先日、ある質問をされた。
それは
「人生で一番感動した事は何ですか?」
一瞬、記憶の中で、一番手前にある喜ばしい、嬉しい、そんな事を答えそうになったけど、
やめた。
感動も時間の経過と共に希薄になることがある。
でも、絶対希薄にならない感動って、積み重ねられている喜びなんじゃないかと。
僕の場合は、やっぱり母の存在なんじゃないかな。

この時は、道の駅で、きゅうりを買ってご満悦だった。そんな笑顔(笑)
さて、このところって、親に対する敬愛の念を忘れている事から、憂いとか、しんみりした気持ちも忘れて、
物事に鈍感になっていたりするんじゃなかろうかと。
せっかくの感受性をフルに使ってないための鈍感だと、優しくなりづらい。
ゲームなり、目の前の画面なりからの感受したものじゃなくて、
自分の体で感じたこと。
そういった事を考えると、
僕の場合、感動した事って、親に育てられた事なんだよね。
これはいつまでたっても、変化しないものなんだと、僕の中では思っている。
だから、母親の笑顔を見るのが好きだし、
幸せに感じることがいっぱいあって、その上で生きていて欲しいと。
先日、ここにも写真をのっけたけど、
祖母が他界した時、あの時の母の笑顔、そこにある強さに触れた事、
すべてひっくるめて、「母親に育てられた事」が感動かな。
よく、社寺巡りをする。
母が祈っている姿をそっと映した。
祈る事があるってことが、生きている事なんじゃないか。
祈る事がなくなったら、どうなってしまうんだろうか?
いろんな方々の、いろんな祈りが集まっていて、
故に、「祈られること」あれば、そこに「生きる」必然がある。
多くの人が、こういう鐘だったり、鈴を鳴らして、ホッとする。
七福神を置いて、願いを伝える人、いっぱいなんだろうなと。
ここは、茨城は大洗の磯前神社(いそさきじんじゃ)。
さっきのは、佐野のみかも不動。

母に、ちょっと聞いてみた。
「さっき何を祈ってたの?」
母は笑って答えてくれた。
「あなたすごい自転車乗るでしょ、だから事故に遭わないように。」
「でも、事故に遭ったら、いっぱい保険金が下りる様に。」
母の顔が一番マジ顔だったのは、「保険金」の話のほうだった・・・・。
感動??
くれぐれも保険金がおりる事のないよう、気が引き締まった。
また育てられたね。(笑)