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2017/09/27

ト書きの時代…の完結

ト書きの時代…。

ト書きとは、ご存知だろうか?

舞台において、何かが進行している時に、そのシチュエーションやら、気持ち、設定を、演技ではなく、ナレーションで説明すること…とでも言えば分かりやすいだろうか…。

台本にト書きがある場合もあれば、そうでない場合もあるし、
ト書きがない場合もあれば、ト書きがあっても、演出によってト書きの存在が消される場合だってある。

ト書きが、思いっきり前面に出てくるイメージのある作品、僕なんかの感覚では、

渡鬼や、ちびまる子ちゃんなんかが、『ト書き』をかなり活用してる。

いま、ネット社会と言われ久しいが、まさにネットは、ト書きなんじゃなかろうかと…。そう感じている。

と言うのも、とある友人に車のキャリアの外し方を教えなきゃいけなくなった。

その時に送られてきた写真から判断して、商品番号を検索し、そしてそれの説明書を見つける。ないしは、動画でのベースキャリアの取り付け方…なんてのまであって、
『その反対をやればいいんだよ』と。

もし、この検索サービスがなかったなら、どうだったんだろうかと。

おそらく、ネットがなければ、一目みて、いや、何回が現物、現状を把握して、構造を考え、そして取り外していたんだろうと。

ネット有史以前は、それが普通だったと思う。

だからこそ設計者は、説明書がなくても見て理解できる構造をデザインし、またわかりやすく製品で伝えようとしていたはず。
それが『完結』だった。

舞台、つまり演劇においてもト書きがない舞台と言うのは演技によってのみ全てを伝えると言う手段、そして音響、照明、舞台環境など全ての感覚的要素を使って内容を的確に伝えようとしていたはず。これも完結。

それがト書きがあることによって、ある程度その作業は緩和されると言う側面はあったはずだ。

つまりは、今の時代ネットと言うト書きがあるからこそ、説明はそこに任せて違った手法を用いて、ものを作り上げることができるとも言える。

そして、逃げ道でもある。

ト書きがあることによって、演技に要求される側面も変わってくる。

ラジオや、テレビでも、同じことが言えないか。いや、そうなっている。

昔は、そのコンテンツで完結していた。テレビでURLなんかを出したり、CMでも『詳しくは検索!』
なんて出始めた頃から、
もう、伝える手段は、テレビやCMに求められておらず、
完結しておらず、ネットというト書きて、やっと完結するようになっている。

ある意味情報や、詳細と言うものはト書きに任せて、そのト書きを読みたくなる原動力を引き起こすこと。

テレビがそれにシフトすべき側面もある。けど、テレビには、テレビで完結を望む気持ちもある。

昨夜、ディレクターのFKD氏と話していて、そんなことを思った。

ラジオは、昔からト書きの時代だったことと思う。

ラジオだけで終わらない事こそ、ラジオとしての完結なんだ。

時に、聴いていて、中身でもト書きでもなく、
『目次』を的確に伝えてくれちゃうレポートがあったりする。完結。

けれど、目次じゃ、総ざらいはできるのだが、心ってものは動かされない。

もちろんト書きでも動かされない。
やっぱり本文であり、その心象風景なり、そこに動かされる。

その本文として完結させられるのが、実はラジオなんだと思っている。

これは、ネット出現以前から、同じスタイルではなかっただろうか。

音しかない、限られた時間、
その中で、何が優先されるべきか。
昔から、ラジオはラジオだけで完結ではなかった。それでこその、ラジオの『完結』

ラジオで聴いた電話番号、
他に、ラジオからもたらされたきっかけを、自分で調べる。

その時代、テレビは完結していただろう。

ある意味、テレビが、『きっかけ作りになる本文』の部分、ラジオの真似をし出したとも言える。

それは、ト書きの時代だからか。

ラジオの完結は、伝えることじゃない。何かが、届くこと。
ひとつの言葉だけでも、届くこと。

その先はラジオを聴いて下さってるひとが、ト書きを作ってくれるのですから。

さ、明日はどう完結させるか。
ラジオとして。

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