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2008/05/27

「死にたい」と「死のう」の大きな壁

川田亜子アナウンサーが他界してしまった。

自らの決断によってなんだよね。

色々な意見が出ているけれども、

でも、意見を言う方々は生きている方々であって、

そこまでの決断はしたことないはず。

たしかに・・・たしかに・・・ほんとに確かに、自ら命を絶つことはいけないと思うんだよ。

だからって、終始、否定から始めると言うのもどうかと思う。

その選択、決断をした人というのは、

つまり思考自体が、僕らとは違う領域に踏み込んでしまったわけだ。

僕らだって、「死にたい」なんて思うことはあるだろう。

これは多くの人にとってもあることかもしれないし、

電車の中や、お酒を飲んでいても、聞かれる場合もある。

でも、「死にたい」ではなくて、彼女や、僕の弟、それから・・・

その場合それが

「死のう」になったわけ。

コメンテーターだって、今まで生きてきて

「死にたい」って思ったことはあったことだろう、

「その時のことを考えればまだ頑張れたはずなのに」とは言ってるけど、

コメンテーターは「死のう」なんて決断はしたことないわけで、

ある領域によって決断があったのかもしれない。決意した人のその領域、

そこには達してないわけ。

そこは本人じゃなきゃわからない。

コメントできてるからには「死のう」には至ってないわけだ。

「死んだらイケナイ」「死んだら負け」ではなくて、

そこは、もう、僕らの考えが及ばない領域である思考に対しては、もう通用しない。

だからこそ、「死のう」と決断させる悩みや、その悩みを生む社会自体が変化することを考えなければならないと思う。

「死にたい」と「死のう」では、大きな壁があるのだ。

僕は思う。

「死んだらダメ」「死んだら悲しむ人が居るはず」「死んだら負け」ではなくて、

僕は言う。

「死んで欲しくない」です。

「僕はあなたに死んで欲しくない」

そう素直に言う。

僕もあなたに関係するから。

僕でそれを、その決断を薄めることはできないかい?

僕はそんな大した人間ではないけどさ、

でも、ちょっとだけ「死のう」を「死にたい」に薄めることに協力は出来ないかい?

人に言うのではない。

僕の気持ちとして言う。 僕が言う。

「死んで欲しくない」何度だって言うよ。

大きな壁は、生きてる僕らが見えないところにあって、

その壁の存在に気付かずに「死んだらダメ」とは言いません。

ただ、「死んで欲しくない」のです。

川田さん、ご冥福を祈らせてください。

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コメント

僕は言う。
「死んで欲しくない」です。
「僕はあなたに死んで欲しくない」
そう素直に言う。
僕もあなたに関係するから。

川田さんが生前にこの言葉を耳にすることができたら、あちら側の世界行ってしまうの思いとどまることができたかもしれませんね。

私は数年前に自殺を図って失敗しました。なぜ生き延びてしまったのか、わかりません。今もふと苦しくなることがあります。自殺しようとしたあの時、もし誰かに同じような言葉をかけてもらっていたなら、どんなにうれしかったかなと思います。

ご冥福をお祈りします。

投稿: のん | 2008/05/27 16:44

「死にたい人」、「死のうの人」の心理状態、もっと言えば脳の内部の状態は、余人の想像の及ばない状況にあるのですね。自殺者の企図が未然に気づき難く、自殺がほぼ意外な驚きをもって受け止められるのが、その事をよく現していると思います。希死念慮を持った人が何らかのシグナルを発していて、誰かが運よくそれを察知した場合でも、それを実行させないためには、家族でも友人でもよいのですが、ある種の病気の介護のように、一人以上の人間が四六時中つきっきりでサポートをする、実際そのくらいの労力が、一人の自殺を防ぐためには必要なのだろうと想像します。しかしながら現今の日本には、そもそもそのように密接な人間関係すらが、もはや希薄なのであり、このような希少で稀有なサポートを施す、他者の労力と余裕に出会うこと自体が幸運なのだといえるでしょう。自殺をする人の不幸は、この時点からすでに発しているものと考えます。してみると日本人は、ほぼその全体が不幸せであるともいえるのでしょう。立川談志師匠は以前、「こんな嫌な世の中だもの、むしろ死にたくなっちゃう人のほうが正常なんじゃないの?」と曰っていましたが。

