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2006年9月

2006/09/29

学生の茶髪とピアス、やめれば現金1万・続ければ懲戒(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:学生の茶髪とピアス、やめれば現金1万・続ければ懲戒(読売新聞).

僕は玉川大学だった。
入学式の時の学長の言葉を、今でもはっきりと覚えている。
「大学はレジャーランドではない。自ら学ぼうとする最高学府だ」
「覚悟して学生生活を送るように。」
この言葉から、大学生活が始まった。

確かにその頃、他の大学ではレジャーランド化しているところも見受けられた。けれど、僕が通っている大学は、レジャーランドではなかった。

ピアス、それが原因で学生課で殴られた友達もいた。でも、本人は学生課を恨んでいなかったし、それをもネタにまでして、楽しくやっていた。まわりも納得していた。

要は、義務教育ではなく、自分から入りたいと思って入った大学なんだから、その規則に従うということだった。その規則に従うことを前提に受験したんでしょ・・・もっともな論理だった。
何よりも他の大学より厳しかったのは、授業への出席。
一般的な大学の半分くらい欠席しただけですぐに進級に響く。留年と言うわけだ。でも、そうだったからこそ、みんな頑張って授業に出席していたっけ。だからこそ、多くの友達にも会えるし、すごく授業は楽しかった。

確かに嫌な授業もあったけれど、僕は授業はほとんど好きだった。
大学生活の中心は、友達、そして、もちろん授業。そんな周りの友達も授業に出ているのだから、なかなか休むわけにも行かない。
幸(こう)さんという、年上の同級生との出会いも、すごく大きかった。注意されることもあった。それから先生も好きだった。島川聖一郎先生の授業がとにかく面白かったと記憶している。
今でも、島川先生から教わったことが、色々な面で役に立っている。ラジオで、島川先生の話を、受け売りで話すことも多い。
そして大学では珍しく、学生全員音楽の授業がある。それも今になって、感謝すべきことだと感じている。
音楽の授業があったからこそ、現在の社会でのコミュニケーション感覚を養うことが出来た。

大学生時代には、そんなことまでは気付かなかったけれど、今では、僕は玉川大学を卒業したことを、良かったと感じている。

さて、この記事、こんなんでいいのかなー?
もし僕が、ここの学生だったら、したくなくても、真っ先に髪を染めてピアスをするだろうな。とりあえず一万円目当てに。
僕はそんないい人ではないから、そうしてしまうことだろう。そして一万円を手に入れて、ピアスも髪染めもやめる。

そんな考えをする学生、現れるんだろうなー・・・。

確かに大学も今や、お客様商売と言われているけど、規範が守れない学生は退学させるくらいの覚悟が、大学にもなきゃ。

大学はレジャーランドではないのだから。

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2006/09/24

国旗国歌、僕は起立するし、自信を持って歌う

リンク: Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 国旗国歌 臨時校長会で従来通りの指導求める 都教育庁.

あまりこの問題はテレビでは扱っていなかったけれども、新聞は何誌も購入して、各社説を見たんだけど、面白かった。
新聞社によってこの問題自体の受け取り方がまったく違う。

この入学式や卒業式での国旗・国歌の強制を違憲とした東京地裁判決を、支持するのは朝日、東京新聞。どちらでもないのは毎日。読売と産経新聞は非常に否定的。

では僕は、どれかと言えば読売、産経の意見を支持かなー。
僕が卒業した大学での教えがあったからかもしれないけど、
どんな主義主張であれ、この国に生まれたからには日本人。ならば生まれた国に対しては敬意を持たなければと言う感覚。ほとんどの国でもどんな歴史があろうと、国旗、国歌は大切にしてるんじゃないかな。

国を愛するがゆえに、この国を良くしたいが故に主義主張が違うのは納得できる。この国を良くしたいと考える自民党があり、この国を良くしたいと考える共産党がある。両党は相反する部分は非常に多岐にわたるけれども、根本は「この国を良くしたいから」ではないかな。

主義、思想も、手段も違うけれど、日本を良くしようと考えている。
でも、その国を良くしようと考えられない、または嫌いならば、どうしたいのかがわからない。

主義や思想以前の問題なのじゃないかな。確かに歴史的に見て嫌悪感を味わう方々はいることはようくわかる。だけれども、それを踏まえたうえで、僕らはこの国、国家を象徴する、国歌と国旗に責任を持って良くしていかなきゃ。

