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2005年6月

2005/06/30

Kiss

IMG_2775mini僕は何日か前にも新幹線について書いたけど、僕が必ずといっていいほど写真に収めるのがこんな、新幹線と新幹線のkissシーン。

東海道新幹線では目にすることがないシーンだと思うけど、東北新幹線では多く見かけられます。

秋田に行くものも山形に行くものも、途中仙台あたりまでは一緒だから、やまびこ号につないで、一緒に走るからなんですね。なんだかこれがとっても可愛らしく感じるのです。これを僕は新幹線と新幹線のkissシーンと勝手に呼んでいるわけだけど、でも実際は、繋がっている片方はミニ新幹線だから、どちらかというと走っているときは、kissシーンというより、兄弟が仲良く走るような感じです。やまびこ号の方がお兄さんのような感じでね。

僕は兄弟が二人になってしまったわけだけど、だからこそこれからは、二人で仲良くやっていかなくてはならない。でも、ここ何日かは二人の間に温度差があったことも事実。どちらが正しいとか言うことではなく、お互いに相手の立場を理解することが重要。ただ、年齢差は感じてしまったのだけどね。(笑)

だからこそ、可愛い弟でもあるわけで、今、一生懸命頑張っていることがわかる。いつかはそれで母を幸せにしてあげたくて仕方ないわけですから。

なんだか家族というのは、定義が難しいものですね。血が繋がっていなくても、家族という事だってありえる。事実、僕の相棒のラビたんは、猫だから僕と血が繋がっているわけはないけど、家族。もう死んでしまったけど、ゴルちゃんだって家族。僕のお兄さんだった。

そんな事に悩みながら、今日は眠りに。幸せな夢に遭遇できることを祈りながら。

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2005/06/29

長かったなー

今日は29日、このところ本当に一日一日が長かった。

27日が一番長かったかなー。

僕の中では色々な時間を過ごしたような感覚があった。

生まれてからの16年間を思いっきり振り返ったから。ドタバタしている最中にバレーボール女子は惜しくもブラジルに負けていたか・・・。

疲れたというのが、二番目の感想。一番は良かったという感想。

僕自身がこんな感想を味わうなんて、少し前ならば気付かなかったなー。

あー、なんだかわからないけれど、グレッグのワークショップに参加したい欲求。自分が自分である時間を過ごす時間が重かったから、他人になりきってみたいかな。か、ないしは、少しライトな感覚に包まれたい。

でも、まわりの人の元気さに支えられた。

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2005/06/24

番組を終えて

050624_19560004 050624_22130001 番組は無事に終わったー。今日は番組内で、この夏の放送局主催のコンサートイベント告知が色々あったりと、通常の内容プラスアルファで、非常に忙しかったのだけど、なんとか時間内に綺麗に収めることが出来た。番組が終わった瞬間、すごくホッとした。

生放送が終わって、東京に戻り、小林さんと渋谷で焼酎傾け、重い何かから開放されたい気分だったけど、体に辛い感覚があった。

意識はしていないけど、僕の体も疲労してるみたい。素直に帰宅するしかないな。飲みたかったけど、体は受け入れてくれなさそうだから。

そうそう、柳本JAPAN、バレーのワールドグランプリ、初戦、ポーランドに快勝だったね。僕の方の生放送を終えても、3セット目が終わってなかったから、見てしまった。嬉しかったよ。かおる姫ってかわいいねー。(笑)応援したくなってしまったよ。もともと応援していたんだけど、竹下選手も大好きなんですよ。大友愛さんもね。杉山選手も。結局みんなを応援してるんだけど。

でも、羽田で以前の柳本JAPANを実際に見たとき、びっくりだった。コートの中では、普通に見えるんだけど、実際やっぱり大きい。相手チームも当然大きいから、それがテレビだと普通に見えてしまっている。でも、現実世界では、やっぱりみんな大きい。

