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2019年4月

2019/04/26

痛みを受け入れて

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わがままな思考に陥ってしまっていると、自分の痛みばかりしか認識できず、
相手がどれだけ今までリスクを回避するために努めていたか、
どれだけの痛みを伴ってきていたのかを評価できない場合があるんではないだろうか。

そのリスクとは、軟着陸することであり、そのために、実は陰で犠牲にしたもの、
つまりは見えないところ、見させないところで、リスクを払ってきていたという言う事を見ずに、
現状では着陸できている事を、当事者として当たり前だと思うのは、稚拙な現実主義のように思う。

見えているものを、実現させるためには、
見えていない部分で、あまりに多くの犠牲が、実はあることを、想像することも必要だ。

自己本位になっているときに、主張もすべてが自己本位で、
相手の見えていない時間を想像する力が欠如していて、
見えている部分で、着陸できている現実を、話のベースとしてしまう。
それでは話も噛み合わない。

なぜなら、日本語には建て前と本音がある。
本音だけで会話を成立させてしまえば、それは楽。

それが理想だろうか?
そんなことはない。

しかし、実は本音というのは『欲望の正体』であり、
相手のことを、本気でおもんばかろうとする時に、建て前がある。

建て前というのは嘘ではなく、相手のことを最優先した結果の言葉でもある。
その時には、欲望の正体である『本音』を口に出せない。
それこそが配慮。

つまるところ、建て前だから、真剣じゃない・・・のではなく、
建て前だからこそ、その建て前のためには、見えない犠牲が陰に存在しているということ。

その見えていない犠牲は相手のために。

それが、わかる人もいれば、想像することすらも出来ない人もいる。

例えば病院で、何らかの告知を受けたとする。
その時に、医師が相手のことをおもんぱかって、
『もう退院ですね』と言うことがあるだろう。

その時に患者の方が、この医師は完治していない自分に対して真剣ではない…
と判断したらどうなるだろうか。

医師には、それ以上の考えと、思考、悩んだ上での決断としての
『もう、退院ですね』という言葉であって、

この医師は、あくまでもその患者のこれこれからの事、
そして生きている時間のことを考えて
病院から解放しようとしたのであって、その患者を見捨てたわけではない。

そこに対して、患者から『この医師はだめだ』と裁判を開かれたら、
医師としては、情けないことこの上ないだろう。

医師であるならば、そりゃ、すべての病を取り除きたい。
しかし、それは本音ではあるが、『生きること』を患者本位で考えたとき、
患者のことを考えたら、実験台にしている・・・となることだってあるだろう。
だからこそ、退院させるのだ。

自分は治療を進めたくとも、本音と建て前、それを天秤にかけて、
医師としてできることを断念し、患者を、『活きる時間』に放つわけだ。

それを、見放された・・・と取られてしまっては、
あまりに患者の方の思考が傲慢である。

こういう事は、医師から、慎重なる病の告知をされたことがある、
そんな経験者でないとわからないのだろうか…。

医師と患者の間にはケアマネージャーがいたりもするが、
日常においては、それはない。

だからこそ、想像力、思考力は常に持ち続けたいもの。

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2019/04/25

重なる瞬間

見ずもあらずも見もせぬ人の恋しくは
あやなあく今日や、眺め暮らさん
月やあらぬ、春や昔の春ならぬ
わが身ひとつは元の身にして。
起きもせず寝もせで
夜を明かしては、春のものとて眺め暮らしつ・・・。
(伊勢物語)
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一瞬でもすれ違うことで、
その日が元気になることもある。
その一瞬が、意図しない瞬間でも、それが
抱えている問題から解放される時間になることも。
水曜日は四時間の生放送。
自分たちは四時間を通してのコンテンツと考えるケースが多いけれど、
実際、四時間を通してこの番組を聴いてくださっている方というのは
それほど多くはないはず。
車を使った一瞬だったり、車からおりての作業中だったり、
四時間の中から切り取られた一部を共有する場合がほとんどじゃなかろうか。
だからこそ、一瞬のすれ違いが、良いものであればと。
四時間を通しての結果、『よかった』ではなく、
一瞬のすれ違いが、『よかった』になれば、
それこそ本望にすべきことなんだなと。
(中略)
土曜日、激坂を上り中に剥離骨折した。
それから腱板断裂も。
もうこれが痛いのなんのって。
なかなか眠ることもできない。
すがる思いで期待して頼ったものこそ、まったく頼りにならずに、
かえってストレスになってしまったり・・・
優しさで出来ていると言われるバファアリンの方が、よほど頼りになる。
それが、一瞬でも楽になる瞬間がある。
そんな瞬間のような番組である四時間。
その一瞬。
そういう時間が連続になっている四時間ならば、
目指している優しさになるのではないかと。
今回、痛みに包まれた時間の中で、改めて感じた。
本当の特別は、それまでの時間ばかりにとらわれることなく、
その時に進行される事に感じる幸せにあるんだろうなと。
今は、痛みが和らぐ瞬間、忘れられる瞬間にあるんだと。