投稿: ファイナル・デスティネーション | 2008/05/27 17:01

私の大切な人は今死にたいって言ってます。私は私なりに支えてきたつもりでしたが・・・何の支えにもなっていなかった。とても悲しいです。私も昔は死にたがり屋でした。でも、友達にそんな事は止めてと言われてからは死にたいとは言わなくなりました。誰でも死んでしまえば悲しむ人がいます。それを分かって欲しい今は辛いけど・・・一生辛い事が続くなんてことはないのだから、一人じゃない、乗り越えられるよと言うこの言葉はいつになったら彼に届くのだろう。
どうか、生きて欲しい。あなたは一人ではないのだから・・・

投稿: かずっぺ | 2008/05/27 19:26

自分とは『選ばれし者』である!
1人の男と1人の女が出会い、1人の人間が生れる確率が4兆分の1。
そんな中で、生れてきた自分とは『選ばれし者』なのである。(←偶然、何気なく聴いていたラジオ番組で耳にした言葉です。)


自分が、この世に生れた価値を考えて欲しい。
ある領域に踏み込んでしまっても、どうか思い止どまって欲しい…。
私も「ただ…、ただ…、死んで欲しくない…。」同感です。

投稿: みきてぃ☆ | 2008/05/27 19:52

かなりの方が、死にたいと思ったことってあるんじゃないかな・・・
私も、若いころはよくありました。
年をとるにつれ、だんだん減っていきました。
生きていく要領がよくなったのかもしれないし、
その、嫌な思い(状況)から、逃げられないことは
ないって気がついたのかもしれません。

現状や、普通を守ろうとすると
無理かもしれないけど、
普通じゃなくてもいいやって、
思えたときに、死ぬってことが
なくなってしまいました。

いま、次男坊が、ひきこもり気味で
それが唯一の悩みです。
一時期は、連れ出したり
いろいろ試みましたが、
今では、元気であれば
いつかは・・・と、思ってます。

身近な人が、「死ぬ」ってことは、
苦しいですね。
わたしも、助けられなかった人が
一人います。
残念で苦しくて悲しくて、
死ぬなんて思いもしなくて・・・
二度と、こんなことがないようにと
願ってます。

投稿: tora | 2008/05/27 20:11

とても、ショッキングな出来事です。こんな美しく若いアナウンサーが自殺するなんて・・・。そこまで、追い詰めたものは何なのか?! 「死ぬ」と言うことは、とっても苦しいこと。私には絶対できない!自分の命を自ら断つなんてこと。こんなことになる前に、何とかならなかったのかと悔やまれます。人間、いつかは必ず訪れる「死」。そんなに急いで逝かなくてもいいものを・・
たぶん、根が真面目すぎるのかな・・。やっぱり、人間少しアホになれたほうが得かも。

投稿: ekotann | 2008/05/27 21:23

ただ、ただ、ご冥福を祈る気持ちでいっぱいです。


「死ぬなんてダメだよ」
そう遠くない頃、私は友人から激怒されました。その瞬間に食い止めてくれた存在も。
生きたくても志半ばの人だって・・・。
上手く言えないけど、綺麗事じゃなく本当に、今を生かされていることに感謝です。

