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2016/03/15

価値観の多様性を

最近のニュースでは、
こぞって『我感覚が正しい也』と言わんばかりの、

『問題にする』前提での記事が多いようにも思われる。

それは、新聞に留まるだけでなく、
個人の意見は意見ではなく『批判』のみである事がほとんど。

『そういう考えもあるのね』
と、相手の意見を認める事からスタートせず、

誰かの意見に対し、『アホ』『バカ』『オカシイ』
などの意識から入って、
結局は『誰かの意見を否定するだけ』の
それが、
『自分の意見』とでもあろうかのような…。

『そうそう考えもあるのね、でも、私の場合はこう考える!』
という、
自分の意見、その表明あっての、『それとは違う』でないのが、非常に残念。

こうなると、意見を表明すること、そうしている人が、損な役回りとなってしまう。
否、もうなっている世の中だと感じる。

つまりは、否定された方は、相手に話が出来なくなってしまう。

『正しい事』と言うのは一つではない。

いくつもの価値観に基づいた正しいがあってしかるべき。

例えば、
大阪の中学校の校長先生のニュース

大阪の中学校の校長先生のニュース

これは、正しいとか間違っているかの判断に準じるニュースではないと思う。

そういう価値観もある校長先生なのね。
そんな考えもあるね。

それくらいに留めておくべきだと僕は思う。

で、学生が取捨選択する価値観であっていいとおもう。

世の中に正しい価値観は一つしかないのならば、
それは、そこから違えば否定されても仕方ないし、
問題になるべきだとは思うが、
そもそこ、正しい価値観は、一つではない。

国、文化、思考が違えば、色々な選択肢があって当然。

海外に対しての思考では、『それは仕方ない』と言えるのに、
なぜ国内での話題だと『アタマオカシイ』になってしまうのか。

こういう話題をクローズアップしている新聞を前にして、
社説を読んだり、推察も目にしてみる。
その時に、自分の思考と何が違っているのか、
何が乖離していると感じるのか。


自分の思考に冷静に向き合ってみる。

次には否定でなく、
そんな考えがある事を認める。

そして、『違っている思考』があること、存在していることを認める事。

いま、Twitterや、Facebookなどでも、
違った意見を認めない…
意見が存在する事すら認めない。そんな短文やら主張を目にする。

オカシイと思う事実に関しては、そりゃ否定するのは当然だけど、
思考を認めないのは、それこそ、
これからの価値観が、何かの勝敗によってシステマチックに判断され、
そこに『人』である意味がなくなってしまうのではないかと。

面白みのない価値観に支配された社会になってしまう。


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