今日の東京戻りは、いつもの、やまびこ号ではなくて、臨時のつばさ号。車体は少し小さいんだけど、普通、やまびこが座席、横5列に対してつばさは、横4列並びだから、座席がやまびこより広いんだよね。そんなシートに体をまかせながら、また色々考えてしまった。

幸せが包み込みますように。

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新幹線の思い出

僕は新幹線が好きなわけだけど、
ちっちゃい頃、ひかり号に頻繁に乗った記憶がある。
それで、今ではもうなくなってしまった食堂車、ビュッフェに連れて行かれて、ビーフカレーを二人で食べた記憶が鮮明に残ってる。
姫路に将軍という映画のロケに付いて行ったんじゃないかな。それで姫路城の記念メダルに一緒に刻印して・・・。懐かしさいっぱい。
それからよく近所の恩田川をサイクリングして、新横浜まで新幹線を見に行った。あの頃、本当に新幹線は特別な乗り物というイメージが強くて、新幹線に乗るというだけで、前日の夜は眠れなかった。
それが今では、毎週のように新幹線に乗っている。
あの頃の記憶が鮮烈だから、今でも新幹線が好きなんだろうなー・・・。
でも、やっぱり今日は新幹線でも嬉しいばかりではない。
昨夜、家族に久しぶりに会ったわけだけど、どんなに考えても、この人がいなければ、僕はこの世にいないんだよね。
来週の月曜日、何としてでも、今の僕の心の状態から何日か前の僕の心の状態に戻れると信じたい。やっぱり涙が滲んでくる。
新幹線に乗っていると、いろんな、数々の家族との記憶が蘇ってくる。
今日の番組、EZ RadioSHOW ちゃんと元気にやんなきゃな。本当の元気な僕になってね。おまじないをかけるつもりで。050624_15400001.jpg

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新橋駅前で

バスを待っている。仕事に集中して、かなり時間を早めに終わらせる事が出来た。
すっごい疲労感。
新橋発目黒行きのバスって、一時間に二本しかないんだー・・・。
一緒にバスに乗った記憶は、ほとんどないな。
ベンチに一人で座ってバスを待っていると、なんか少しだけ落ち着いてきた。
でも、どうしたらいいんだろう・・・。
バスがやって来た。すっごい新型だ。乗り込むと新車の独特の香り。バスでも新車の香りってあるんだなー・・・。
なんでこんなラッキーな日なのに・・・。050623_15250001.jpg

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2005/06/23

わからないけど・・・。

今日は、太陽も厚い雲に覆われているけど、僕の気持ちもまったく同じような感じ。
でも、ワイシャツの下、素肌を汗が流れる感触ばかりが明確に意識させられるくらいの暑さを感じている。

移動のために東急線に乗る。薄紫色の営団半蔵門線の新しい08系がホームにやって来た。08001、僕は最後尾車両に乗っている。進行方向左側、一番後ろの端の席。
窓の外、横浜青葉インターが見える。

普段ならば、新しい電車に乗れる。そんなことでも嬉しい僕なのに・・・。

横浜青葉インターは、家族と別れてから出来たインター。
高速道路を運転しているあの人はかっこよかった。
よく羽田空港に向かったっけ・・・。

そんなこと考えてると涙が目を潤してくる。あくびの真似でごまかす。

一緒に町田でラーメンを食べて、それからロマンスカーにも乗ったっけ・・・。僕はどんな子供だったんだろ。

まだ、電車は外を走っている。二子玉川、多摩川にも車で来たっけなー。

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2005/06/22

家族。

050623_04230002 050623_04230001 僕は中学生までの間、非常に恵まれた環境で育ってきたという自負がある。玉川学園で、小学部でも素敵な先生に恵まれ、中学部ではなおさらのこと、親元を離れて、先生と一緒に生活する時間、中学部、青雲塾の塾生として生活する時間を過ごせたことも、今の僕に大きな力を与えてくれている。
そして今は、自慢の母。本当に僕を厳しく、優しく、大きな愛情で育ててくれた。今も育てられている。そして、たまには僕が母を恐れ多いながら育てる?時もある・・かなー。知識の部分でだけだけどね。