このような報道がある度に、友達だったら、知っている人だったら、見かけたら、悩みや話を聞いてあげたかった・・・純粋にそう思います。

投稿: ブルーベリーじゃむ | 2008/05/27 21:40

 どこの世界でも同じかもしれないけれど、他局からフリーになって別のテレビ局で仕事…
 川田さんは、本当によくがんばったと思います。
仕事の面では、川田さんが局アナだった場所もフリーになって仕事をされた場所も川田さんと同じ順序で関わった者として、色々と思うところがあります。
 アナウンサーが項目ごとに原稿を読み終わるときの口元だけでも、違いがありますものね。
 おつかれさまでした、川田さん。
 

投稿: りょう | 2008/05/27 22:00

私の妹も自死しました。

なので『死んで欲しくないだけ』という気持ち、とてもよくわかります。

自分達の壁の向こうの思考になっての決断、今ならこれもよくわかります。

身近で経験したからこそ知った、誰の中にも潜んでいるであろうことだと思います。

うわべだけの同情では、弱さや奇異の目でのコメントになるでしょうね。
しかたがないことですが。
生きやすい世の中になるために必要なのは、精神的に成熟することと、ありのままの自分でいられる場所があること、なのだろうと思います。

投稿: びんず | 2008/05/28 00:48

絶対に死んで欲しくありません。
こんな形では、もう冥福を祈る事しかできません。
TBSのころから、よく見てました。
ホンの少ししか知らない私でも、心が傷つくんです。

親族の方は、なお更だと思います。

でも、今はゆっくりと休んでください。

投稿: かづ | 2008/05/28 02:38

あれだけの聡明な人が死を選んだのですから、相当な苦しみがあったことと思います。我々はそれを推察するしか出来ないけど。ショックな出来事でした。

投稿: nora | 2008/05/28 08:43

ブログを読みながら色々考えました。
生きているもの総て、生に向かっている、と思います。
感覚としてひどい苦痛を伴っていても、生に向かっている。
本当の自分は生きたい、のだと思いました。
どこかで、生きたい気持ちを振り切りきる別な自分が強くなっていく。
私も叫びます。「どうか死なないで!!」
・・・ご冥福をお祈りいたします。

投稿: かとりん | 2008/05/28 10:32

「死のう」と決心した人に周りは見えていません。
また、自分自身も見えていないと思います。
社会が悪い?自身が弱い?周りが悪い?
全てNOだと思います。

実行に移る前に何かしらのサインを出していたはずです。
周りの人がそれを見極めることができるように、
本人の痛みや苦しみがわからなくても、
関わってあげられるように...。

岡田さんの意見に賛同いたします。
もうこんな悲しいことはたくさん。

岡田さんをはじめ、
"自分に近い人"を自らの命を絶つことで亡くした方々。
心よりお見舞い申し上げます。

投稿: m_h | 2008/05/28 13:19

自分が死のうと思った体験を人に話すことや、それに対する相手の反応を想像してみると、「死んだら負けなんだから、その時死なないで良かった」といった言葉も、逆に「そうやってまだ生きてるんだから、本気で死ぬ気じゃなかったんだろう」といった言葉も自分にとっては無意味なことに気付きます。ベランダに出ようとして障子に手をかけるところまでいったのに、どうして自分はまだ生きているのか?「怖くなったんだろ」と人が言うのは自由です。自分に言えるのは、そういう事が起こった、ということだけです。論理的な考えや言辞が通用する世界は意外に狭い、と感じます。

投稿: k | 2008/05/28 13:47

「思考自体が、僕らとは違う領域に踏み込む」
まさしくその通りです。
その領域に踏み込み抜け出せなくなる寸前まで
経験したので、死にたいから死のうへ変わる
気持ちは痛いほどわかります。

生きたいと思うエネルギーが弱っているのです。
私も弱ってました。どうしていいのかわからないまま、
病院になんとか行って、うつだといわれ、
薬で治療してもすぐには良くならない中で、
なにかにすがっていました。すがろうとしていました。
深夜眠れない中で、インターネットでうつだとか
自殺とかのキーワード検索して
以下のホームページにたどり着きました。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/hennsinn02.html