国歌、国旗を変えればそれで済む話でもないでしょう。
少なくとも、大前提はここは自由の国。だけれども、それは国民が享受できるもの。
でも、一方で危険性も感じる部分も。
それは小泉政権下では危険だったように感じる。自由な思想、主義の人たちが共存する中で、色々な人が集まって国を良くしたいと動かしてきた。

でも、郵政民営化法案を可決させる時には、違う考え方を持った議員さんを小泉さんは排除した。つまり、自民党から刺客を送り込んで排除した。だとするならば、違う考え方を持っている人を排除すること、そういうところが自民党となってしまう・・・というか、そうなってしまった。そしてその考えがまかり通ってしまった。その自民党が政権を動かしてきた。その考えが肥大化すれば、違う考えを持った人を排除する国家になってしまう・・・そういえないだろうか。
色々な人が自由な発言が出来る。でも、それはこの国の国民だから。
その国民の代表が議員であるはずなのに、その議員を排除するために選挙まで行う。
これは国民への命令なんだと感じてしまった瞬間だった。「民営化に賛成しない人は出て行け!」そう命令されたマクロ図式が成立した。

それで出来上がった郵政民営化で、ポストの数が減った。夜間サービスが無くなった。郵便物の収集回数が減らされることが、昨日発表された。郵貯のお金は、アメリカへ流れ、アフガニスタンとイラクで、その1割が使われている。

国歌、国旗に自由の国を象徴させられるように、安部政権には期待したい。もしこれが、小泉さん方式の踏襲ならば僕は国歌も国旗にも自信をもって敬意を払えなくなってしまう。

でも、歌うし、起立するだろう。この日本を好きだから。

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2006/09/15

@nifty:NEWS 次世代ゲーム機「Wii」、12月発売(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:次世代ゲーム機「Wii」、任天堂が12月発売(読売新聞).

何もゲームが好きでこの記事に注目したわけではないんだけど、
この「次世代」と言う言葉が、最近なんでもついちゃってることをなんか寂しく感じるのです。

「次世代」と言う響き、「最新」という言葉からの派生のように感じられてしまって仕方がない・・・。

そんなに次世代がいいのかなー?
あまりにも進化が速過ぎて、速過ぎれば、それだけ旧世代のものが世の中には溢れかえるわけで。
それらには、あらたに資源だって必要だしね。
どこまでいったら、人間は根本的な生活に満足するんだろうかって考えてしまう。
そりゃー、僕だって新しい携帯になったりすると嬉しけれども、基本的に壊れるまで使う。壊れても、治した方が安ければ治す。
先日、番組で「贅沢」というテーマを扱ったけれども、反響は気持ちのいいものだった。最新の携帯を使っていることが贅沢・・・というメールもあった。贅沢を贅沢と思えているならば安心。
だけれども、それが当たり前になってしまったら、なんか悲しい。
「次世代」と言われてしまうと、それがスタンダードであると言うニュアンスも含まれるような気がする。
「次世代」と言う文字を一週間ごとに目にしてしまうと、どこからが次世代なのかわからなくなってきて覚醒されてしまう。
「次世代」って、もっと大きな時間の流れの中で使われる言葉なのではないかなぁー・・・。
現世代が次世代の物ばかりで溢れかえってしまうようならば、それでは次世代ではないんじゃないかな。新機能や、通信機能がつくと、なんでも次世代と言われているような気がしてたまらない。
フィルムカメラからデジタルカメラへの進化は当時、画素数が低くても、次世代と感じたんだけど、最近は画素数が増えるfだけで「次世代カメラ」なんていわれちゃってる。
もっと「次世代」と言う言葉を大切にしなきゃな~。
そしてそれ以上に「現世代」を大切に考えなきゃね。

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2006/09/09

ゴミは燃やせ!という本を読んで

リンク: 光文社発行の書籍.

