前回の衆院選で、民主党が「脱ムダ」の象徴として「脱ダム」の象徴地ともなった
八ツ場ダム。
今回の民主大敗とも言われる選挙で、現地はどういう視点で変化しているのか、
現地を、参院選直後に訪ねた。
いつから、工事は中止になっていたのか?
現地では休まず工事は続いていると伺った。
で、作業も着々と進んでいた。
あの連日テレビに登場していた建造物、
ほぼ完成している。
あれは、ダムそのモノではない。
現在の生活道路としての国道が、ダム湖底になってしまうため、
そのための道路建設。
決してダムそのモノではない。
現地川原湯地域の温泉旅館などが、たびたび話題にも上がり、
現地の反応が気になるところだが、
現地ではダムに反対でも賛成でも、それ以前の問題になっていた。
一番現地が気にしているのは、
「ダムが出来るのか出来ないのか?」
「出来る場合は、いつ出来るのか?」
そこなんだと、初めて知った。
賛成、反対と言うようなことで混乱が起きているわけではないと言うこと。
ダムが必要と言われれば、それに従う。
そして代替地にも移って、新たに旅館を営業する事も、
国からの保障で再開できる可能性が高い。
しかし、問題は、手持ちの自己資金の投資対象の問題。
つまり、ダムが、いつ完成して、いつから代替地での営業になるかが
はっきりしてない。わからない。わかっていない。
だからこそ、旅館を、今の施設でいつまで営業すればいいかがわからない。
ゆえに、現状の旅館に経営者は設備投資していいものか、
新しい旅館への資金にすればいいか、判断つけられない状況。
旅館としては、出来る限り最高の状況でお客様を迎えたい。
しかし、だからと言って、現状の旅館の壁を塗りなおす、
絨毯、床を張り直す、エアコン設備を新設する・・・・
などして、施設改善しても、一年でダム湖底に沈む・・・では、やりきれない。
それなら、新しい旅館を、自己資金でより良くしたい。
設備投資したくても、先が見えなければ、
現状への設備投資が「無駄遣い」になりかねなくない。
そんな問題が、現地では直面している大きな問題なわけだ。
移る、移らない、必要、不必要とかいう問題ではなかった。
もっと生活、仕事に密接な問題として、
旅館としての向上心を削ぎかねない問題。

読売新聞でも伝えられた、11月に営業を断念する「高田屋」も訪れた。
皮肉にも、迎え処の囲炉裏にはこんな新聞が。
そして、八ツ場のダムは、いいとも、悪いとも言えない。
無駄遣い・・・ではないとも言える。
無駄は他にももっと無駄があるわけで・・・
象徴にはされてしまっているが、
ここは象徴にすべきものではないと言うことも知る。
ここの予算は、全体から見れば小さな物で、
マクロな視点での一件があまりにも歪曲して伝えられてもいる。
他に削るべき、削られるべき土木建設があるにもかかわらず、
八ツ場が「無駄の象徴」かのようになっているということ。
不甲斐ない。
技術立国日本。
ここのダムは、最先端技術で建設される。
日本の最先端建築技術の研究実地場所でもあるわけだ。
そのために、予算もかかる。
しかし、日本の建築技術の継承という視点で考えた場合は、
机上の計算だけでの技術ではなく、実質的な技術を使って建設する・・・と言う実技的側面でも経験、そういうことも必要だと。
無駄に痛んでいない道路を掘り返して、新しくするのとは、まったく違う側面、意味もあるのだと。
無駄か無駄でないか・・・だけでなく、たとえ、誰かにとって無駄だとしても、その無駄度合いも加味して考えなくてはならない。そして必要度合も。
そう考えた時に、八ツ場が「無駄の象徴」かのように扱われるのは僕には、疑問が残る。
僕には、その判断はつけられないけれど、
ひとつの側面だけで、評価、判断するのではなく、
色々な側面を知ろうとする努力、伝える努力も必要なのではないだろうか。
目に見えるカタチでの必要性だけではなく、目に見えないカタチでの効果、それも見えるような目を持ちたいものだ。
現地では、目に見えない価値も判断して納得、受け入れを許容した。
それに対する答えが、国からは未だにないわけだが・・・。