涙が出てとまりませんでした。救われました。
もし、あなたが今、誰にも相談できずに、
自殺を考えているなら、実行する前に
一度このHPをみてください。
それからでも遅くないですから。絶対に。

「心理学総合案内こころの散歩道/いやしの道(臨床心理学入門)/」「自殺と自殺予防の心理」というキーワード検索からでも辿り着けるはずです。

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/hennsinn02.html

投稿: てりまかし | 2008/05/28 14:31

「思考自体が、僕らとは違う領域に踏み込む」
まさしくその通りです。
その領域に踏み込み抜け出せなくなる寸前まで
経験したので、死にたいから死のうへ変わる
気持ちは痛いほどわかります。

生きたいと思うエネルギーが弱っているのです。
私も弱ってました。どうしていいのかわからないまま、
病院になんとか行って、うつだといわれ、
薬で治療してもすぐには良くならない中で、
なにかにすがっていました。すがろうとしていました。
深夜眠れない中で、インターネットでうつだとか
自殺とかのキーワード検索して
以下のホームページにたどり着きました。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/hennsinn02.html

涙が出てとまりませんでした。救われました。
もし、あなたが今、誰にも相談できずに、
自殺を考えているなら、実行する前に
一度このHPをみてください。
それからでも遅くないですから。絶対に。

「心理学総合案内こころの散歩道/いやしの道(臨床心理学入門)/」「自殺と自殺予防の心理」というキーワード検索からでも辿り着けるはずです。

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/hennsinn02.html

投稿: てりまかし | 2008/05/28 14:35

私も…かつて「死のう」と思った人間です。
未遂ですみましたが…。
今は、出会えた人にありがとうと言いたいです。
眞善さんのメッセージが、心に響きました。
彼女の死は本当に残念です。
周りに居る人が一人でも、サインを察知してあげれたら…。


心からご冥福をお祈りします。

投稿: 葉月葵音 | 2008/05/29 03:32

死のうと決断してしまった方々は頑張り過ぎてしまったのだと思う。そして死のう決断しようと思ってる方も頑張り過ぎてるんだと思う。
もういっぱ、いっぱい頑張って来たんだからそんな自分を認めてあげましょう。
たくさん自分自身を褒めてあげましょう。
自ら命を絶ってしまっても楽になれる保障は何処にもありません。
どんな失敗があろうともどんなに苦しい事があったとしても今まで一生懸命頑張って生きてきたんだからそんな苦しみを無駄にはしたくないと自分自身が一番良く知っているはず・・・
苦しみの中にはたくさんの気づきもあるはず、そして自ら命をたってしまった方や死のうと決断しようとしている方程、とっても純粋でとっても優しい方達なはず・・・
その苦しみや痛みを持っているからこそ同じく苦しんでいる方の辛さもわかってあげれる人になっているはず・・・
いっぱい苦しんで頑張ってきたんだもん、そんな自分自身を認めてあげて、そしていっぱい愛してあげて欲しいです。
そして自ら命を絶ってしまった方の苦しみ頑張った事を認めてあげて欲しいです。そしていっぱい愛してるって言ってあげて欲しいです。

投稿: パンジー | 2008/05/29 09:58

私は今現在心が不安定です。何もかも上手くいかず、「死にたい」と思うことがしばしば。このブログを読んで、コメントを呼んで泣いたぁ。上手くは言えないというかよく分からないけど、ほんの少しスッとした。絡まった何かがほぐれた感じ?何が絡まっていたか分からないけど。。気持ちが軽くなるってあるんだね。
前にほんの少し気が沈みそうになった時、無意識のうちにラジオに愚痴メールを送ってた。そしたら眞善さんから御葉書が。その時も救われた。二度も。ありがとう。私も同じ様に心が重くなってしまった人、救えればいいね。少しずつ。きっとタイミングとフィーリング。