Ots_97382_5 これ、先月、番組でも声を大にして熱く語ってしまったお話。

最近、僕の知っているテレビのディレクターさんが非常に熱くなっているので、僕も少し文字にしておこう・・・。

この本を読んだ。
読んだきっかけは、一ヶ月ほど前の読売新聞朝刊の記事。環境問題の専門家が、ペットボトルのリサイクルが、自己満足にしか過ぎない、環境に非常に悪い環境対策になってしまっているという記事だった。

ペットボトル、これをリサイクルしてることで、どれだけ地球に余計に負担をかけていることか。端的に言うと、5倍程度。
驚きのデータがそこには明記されていた。
簡単に言ってしまうと、ペットボトル、新たに原油から新しいペットボトルを作り出すための原油や二酸化炭素排出量に比べて、リサイクルした場合はその5倍の原油を使い、5倍以上の二酸化炭素を排出しているということ。
新品ならば、リサイクルしただけのペットボトルの5倍の新たなペットボトルを作り出せるということだ。

もっとわかりやすく書こう。1本のペットボトル、リサイクルして同じ1本を作ろうとすると、5本のペットボトルを作れるだけの石油を使うわけだ。

回収したペットボトルは、回収した時点では、あくまで、まだ、ゴミ。

そのゴミを資源に変えるためには、新たな資源の投入が必要なのだ。

その新たな資源の投入が、もともと、それらを新たに作るための必要な資源量を下回っていれば、リサイクルは、その本質として環境保護のためのリサイクル活動として成立する。
しかし、ペットボトルはそれが成立しないものだということ。成立しないどころか、5倍もの資源を必要として、使ってしまう。

回収したペットボトル、トラックでセンターまで運ぶにも、トラックの燃料となる石油が使われる。しかし、そのトラック、ペットボトルは体積がかさむために、ほとんど空気を運んでいるようなもの。だから何往復もしなくちゃいけない。

多くの軽油、燃料を必要とし、消費して二酸化炭素を排出する。
そして、ペットボトルの洗浄。まずは水で。その水だって、新たなエネルギーによって浄水された水を使い、排水処理のためにも、エネルギーをかなり使う。

次に高温洗浄。ここでは、普通に熱くした温水を使うわけではない。温度にして300度の熱水。あれ、水って100度までにしかならないんじゃないかな???そう、普通、水というものの沸点は100度だから、とっても多くの圧力とエネルギーをかけて300度の高温高圧水で洗浄する。・・・この段階ですら、もう新たに何倍かのペットボトルを作れるだけの原油、エネルギーを使っていることになる。

そして再生されたペットボトルが1本出来上がるころには、新品で5本出来上がるだけの原油、エネルギーが使われ、5倍以上も二酸化炭素を排出。
それで出来上がったペットボトルは価格に反映される。単純に考えて単価で5倍。そんなものを飲料メーカーが使うか?中身よりコストがかかってしまう・・・。
答えは当然「使わない」
紙なんかの場合、エコマークがついて名刺なんかに「リサイクル紙を使用してます」なんて書かれてたりするでしょ。それでわかるように、リサイクルされたものが使われています。でも、そんな書き込み、ペットボトルで見ますか?見ないでしょ。再生ペットボトルは使われていないから見かけないのです。

形を変えた、再生ペレットは繊維として若干使用されているくらい。そこはユニクロが頑張っている。でも、再生ペレットになるのは、5%にも満たない全体量からの比較。

では、再生されたペットボトル、どのように使われているか!
これ、体積がかさむので、保管するにもコストがかかるので、燃料として焼却処分されていたりもするのです。だったら、回収した段階で燃やしても同じ・・・いや、新たに多くの資源や酸素を使わないで済んだのに・・・。

実はペットボトル、燃やしてもダイオキシンが出ない、いい燃料になる。回収した段階で燃料として燃やせば、およそ30%がエネルギーとして回収できる。つまり火力発電に使われる30%の石油をセーブすることが出来る。それがゴミを燃やしてエネルギーとして回収するサーマルリサイクルという考え方。
それ以上に、再生に必要とされる5倍というエネルギーをセーブすることが出来るという点が大きい。

さて、ここまで書いてきて、これらの考えは今の日本のペットボトルの現状を考慮した上での考え方。ドイツでは、ガラス瓶のようにリサイクルできる厚みのあるペットボトルが使われている。リターナブル瓶と同じようなリサイクルでの使われ方。すると、洗浄だけで使える。新たな資源としては温水程度。石油資源も新たに再生する半分以下。

リサイクル運動のためのリサイクルではなくて、資源保護のためのリサイクルを見直さなきゃいけないと深く考えさせられました。

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2006/09/08

辛口な酔い心地

Conv0002_8 またこのところ、沙門へ足が向かうことが多い。

渋谷でJRに乗り換えでないと、地下鉄には表参道で乗り換えてしまうことになるから、なかなか渋谷の駅から外に出ない。すると足が遠のいてしまう。だから最近は、JRで移動することが増えてきているということだろうか・・・。

