昨日までの二日間は、宇都宮で生放送だったために、更新が出来なかった。しかも今回はずっと忙しかったから、携帯からも更新できず・・・。
さて、ラジオっていうのは、僕が好き過ぎるからかもしれないけれど、パーソナリティーさんの声、口調で、原稿なのか、それとも原稿でないのか、すぐにわかってしまう。
僕は原稿であろうとも、原稿読みのようになることを、極力避ける方向で読んでいる。
勿論、趣味ではなく仕事としてだから、原稿を原稿のまま読む場合もある。
では、他に原稿でない話とは?
中には、自分の話でも原稿を作って、進める方もいらっしゃる。また、僕のようなキーワードシートやチャートを作らない方もいて、勝手に話が出てくる天才もいる。
簡単なことは、自分でも、何も資料なくても話す。
でも、世の中の動きやニュースを自分の言葉で伝える場合は、僕はキーワードチャートを作るようにしている。
これは、話の離陸から、巡航地点、そして着陸空港までを、ポイントごとに自分の文字で書いたもの。チャートのようになっていたりする。
昔の僕の場合、離陸もする、巡航もする。しかし、着陸しない場合があっちゃってりしてね~。おいおい、一体どこまで飛び続けるんだー!!!ってなことになった場合も。
何を言ってるのか、結局、話が収集付かなくなる場合があったり・・・。それは、自分で読み原稿を作ってしまった場合におきやすかった事故ともいえるかもしれない。
カーナビで考えてみて欲しい。離陸(出発地)、途中通過ポイント、到着地だけの入力であれば、いくらでもリルートが出来るでしょ。
だけど、話を文章として原稿を作って生放送で話すというのは、途中、右に曲がって、また右に曲がって、次を左、そこからまた次は右折・・・・というような覚え方をしまっているようなものだと思う。
すると、どこかで、曲がり方を一箇所違えただけで、目的地までたどり着かない状況が発生してしまうというわけ。
一切、突然の寄り道も出来なくなってしまうしね。
はたまた、これがワープロなどの既成の文字だと、またまたわかりずらくなる。
自分の文字で書いていると、その一字一字にニュアンスまで含まれるので、話しやすくなる。その文字を書いた時の感情、思考まで思い起こされるというわけだ。
ただ少ない文字情報であっても、そこの情報量は手書きの場合、何倍にも増える。
それから、せっかく文字を書いても、それを自分でわかるように書かなければ無意味なこともある。
文字と言うのは、考えた証拠なんだと思う。
あるラジオで、あるパーソナリティーはスッチャカメッチャカになってしまっていた。
進行や、段取りがシッチャカメッチャカではなく、話の中身がだ・・・。
何を言いたいのか、まったく意味不明。電波を使って、ありゃーないだろ~!って感じだった。
何万人もの人に対して、「??」という時間を提供してしまった。厳しく言えば、電波を使って、何万人もの人の時間を無駄にしたということ。しかも無駄話以下。
新聞で話題にされている内容を、言葉だけでわかりやすく伝えなきゃいかんのだが、本人がその内容をわかっていない。伝えたいことがなきゃ、その記事をピックアップする必然性すらなくなってしまう。
新聞記事の活字の間に、自分でもわからないくらいの、超ちっちゃな文字で書き込んでいる。それじゃー、文字を書く意味がないというものだ。確認、記憶する為に書いたならまだしも、その超ちっちゃな文字を、生放送中に探してる。
書いた意味ねーよー!!
そして、調べることはネットで検索して、プリントアウトだけ。
そんな行為、それは調べたといわないだろう。ただ資料を揃えただけで、「調べた」と言える状況ではない。何より、自分が理解してこそ、はじめて「調べた」と言えるのである。
言葉には消しゴムがないのだから。
マスの中で仕事をしている責任感があるのなら、図書館に足を運ぶなり、新聞を熟読するなりの努力と責任は持たなきゃいけない。そして、文字を書くこと。
文字を書くことで、理解したという証拠になるとも言える。
さらに、自分の手で文字を書くからこそ、冷静に自分自身の感覚を反省することも出来る。
今回、宇都宮での夜、色々考えながら文字を書いていたら、朝になっていた。
ホテルの窓から見えた朝日は、怖いほどに綺麗な色をしていた。
言葉で伝える仕事をしている。だからこそ、手書きの文字を使って自分を整理しなければならない。その上で言葉にしている。言葉に出来ないことも、文字になら、することが出来る場合もある。
最近、仕事において万年筆を走らせること、それは減っていないけれど、日常で万年筆を使うことが、やはり少なくなってきている。
時には、自分で文字を書き進めて、自分を反省することも必要だと思う。
キーを打つのでなしに、”書く”ということ。
梅雨入り前の、最後の晴れだと今日は言われています。今日を有効に過ごし、
明日から梅雨入りしたら、自室で文字を書くことがあっても、いいのでは?