投稿: 揚羽 | 2008/05/29 16:00

その通りですね。
川田さんの場合、ブログを見る限りでは「生きよう」と頑張っていたけれど
死んでしまった。
まだまだ若いし、キレイし、その辺のOLよりも裕福だろうから
まわりからは「死ぬなんてもったいない」って思われているだろうけど
本人としては辛い状態だったんでしょうね。
「ほとんどの悩みは金で解決できる」と言う人がたまにいますが
金で解決できないことが、人生の全てだと思います。
愛情とか友情とかね。
そういったものが崩れていったんだと思います。
可哀想に。
50年くらいしたら私は寿命であの世へ逝くと思いますが
向こうでは友達になりたいですね。川田さんのほうが良ければ。

投稿: エンキドウ | 2008/05/30 15:37

家族のために、今、生きています。

投稿: 風花 | 2008/05/30 15:50

色々メールもコメントも、本当に有難うございました。

僕自身の考えを書いただけにもかかわらず、そこにこうしてコメントやメール、ありがたいばかりです。

そしてこれを読んでくださっている皆様がそれぞれ色々考えを持っていてくださること、そしてそれを伝えて下さること、教えてくださること、僕には大きかったです。
勉強にもなりました。

その上で、僕はお願いしかできないのですが、僕自身の気持ちとして、やはり「欲しくない」という言葉なのです。

投稿: 岡田眞善 より。 | 2008/05/31 07:21

理由はわからない。きっと本人にもわからない。死を選択した時の自分は魔がさしてたって思う。少なくとも自分が自殺したら、後でそう思う。でもわからない。そう、その領域まで達してないのだから。生きているこちら側の人間からすれば何故?、と?だらけだけれど、生きている自分だっていつ綱渡りの綱から足を踏み外すかわからない。
よく『自殺という選択』というけど、選択というほど、上等なひとつになんか数えられないと思っていた。生きているこちら側からすれば『選択』ではなく『逃げ』だと思っていたから。ただ、眞善さんのブログを読んでいたらその考えは少し違う様な気もしてきた。もちろん自ら命を絶つことはいけないことだと思うけど、でも、彼らはひとコマひとコマ隙間なく生きた人なんじゃないかなと。。きっとあらゆる事に妥協がなかった。そういう意味では人一倍『生』の人だったのかもしれない。
こういうことがあると何故止められなかったのか議論されがちだけど、亡くなった人間に対して、それはまわりが後から思う事で、そのタイミングに気付ける人間なんてほぼいないと思う。まわりからしたらきっとそれは前触れのない突然過ぎる事。今回のブログ、何度もなぞりながら、『だからこそ、そう決断させる悩みや、その悩みを生む社会自体が変化することを考えなければならない』というところに、心の中で何かが響いた。自分の身近なところから目を向けてみようと思った。私もその社会をつくっているひとりだから。そして、ほんの少しだけどある事に気付かせて頂きました。
川田亜子さんのご冥福を祈らせてください。

投稿: 始 | 2008/06/01 14:34

誰もが、一度は(死)を考えるのではないでしょうか?
苦しい時、もう何もかも嫌になってしまった時・・・
人生楽しいことばかりじゃないし・・鬱になりそうな時ってありますよね!
私の友達が言ってました(少々見える子)
この世の中が嫌で、向こうへ行くと楽になれると思って(死)を選ぶけど、大きな間違いなんだよって・・
自ら死を選んだ人は向こうへ行っても、真っ暗な所をず~っと彷徨わなければならない・・針の穴ほどの光もない・・向こうへ行っても苦しさは変わらないし、まだ苦しさが増すかも知れない・・誰もいないし、真っ暗・・
死を選ぶ前に、友達に話しをするとか、一人で抱え込んじゃダメ!って・・
岡田さんが言うように、大きな壁を乗り越えて欲しいです

