« 痛みを受け入れて | トップページ | カキツバタなGW »

2019/05/01

変わるからこそ、向き合う

真剣に向き合ったからこそ、

出来る事もある…はず。

Img_6177

片や真剣、真剣が一方のみで、片や、そう言う思いが重なっていなかったと、後からわかった場合、

それを知った場合、その成果は、期待していたものではなくなってしまう。

 

 

 

僕は、熱血タイプでもないし、出来ればそんなとこは、通りたくはない系統なんだけど、しゃなりしゃなりと、時間を歩みながらも、真剣なときは、しゃなりしゃなりしながら人一倍、ちゃんとしていればなと。

そう願うから、そうしてる覚悟。

 

普通のことを、しっかり普通に。

 

普遍的なこと、それを乱して是とする事には嫌悪感すら抱くし、

そもそも、自分が支えられて、今があることを認識出来ているのかと。

 

自分さえ楽しければ、良ければ…。

そう言う思いって、とても嫌で、そんな思いを認める、賛同する気持ちすら、僕はとっても嫌悪。

 

表現としては、柔らかい言葉の羅列されたものかもしれないが、その実は、自分優先主義で、社会とか、そんな概念がないからこそ、そんな思いを持てる。

 

それを是とする感覚。

そこに共感する感覚。

 

それらに対し、社会の中で生かされているのだからこそ、そしてお金が回ると言うのは、根本に社会があるからこそと思う気持ち、だから生活出来ているわけだし、生かされている…、と、しゃなりしゃなりではあるけど、責任があると考えること。

それが、人々の生活、営みが、これまで続いてきていた『優しさ』なんではないかと。

 

その優しさを、当たり前、普通と思っては、なんて鈍感なことか。優しさに気づかないことか。

 

親への感謝とか、

実質、後になってから、親になってから初めてわかる事もある。

 

まあ、僕の場合は、自分が親になって、初めて、父親にパフォーマンスで可愛がられていたので、そこに本当の愛がなかったのだと、初めて知ることにもなったが、多くの場合はその逆だろう。

 

親が子に愛情があることは、それは普通のこと。そんな普通を普通と言えること。

 

その普通、受けた側が、普通だと思っては、あまりに寂しすぎる。

 

時代が令和になった。

 

平成の終わり、天皇陛下が武蔵陵墓にて、昭和天皇にてを合わせられていた。

昭和天皇を…。

アナウンサーがそんな言葉を使っていたが、まさしくその通り。

 

なんだけど、

その実態は、子供が、親に手を合わせる…と言う、僕らにでもある光景。

 

これが続いてきての、何回も続いての今に至っている。

 

そんな歴史の自分が一部でもあるという事。

 

そう言う思いがある事を、

例えば、比較対象にされてしまう事。

 

そんな感覚をどっちでもいいと、言えてしまう事が、僕には驚きでもある。

 

令和と言う時の幕開け、色々真剣になる瞬間を味わっている今である。






|

« 痛みを受け入れて | トップページ | カキツバタなGW »