であって、
芸術家、作家による作品展ではないのではないかと思う。

そもそも芸術とは、作り手の愛情と情熱が作品に集中していて、
それらがレンズを通して一点に集中して集光発火しているようなものだと思う。
出来上がった時の話題云々を考えて作られるものではないはず。

僕が参加するラジオ番組は、そりゃ、芸術ではない。
でも、僕が、舞台で参加する作品や、プラネタリウムでのステージは、それこそ
かわいい子供のような分身であり、芸術だと思っている。

クリエイターは、先を読んで勝負をかけるが、
そこは、生放送のラジオでもそれに近い作業が行われている。
ただ、作品・・・というものをつくっている感覚とは違う。

これを言ったらどうなるか、
平衡感覚や、どうなるかを予測しながら話している感覚がある。
つまりは、そういうセンス。
そのセンスは、芸術とは違う。

でも、平衡感覚や、どうなるかを予測しながら話している感覚。
それは芸術を邪魔する事、側面でもある。

それだからこそ、表現の自由・・・ということが叫ばれる現状があるのであって、
話題作りに表現の自由・・・とは、明らかに違うような気がしてならない。

芸術は、世間、社会に対する効果を狙って取り組まれるものではないはず。

もちろん、技法によって、鑑賞者に伝える最低限の伝達は、分野によっては必要でもあるわけだが・・・。

しかし、完パケ番組なら、芸術・・・という思いで作業にあたる場合だってある。
先を読む・・・ではなしに、その時の勝負であり、情熱だったり、愛情。
そういうもの、番組をつくる機会は少ないが、できるとも思っている。

最近、芸術家に出会った。

那須で作品制作活動に励む阿部さんだ。
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作品が世に出てどうこう・・・なんて考える暇なく、
黙々と作品に向き合って、制作していらっしゃる。
その黙々・・・というものが、優雅なものであったり、穏やかな時間であったり、阿部さんの中でも色々なケースがあるにせよ、
阿部さんは、自然の中で制作作業にあたりたいと、東京から那須塩原に移住までしている。
それは決して話題作りのためでもなんでもなく、自分が向き合う芸術のため。

作品で世間を・・・ではなく、自分の中にある描きたい、作りたい!という衝動に素直に向き合って、作品が出来上がっている。

そんな阿部さんの言葉、今日、土曜日の朝8時25分、Radio Berryで番組になっています。

簡単な話、阿部さんの話には、つっこみどころがないんです。

そうなんですね!としか言いようがない。つまりは納得してしまう。
それだけの作品がある。
だって、阿部さんの中身から生まれたものなんだもん。
そこに理屈も屁理屈もない。
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それこそ、芸術何ではないかなと。
自由に表現されているのです。

表現の不自由・・・なんてことは、芸術は気にしない。
それ以前の問題なんです。
だって、個人という存在の中身なんですから。

表現の不自由、それを気にしもするのは、クリエイターであって、
芸術ではないと思う。
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そうそう、写真家、アラーキーは、何があっても写真を撮ると思うのです。
写真として一枚は残すはず。

ただ、それを出版する際に、表現の不自由で悩む編集者・・というクリエイターがいると思う。
そう、彼は、クリエイターであり、芸術家ではない。

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2019/08/07

今、というイデオロギーを通さずに

何時間か前だが、

昨日書いたことは、
政治的な意図はなく、あくまで個人個人の心の中の作用、
向き合うチャンスに関してのこと。

確かに政治的な話題に結び付けたいという意図もわかるが、

それこそ戦争史観ではなく、人間として一人ひとり、
心の中の葛藤で、今の政治とは結び付けずに、
過去を直視する事。

そういうコンテンツが減ってしまったなとつくづく。

過去を直視したうえで、
その上で、人それぞれの、今の時代への観念、
つまり政治的な意味合いを、発見すればいい。

それを今の政治的な観念『ありき』で、過去を振り返るのは残念。

つまりは、今の観念が前提にあっての過去の戦争史観になっちゃう。

できれば、今・・・のまえに、素直に過去を見つめなおすこと。

そんな作業をしてから、今のイデオロギーに向かい合ってほしいと思うばかり。

なんだか、過去を利用して、都合よく解釈するのでなく、
人間として、なにが悲しいことなのかを考える8月でありたいなと。

そう思う。

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2019/08/06

8月6日

この4年ほどだろうか。
以前は8月に入れば、それこそ広島に関する番組、コンテンツ、
戦争に関する記録や証言、それを語り伝えてくれるものが多かった記憶。

 

それが小さいころからの、夏休みのテレビの中の世界と感じていた。

 

それが少なくなったのではないだろうかと。

 

着実に戦争を知っている世代は少なくなっている。

 

だからこそ、コンテンツとしては作りにくいという現場の事情もあると思う。

 

でも、夏って、そんなもの、にいっぱい触れる時間であったはず。
それが昭和48年生まれの僕の『夏の感覚』

 

それには自分に通ずる歴史を感じもした。

 

戦争を知らなくても、『悲しい』というものが何なのか、それを味わっておくべき8月、
今、どうするべきなのか?

 

子供たちの時代には、余計に、戦争という言葉が、
漠然とした希薄ものになってしまうのではないかと。

 

いずれ、そんなことに対する作業も出来ればと。

 

そのためには、それができる環境をつくっておくこと。

 

8月6日、それを感じる日でもあった。

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