投稿: ささやん | 2008/06/02 07:51

もし朝、起きた時、心を持ち上げる気力も体力もなかったら、生きることを諦めてしまうことはあるかもしれない。

投稿: Y | 2008/06/03 22:32

この文章を読んで涙が止まらなくなりました。
実は私は精神病の病気と闘っています。
そこで口癖のように…もちろん本気で「死にたい」と言っています。リストカットもたくさんしてます。何度も死にかけました。
でもこの文章を読んで1から考え直そうと思います。
通りすがりですがコメントさせていただきました。

投稿: ひろみ | 2008/06/20 20:11

昨日 自殺しようと 睡眠導入剤と炭を買って ある山の上まで車で行きました。 最後にほんとに楽に死ねるのかサイトを眺めていたら この文章を見てしまいました。 その時 ふっと我にかえりました。 ありがとう ありがとう ありがとう
今日 生きています

投稿: よっしー | 2008/08/07 23:36

私は、母親が病気でつきっきりで介護しなきゃいけない状態で、夢もやりたいことも遊びたいこともたくさんあるけど、介護があって出来ない状態です。
当然、友達の付き合いも悪くなってしまい、友達も減っていく一方。
いったい私は何のために生きているのか?と考えると泣いてしまうことが多々ありました。

辛いです。『死んだらコレから解放されるのか』と介護中にどうしても考えてしまう。
楽になりたいと思う一心に。

そう考えこんでネット検索していたら、この記事に辿り着き、記事を読んで泣きじゃくりました。

切羽つまって真面目にやりすぎたのかな?と思いました。
肩の力抜いて、深呼吸して、
今日はバカになった気分で、羽のばしに遊んできたいと思います。笑

本当…この記事とコメントされた方々に救われました。

本当ありがとう。

本当に本当にありがとう。

投稿: 浅海 | 2008/08/10 16:57

ありがとうございます。

心に響きました。

投稿: | 2008/08/22 06:32

ありがとうございます。

心に響きました。

投稿: | 2008/08/22 06:33

あったかいよ

投稿: 通りすがり | 2008/08/28 08:32

コメントしていいものかどうか、迷ったけれど…。やっぱりお伝えしたかったから、拙いなりに書かせていただきます。

私もできる限り、眞善さんと関係していければ…と思っています。ささやかな応援にすぎませんが、それでも、できるだけ長く…って。

眞善さんという存在がいて、語りかけてくださる。
私は、これまでに何度も救われてきたのです。

だから逆に、眞善さんのことが、心配になっちゃうことも(←無用!だったりして(笑)

私が眞善さんにお返しできること、ちょっとずつ考えている時間も楽しいですし、そんなひとときが私を支えてもくれていて。

これからも、眞善さんが想ったようにお仕事をし、生きてくださいね(^人^)応援しています。

投稿: ai | 2008/09/14 04:23

岡田真善様
池袋の舞台、拝見しました。とっても
いい舞台でした。このエントリー、5月に読んで
ずっと心に残っていました。私が管理している
Blogで今日紹介させていただきました。
もし、何か不都合がございましたら
御連絡ください。
これからのご活躍をお祈りしています!

投稿: クララ | 2008/10/10 18:01

メッセージありがとう。
どんなことがあったか、わからないけれど、またメールしておいで。
それでさ、享楽を楽しむことも助けになるかもしれませんよ。

投稿: ゆう へ | 2008/11/17 14:37

はじめまして。

検索していて目に留まり記事を読ませて頂きました。とても心に残ったので、私と同じように『生きる』と『生きない』の硲に居る離れて暮らす友達に「こんな記事を見つけたよ」と 伝えました。

人は同じ境遇を経験しないと、なかなか理解出来ない…したくても出来ない場合もあるかも知れないけど。。。

だから理解されないまま逝く人は沢山いると思います。


けれど、この記事は、違ってた。
有り難いなって思いました。

私は(私たちは)その見えない壁を前にしています。 その壁は高くて低く厚くて薄い。いつも目の前にあります。

今日も。

投稿: 蒼 | 2009/01/28 16:25

眠れないので何気に検索。。。
物凄く泣きました。泣けました。

ありがとう。
まだまだ生きますね!あたし!!