 

 

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2019/04/18

夢語れるか、ビジョンを抱いているか、

 

 

ラジオの仕事をやっていると、

これは必然的に、世間の感覚が番組に届く事になる。

それは日常の些細な事だったり、家族間の問題だったり、それこそ恋愛の悩み、そして、答えられるかわからない相談だったり。

それは、良いことも悪いことも。

している側も、されている側からも...。

だから、このラジオで会話する立場でこそ、見えてしまう部分もあったりするもの。

 

ゆえに、身の回りの人様の、恋愛などにおいて、立場を顧みずに、

『うまく使われてしまっている人』

と 『使っている人』というのも見えてしまうという、不都合は僕の中にはある。

 

例えば、男でも40代になって、恋愛をするのであるならば、それこそ、責任の所在をはっきりした付き合い方をするのが、普通に考えられる多くの40代男。

だって、番組に来るメッセージで40代男性からのメッセージはそういうものがほとんどだから。

 

悩むところが、そういう点に主眼が置かれた話題ばかりだ。

これが、20代ともなるとまた違った相談内容になってきている。

 

そして、20代と言うのは、僕も経験してきたことなので、他のメッセージを見ずとも、僕自身の感覚で読み解ける部分もあったりする。

 

ただね、やっぱり40代の男が恋愛するともなれば、そこには20代とは違う、30代とも違う、絶対的な責任を持ってほしいんだよね。

 

相手だって、大抵は20代の女の子とかでは無いのだから、相手の時間も消費していることに気づいて、

 

だからこそスタートから責任を持った恋愛をしてほしいと願ってやまないわけだ。

 

正直、未来のことも話し合って、

『恋愛をスタートさせる段階』において、すでに話し合っていてほしいと思うのが、僕を始めとした、他の40代男からする、一般的な感覚なのではないだろうか。

 

そうであることを願って止やまないのだ。

そうでなければ、40代の男の恋愛は、ただの相手への腰掛けになってしまう。

相手を『腰掛け』としての存在として見ていないのであるならば、それこそ、ちゃんと未来を、ビジョンを語って欲しいもの。そして行動が伴っていて欲しいもの。

 

僕の場合は、語ったビジョンが現実になっていないと言うのはある。

でも、これは不可抗力と言っておこう。

収入に関しての事だから。

 

それでも、『ビジョンを語ることをしなかった』…と言うことはない。

 

夢は、語れた。

語るに相応しい存在だったから。

 

そして、そうする気が、あったから。

だから考えていた。だから語れた。

 

家族には、ビジョンが現実的には伴ってない事を申し訳ないと思うばかりだが、それでもビジョンは、ちゃんとあった。

 

その上で結婚して、さらにその上でのビジョン。

 

夢なくして、今だけを堪能しているようでは、20代30代ならまだしも、40代となっては、40代の男としては、世間の感覚とは明らかに違う。

 

番組によくメッセージをくれる春山●●●●●●さんの悩みや、相談って、やっぱり、

40代の男ならではの相談だなぁと毎週のように感じる。

まあ、僕の場合は、そりゃ『収入に関する面のみ』ビジョンをなし得てない…

とは、決して思ってはいないが、

『仕事の面』に関しては、語ったビジョンを現実のものとさせて頂いている。

 

それは、こんな40代の男を支える家族がいて、仲間がいて、会社があって、放送局があって、その他、とにかく大切な多くの人がいて、実現できている事でもある。

 

それゆえに、この仕事での、仕事量と収入とは比例しない現実をも、

ひしひしと感じながら、今でも仕事においての夢は語れる僕が、今でもいる。

 

世の中には、そのビジョンを、どんな尺度で判断するかによって評価が分かれるところもあると思う。

もし、それが収入と言う面で判断されるのであるならば、僕はダメな男だ。

 

でも、語ったビジョンを、収入以外の部分では実現させてきていると判断してくれている家族がいる。

 

だから、やってこれてる。

 

夢、ちゃんと語れて、

それはビジョンを持っている事の証明で、そして、努力するための後戻り出来ないはずの言質でもある。

 

すでに、僕には語れない事もいっぱいあるけど、

語れるならば、『ちゃんと語る事の出来る』40代の男でありたいと、心から思っている。




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