「貧困(poverty)」
大きく考えて、貧困層や貧困国、貧困地域なという対象を思い浮かべがちだけれども、
もっと僕自身の手前にあることから考えてみたい。
今日、10月15日は世界的に、Blog Action Day 2008
1人1人がブログというメディアを持った今、
ひとりひとりがメッセージを発することで
全体としてどんなムーブメントが起こせるのか。
という試みが今リアルタイムで進んでいる一日。
そこで僕は今日、決心した。
「毎日、自宅に帰ったとき、『(イ)ただいま(イ)』という挨拶をしよう!」
今、僕はある程度裕福な国に住んで、裕福な地域に住んでいるともいえる。
だけれども、帰宅途中の電車の中で、なんと心が貧困に直面している乗客が多いことか。
疲れきっている・・・とは違った、貧困な表情で貧困な乗車態度。
「譲り合う」、なんて言葉のカケラもない人が多いように思う。
確かに疲れきっている・・・ということもあるだろう。
けれども、自宅のドアを開けて、自分にとって、一番手前の存在である家族に対して
発音しなくていいから(イ)の口をして、笑顔で「ただいま」と言う。挨拶する。そしてまた(イ)の口にしてみる。
すると笑顔で『ただいま!』になっている。
疲れていても、カタチから元気になれそうだ。
多くは、疲れて帰ったときに
『(オ)ただいま(ア)』・・・
疲れたまんまの、「ただいま」、それでは自分以外にも疲れを分けてしまいそう。
それこそ、一番身近な、貧困の拡散だ。
どんなにお金持ちでも、どこかしら貧困である人もいれば、
一方、金銭的に余裕が少なくても、貧困と無縁の人もいる。
それから、本当にちょっとの余裕も、いや、なくて、貧困の人もいる。
だからこそ、希望としては・・・理想としては、・・・
金銭的に裕福な人が本当の意味で裕福であって欲しい。
さすれば、貧困と言う問題に対して、心の裕福からその裕福を分散することで裕福に近づくと思うから。
余裕を分散するのではない。
ある意味辛辣かもしれないけれども、
裕福をファッションとして、その裕福を身に纏うことで満足な、貧困層もいるということ。
そんなチャリティーを目の当たりにしたこともいっぱいある。
つまりチャリティーがアクセサリーになってしまっている裕福な貧困層。
当然、反論もあるだろう。「実質集まって寄付できたのだから」と。
でも、常に貧困は人間の中のどこかにある。
それに負けないことで、裕福の充足を味わえて、裕福の本質が発見できれば、
ファッションとして裕福を身に纏うよりも、もっと速く、大きな貧困問題は解決できるかもしれない。
そこで僕自身が考えた上で始めるのが、一番手前で身近な、『(イ)ただいま(イ)』という挨拶なわけだ。
これは一番初めのことだから、そこから派生していくことも当然。
これが拡散できれば、僕の利用する田園都市線はもっと裕福になるはず。
1990年代後半って、僕は小田急でも通勤していたのだけど、その時は田園都市線の方が裕福だったように感じていた。
でも、今は小田急線に裕福を感じる。
この前も小田急を利用した時も混雑した車内で席の譲り合いが。
今、小田急線では頻繁に見かける。
一方、なかなか田園都市線では見かけない。
貧困な感覚。
色々な貧困がある。そんな中からまずは自分自身たちの中にある「貧困」を解決してこそ、より大きな「貧困問題」を解決するスタートになるかもしれない。
まずは、今日、色々な「貧困」について考えてもらえないだろうか。
そして、貴方が記事を書けるのであらば、「貧困」について今日、ブログを書いてもらえないだろうか。
ファッションとしてはこの活動は成立しない地味なものだからこそ、価値がある。貧困に立ち向かう本質がある。
そしてココを読んで、登録してみてはどうだろう。
今日は番組でも3時間、このことについて。ブログ以外にもラジオの電波を通してミンナで考えたらどうなんだろう。
どこの放送局よりも時間的には長いんじゃないかな。
現場でも『(イ)おはよう御座います(イ)』で挨拶してみよう。