ありがとう。。

投稿: はじめまして。 | 2009/02/20 01:32

素敵な方ですね。感銘を受けましたweep

投稿: ゆき | 2009/03/11 03:28

死のうと思う人は、もう頭の中がいっぱいいっぱいで、何にも考えられない…
引き算で一つでも答えを出したら…一つの道が在るのかもわかりません。
僕は今、ピエロでタイトロープ中です。
いつ答えが出るのか、わかりません。
みんなありがとう。

投稿: そら | 2009/03/29 17:51

ありがとうございます。
この文章のおかげで、気持ちが少し楽になりました。
本当にありがとうございます。その言葉が嬉しいです。

投稿: コザル | 2009/04/05 22:25

ありがとうございます。
この文章のおかげで、気持ちが少し楽になりました。
本当にありがとうございます。その言葉が嬉しいです。

投稿: コザル | 2009/04/05 22:26

ありがとうございます。

本当にありがとうございます。ほんのすこし生きる勇気がわいてきました。

がんばります。

投稿: さおり | 2009/05/19 17:10

この言葉を言ってくれる人が
理解してくれる人がそばにいたらどれだけ幸せでしょう

いま携帯を手にとっていたのは、この言葉を探していたのかもしれません
おやすみの方法を探してたはずなのに

この言葉がたくさんの人に届きますように

投稿: とも | 2009/05/23 04:09

ありがとう。
涙が出ました。
少しその言葉に救われました。

投稿: | 2009/07/31 12:36

死のうと思いココに辿り着きました。皆さんのコメントを読ませていただいて死にたいのは自分だけじゃないし、「死んでしまえば楽になれると思ってたけど、死んでも、ちっとも『苦しさは変わらない』し増すかも知れない」って、苦しさが変わらないんだったら、今真っ暗な闇の中にいて光さす時なんて来るのか分からなくても目は見えていて明るさは感じられるこの世界でやって行くしか仕方ないんだって思いました。生きていくってホントに辛いけど、死にたくなったらココに来て今のこの自分の心境を読み返して、みんなのコメントを読んで明日に繋げて自然死できるまで生きていかなきゃと思います。皆さんありがとうございました。それから、死ぬ行為の前にココに来れたことを神様に感謝して、何より一番はこのブログを設立していただけた岡田眞善さま本当にありがとうございました。

投稿: M | 2009/08/22 23:31

「生きたい」と思える出会い。。このブログを読んで、もっと生きたいと思えた人はどれだけいるのでしょう?まだまだ、やりたいことがあると起き上がれた人はどれだけいるのでしょう。涙を流しながら、込み上げる感情をぶつけることもできずに、悶々と一人闘う人に、眞善さんの一言、一言が何か心に柔らかな、想いを届けるように。。あなたに出逢えた私もまた、まだまだやりたいことがたくさんあると、気付かせてもらえた一人。勇気をありがとう。出逢えて本当に良かった。

投稿: いちこ | 2009/09/20 10:02


ごめんなさい
偽善にしか聴こえない

投稿: は | 2009/09/23 00:42

涙がとまりません…
死にたい・死んだら駄目・死んだらどうなるか・沢山のものを残して本当に死ねるのか…

『死んで欲しくない』その言葉をかけてくれる人が欲しい…

投稿: はな | 2009/10/22 19:31

死にたいを検索して来ました。一度死のうとしたけど、死ねなかった。死にたいって何度も言ったけど、誰もわかってくれなかった。だから「死のう」になった。
今また死にたいになりつつあって怖い。だけど、また誰も助けてくれない。あたしの存在って何だろう…。そんな気持ちでいっぱいです。

