言葉の重み、瞬間

一つの事柄に、色々な言葉が存在し、それぞれの使い方がある。
そこで、どの言葉をつかって、表現するか・・・
同じことを違う言葉で表現するのではなく、
言葉が違えば、微妙なニュアンスの違いは、やはり存在していることを忘れちゃいけない。
昨夜、初めて使う言葉があった。
人生で初めて使う言葉ではなく、
目の前の事柄に対して使う言葉、そこで初めての言葉、表現を使うことをした。
そこには重みがあって、
番組の中では、生放送で、咄嗟の選択を強いられる。
それを間違えれば、クレームの対象になってしまう。
だからこそ、言葉の重み、どんな言葉を使えるのか、使うべきなのか。
自分の心と向き合っていなきゃならん。
言葉には責任があって、その言葉は、口から出た瞬間から、消しゴムがない。
文章ならば、より明確でもある。それが直筆ならば余計に。
でも、文章が出来上がるそのときに、書き進めながら、消しゴムは存在しての完成形に至るプロセスがある。
文字を書き進めるときでも、言葉を選ぶ責任がある。
話すときも、言葉を選ぶ責任がある。
ただ、瞬間で言葉を選択する作業の連続の中で、勇気を必要とすべき言葉もある。
そんな責任が伴っての言葉は、
使うのに勇気もいるし、度胸も必要とされる。
舞台の上で「愛している」という言葉を使った。
「幸せの値段」でのことだった。リトルナイトでもそうだった。
そんなときに、相手役だった真継玉緒さんは、そこに至るプロセスから、
台詞を嘘にしないための瞬間を創り出そうとしてくれて、
台詞を吐く瞬間、その瞬間に向かうための稽古をつけてくれたことがあった。
それだけ重い言葉だったからこそ、セリフであろうと
「このセリフがある役ということは、大変なことになった」という認識で
稽古時間中を過ごし、舞台の上に至った。
それだけ、セリフでも苦労する言葉は、本当に重みがあるんだなと。
日常の中で使う言葉は、それこそ相手がリアリティを伴って存在する中で、
真理を伴って使う言葉である。
言葉と文字、あまりにも近頃は合理化しすぎているんじゃないだろうか。
言葉の重み、再確認、再認識させてくれる瞬間、それを経験し、
経験を継続していくことも、とっても大切。
その継続にこそ、責任が伴うものだということは、間違いないだろう。

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