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2016/03/17

情報に対する過度な期待

情報に対する過度な期待
なんだか、
『情報に支配されている』
そんな傾向が強いようにも感じるこの頃。

ひとたびトラブルがあれば、自分ではなく、情報ばかりを責めたて、反省とは程遠い認識しかなかったり…することも。

『情報を利用』するのか『情報に利用』されるのか…。

アタマデカチな感想を目にすることが多くなった。

意見ではなく、あくまで『感想』。

例えば、
そこに対するアンチテーゼの企画、そんな番組であるにもかかわらず、
『情報』をベースにしか、番組を味わえない種類の方々も見受けられる。

一番は、自分が生きていること、生きること。
それはどういうことなのか。

そこに情報があって、役立つため。役立たせる。そのため。

自分に情報をどう加味させるか。

『知っていること』は優れたことではない。

『知ろうとする探究心』こそ、魅力的なもので、
その『知ろう』は、文字情報や、平面上にばかり存在するものではなく、実体験であるべき。
人間なのだから。

情報のために本末転倒になってしまっているケースも。

例えば、番組では、『人の言葉』『モノに対する人の底知れない愛情』
を伝えているにも関わらず、
スペックばかりを議題に上げる輩。

スペックを議論する、
ないしは、最新を紹介する番組じゃない。

今は北海道放送に行った、高橋ディレクターが、
とある番組の最後、スタジオで、

「僕は、できる限り眞善さんに『紹介』という言葉は使わせない様に配慮してました」
「紹介番組なんて、インターネットでやればいいんですから」

そんな言葉を後任ディレクターにアドバイスとして残していった。

あれは、僕も『そうそう、まさしく、そう、同じだったんね!』と。
その番組に対してね。

別に、僕らの番組は知識を競う番組ではない。
そんなのは、他でやってくれ。

当たり前と思っていることを、見直そう。
つまりは、日頃から心動いて、感謝の気持ちなり、
オドロキの目、興味の目、
そんなものの起爆剤になれば、その番組は嬉しいという気持ち。

情報を伝えている番組では決してない。

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