投稿: かずこ | 2009/11/06 00:27

死ぬ前に何かなるべく迷惑かけないいい方法ないかなーって調べてたらこのページにたどり着きました。
誰に相談しても、お前が弱いとか、学校辞めたらどうするんだとかばっかり言われて、逃げ場はないし、誰にも必要とされてはいないんです。
けど、あなたの「生きていて欲しい」という言葉。少し心が暖かくなりました。

投稿: あさ | 2010/01/21 20:53

今の自分が、何をしたいのか、どうすればいいのか、もがいて・・・考えても、考えても、結局は、心の中で、自分との闘いで・・・


きっと、自分の存在を愛しいと思ってくれている、そんな人がいてくれたら、いることに気づけたら、心から愛を知る。

眞善さんのその一言で、1人でも多く、愛を感じてもらえたら・・・

この世界中みんなが、1人1人の愛があることに気づけたら、、、

また、顔をあげられるのかな

この空にも、愛がある。

この空を見上げてほしいです。


思いっきり、泣きながら、叫びながら・・・

生きたくても、生きれなかったそんな、尊い命のためにも。

投稿: いちこ | 2010/01/22 20:42

昨年二十歳になった息子を亡くした親父です。

自死する前にここに来てたらなぁと思います。
たまたま見つけて読んで涙ボロボロ泣いてます。

運命かな。壁の向こうに行ってしまった。間に合わなかった。

気づいてあげられなかった。

死んで欲しくなかったよー。

死にたいと思うことはあるけど、お前の分まで生きるしかないか。

せめて楽になっているといいんだけど。

投稿: べじたりあん | 2010/06/28 10:29

最近ずっと死について考えており、ふとした瞬間に「死にたい」という気持ちが抑えられなくなっています。

多分私は今、「死にたい」と「死のう」の境界線上にいて、アンバランスな状態の中、なんとか「死にたい」に留まっているのだと思います。

そんな時「自殺はいけない」とか「病気や震災に見舞われても頑張って生きていこうとする人々がいるんだから」という言葉は、正直全く心に響かず、かえって自責の念が大きくなります。「死にたいなんて言ってはいけない」と自分でも分かっているからこそ、それでも死にたいと思っている自分が嫌になってしまいます。
結局「死んではいけない」というのは、生きたいと思っている人・死にたいとは思っていない人たちの論理でしかないんですよね・・・。

そんなことを考えながら、この記事に辿り着き、この記事を読んで号泣しています。身近な人に「死にたい」という気持ちを伝えられ、身近な人が「死んでほしくない」って言ってくれれば、きっと少しは救われるような気がします。

これからの自分が「死にたい」に留まるか「死のう」というところまで踏み込むかは分かりません。でもこの記事を読み、少しだけ心が軽くなったように思います。
「死にたい」って思っている人は、「生きたいと思いたい」って思っているんです。

なんだか、思いつくままに文章を書き連ねてしまい、申し訳ありません。自分のことしか書いてなくてごめんなさい。でもこの記事を読んで、どうしてもコメントしたくなってしまいました。

投稿: なこ | 2011/03/27 23:59

初めまして。
死にたいと検索してここにたどり着きました。

川田さんの死は確かにショックを受けました。
今でも信じられないですし好きなアナウンサーでした。

自分も今死にたいと死のうという狭間に立っていると思います。

自分が思うにその二つの違いは自分に抑止力があるかどうかだと感じます。
死にたいは自分ではわからないから助けを求めてる行動だと思います。死のうはもう求めておらず死を望むだけ。。。
自分も死にたいという側に戻れずに、死のうという気持ちだけが毎日増しています。
死にたいという言葉の側に戻る言葉があればいいのですが。

長々と個人的な事を書いてしまってもうしわけありません。


岡田眞善さんのような考え方をしてくれる人がもっと増えたらいいんでしょうけどね…。
そうしたら日本はもっと良くなると思います^^

古い記事へのコメントもすみません。
この記事をみたらどうしてもコメントがしたくなってしまって。

投稿: クリア | 2011/07/27 00:20

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