Conv0003_5 辛口の「博多小女郎」をロックでいただく。つまみは蛸ぶつ。それからイカの一夜干し、あたりめなどなど。

ここで飲んでいると、落ち着くんだよねー。

カウンターの他の席での会話も耳に入ってくるんだけど、それがとってもいいBGM。

Conv0004_4 「3丁目の夕日」みたいなあったかい世界、空間がそこにある感じ。平成ではなくて、昭和50年代くらいの感じかな。

湘南新宿ラインや埼京線が通過すると、がたがたと、うるさくなるけれども、それも心地いい。

ダラダラと飲むのではなく、凛とした気持ちの中で飲んで、美味しいつまみに舌鼓を打つ。そんな気持ちにぴったりな焼酎ロック辛口。

さ、お腹がすいてくる。

お店を後にして、5分くらい歩いてラーメン屋さんへ。

Conv0001_5 辛口の後に甘口でありながらピリリとする味のラーメン。博多の一蘭のラーメン。

博多小女郎に博多一蘭のラーメン、秋以降僕の定番。

渋谷でなきゃこの組み合わせは成立しない。秋は表参道乗換えでも、わざわざ渋谷で乗り換えてしまいそうだ。

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2006/09/01

読売新聞 - 世界最速は居住性不評、500系「東海道」から引退へ

リンク: Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 世界最速は居住性不評、500系「東海道」から引退へ.

日本の鉄道最速ランナー、引退かー・・・。
確かにJR東海としてはお客さんを運べる数も少なかったし、不評な部分もあったからなー。

でも、新しいN700系はすっごい技術が集約されているらしい。どんなものか乗ってみたくて仕方ないけれど、まだちょっと先の話。

以前からカメラや新幹線の話題を書いたこともあったけれど、古い車両を改良して使い続けることも重要だけれど、この記事を読むと、技術を継承するために、新型車開発ということもとっても重要なのだと気付かされた。

何回も東京駅で僕を見送ってくれた500系、顔を合わせられるのは、あと一年くらいだけ。それを考えるだけでも何故かしんみり。

夏の終わりに入ったこの決定のニュース、1980年代に製造された新幹線も東北新幹線では活躍しているのに、1997年から走り始めた500系が、現役引退。小さいころから新幹線のちょっとしたファンだった僕にとっては、500系の短すぎる現役時代に時代の加速の速さを実感せざるにはいられないです。

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アンニョン・フランチェスカ

Conv0005_2 韓国のコメディー、「アンニョン・フランチェスカ」、

このところ、この作品にぞっこん。

DVDで、ある人から貸りているんだけど、もう、どんな時でも、時間が空けば見てしまっている。

話が進めば進むほど、離れられなくなってしまい、声を出して大笑い。文字には表現できない台詞の笑いセンスが抜群。シチュエーションも最高。一人ひとりのキャラクターも濃くて、わかりやすい。それだけでも面白い。

Conv0004_3 ルーマニアの吸血鬼の一家が東京と間違えて韓国はソウルに住み着いてしまい、そこで巻き起こす騒動の数々。吸血鬼といっても、僕らがイメージする吸血鬼の定義は通用しない。だってルーマニアからの一家なのに、韓国語で話し、韓国人なんだもん。まあ当然といってしまえば当然なんだけど、設定すら笑えてしまう。

太陽の光も、にんにくも、十字架も大丈夫。ほとんど思考回路以外は人間と一緒。勝手にConv0003_4 人間の血も吸わない。年齢が200歳だったり、何千歳だったりするんだけど、年齢と見た目は比例しない。

人間の常識では伝えられない何かがあるから、とっても笑える。人間以上に素直とでも言うのかな。

Conv0002_7 これを見ていると、時々自分に似ている瞬間、シチュエーションを発見するときがあって、そこも面白い。

写真を撮ることに夢中になってしまって、本末転倒になってしまうシチュエーションがあるから。

いろいろなドラマや映画のパロディーになっていたりもする。

おそらく、韓国の方々ならばもっと笑えるであろうシーンもあるのだろうけど、わからなくても十分に笑える。

また今夜も続きを見てしまうんだろうなー。

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