難題
昨夜、ちょっと難しい会話があった。
あいつぐ劇場の閉鎖。
演劇は衰退していっているのか・・・。
そんなお話。
これだけ色々なメディアが出来上がってきている時代だと、観る方も、昔とは大きく違い、新聞の劇評だけが頼りではなくて、色々な人のブログでの感想も一発で検索、そして発見できてしまったりする。
それで観たくないと思われたりすることもある。
「高度な演劇」という言葉も出たりしたのだけど、その「高度」というのは、作る側、ステージ側が勝手に思っているだけのことなのかもしれない。
信念の元に演劇を作り上げるというのも大切だけれども、それで結局衰退してしまう一翼・・・になってしまっては、興行的には意味がない。
なんでもかんでも「意味」を求めるのもオカシナ話。だけれど、興行では意味がないとその先に続かないことも起こり得るわけで。
だから、時に思うのは、「高度な演劇」とかではなく「無意味な演劇」であってもいいから興行的に求められるものを作ることも、今は必要な時代なのかもしれない。それは、観る側にとっては無意味ではなかったりする。
偶然にも、その前夜、ドラマについての話で、似たような話で僕は勉強になていた。
「業界受けする、品質の高いドラマがある。けれど、数字が取れてないんだよね・・・」
みたいな話。それはテレビ業界の考える「高度なドラマ」なんだと思う。
けれどその時、その時間に求められていないドラマなわけなんだろうなー・・・・。と、悲しくも冷静に推察してるみんながいた。
あのドラマが、深夜番組のドラマならば、かえって話題作!
しかし、ゴールデンタイムのドラマ人気としては「衰退」という言葉と結びついてしまう。
舞台もそうなんじゃないだろうか。
舞台が衰退してるのではなく、その中身の演劇が衰退に結びつく、高度な演劇をしてしまっている。
高度な演劇=舞台人が思う高品質なやってみたい演劇
高度な演劇≠集客できる作品・・・
高度な演劇=観たいとは思われてない
高度な演劇≠観客の欲求に答えられる
という図式。
劇場に足を運ぶ方々は、舞台人の考える高度な演劇、を求めていない場合もある。
というより、おそらく求めてないから、足が遠のく。
僕らの考える「高度」が本当の高度なのかもわからない。
迎合と言われようが、トヨタのように、求められる車を作って、ユーザー獲得。それからハイブリッド技術に代表されるような独創的チャレンジ。
そして、ハイブリッド車も買い替え需要、普及に結びつく環境づくり。
ラジオ業界では「リスナーを育てる」と言う言葉もある。
そうすることによって、番組自体も育てられることになる。
それに成功したのがJ-WAVEやnack5だったりするんだけど、あのステーションは独自の粋な笑いがあって、それを楽しめるリスナーがいる。高度な笑いがあったりして、それが通用している放送局。
もし場所をかえて、そうでない環境で、今の、そのまんまの番組だったら、リスナーにそっぽをむかれていたことだろう。
つまりリスナーと共に成長した放送局。
演劇も、観客を育てる・・・そんな意識でまずは舞台の魅力を普及させる。
今、観る人は観るし、観ない人はまったく関係ない世界になってしまっている部分もある。
演劇リピーターによって支えられているばかりで、新規顧客をつくれないでいるのではないだろうか。
観客によって育てられる舞台があってもいい。提案ばかりでなく、受容して育つのもいい。
まずは舞台の、あの空間で生で、リアルタイムに進行する演技の魅力を味わってもらう。そのための演出も必要だろう。
だから映画に比べて値段が高くても納得してもらえるような環境だけでも魅力に感じてもらえれば。それだけでもいい。
それは演出家のしたい、したくないに関わらず、それが得意な演出家がいてもいいかもしれない。
いっそ、高度か、高度でないかは観客の判断に任せよう。しかも新規で舞台を味わいに来た人に。
新規舞台観客開拓請負演出家。
なんだか中国語みたいな漢字の羅列になってしまったけれども、そういう演出家がいてもいい。
さらに、その次に、舞台人が考える高度な演劇が待ち構えていてもいいんじゃないか。
僕自身、演劇で高度ではないかもしれない。舞台を味わいに行って、よくわからない作品もある。おそらく高度な演劇なんだと思うのだけど、そんな雰囲気はわかった。
でもでも、中身はよく理解できなかった。
だから、そうでない演劇。
もっと
それも必要かも。
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