ここ何日か、僕が所属しているわけではない家族、つまり自分の家族ではない、ある家族を目の当たりにしてきた。
やっぱり家族っていいなと、感じ、そして憧れもした。そんな時間から自宅に戻り、一夜明けたとき、6月22日朝、会社から一本の電話がかかってきた。

家族が僕に連絡を取りたがっていると・・・。

僕の憧れる家族に、ラジオのディレクターである小林さんの家族というのがある。
仕事でのお付き合いだから、その家族のお父さんとしか付き合いがないわけだけど、そのお父さん、つまり小林さんの話す、家族の話を、渋谷ののん兵衛横丁の沙門なんかで、焼酎を傾けながら聞いていると、とても幸せになれるから。

僕のお父さんはどうなんだろうなー。
小林さんのようには、息子として、僕のことなんか話していないのだろうなー。
話すことすら、それは、今というものに対して罪になることかもしれない。
今の幸せを大切にするためには罪になる。確かにそうだ。
それは、僕は自分では納得している。
だからといって悲しくなるようなことはなかった。
とっても素敵な母がいるから。

僕に連絡を取りたがったいる家族に、連絡してみた。
昨年、弟が死んだときにも、連絡なんて取れなかった、取らなかった家族だ。
その時、心配をして連絡をくれたのは、
今の僕の父親的心の支えになっている細川俊之さんだった。
すごく励まされた。それから大学時代の友達にも。仕事仲間にも、小林さんにも。とにかく温かく励まされた。

時同じくして、その家族を僕は心から軽蔑した瞬間だった。

久しぶりに話す。その家族と。
久しぶりに電話越しに聞いた家族の声は元気がなかった。
僕も元気がなくなった。
目からは、流したくないのだけど、涙が出てきた。

なんで、自分の事を、こんな僕に言うんだろう。
僕に言われてもどうすることも出来ないよ。

卑怯だよ。
もう、生きている時間を共有することなんかないし、関わらないことが、
ルールなんだと、自分に言い聞かせていた僕がいるのに。

でも、16年間の僕が生まれてからの時間の幸せは、
その家族の大きな協力があってのものだった。
その時間も、今年僕は32歳、人生の半分以下の時間になっちゃうんだ。
なんだかせつなくなってくる。

今、ケイコ・リーのwhat a wonderful worldを聴きながら、これを書いている。
素晴らしい世界かー・・・。

うん、僕は素晴らしい世界に生きている。

優しくならなきゃ。

あす、僕はその家族に会う。何年ぶりだろう。
どんな僕で行けばいいのかな。仕事が終わってからだから疲れてるかな。
疲れた僕なんかで会いたくないけど、時間がない。

僕に出来る、16年分の感謝。

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2005/06/16

夏の香りは

050616_04020001 050616_04010001 今年の僕の夏の香りはコレですよ。日本ではフィッツコーポレーションから発売されているオードトワレ、RISINGWAVE(ライジングウェーブ)です。これは3月に番組の取材で扱って、その時に出会った香水です。

これからの季節、今年からはこの香水です。今までは、梅雨時期から夏までは例年、トミーヒルフィガーの香水だったのだけど、その座を今年からはライジングウェーブが譲り受けました。梅雨時期だからこそ、非常にジメジメした空気、匂いが色々な場所で漂う。だからこそ、爽やかな香りを少しだけ漂わせたい。あくまでもエチケットの意味で。そんな時にこれ、いいんですよね。

そして、夏に向けて紫外線もだいぶ強くなってくる。紫外線は日焼けだけでなく、色白な人においては、その人間の体力を大きく奪うんですよ。だから僕はなおさら。これはヨットをやってるとすごく体感できます。ヨーロッパのヨットチームなんかは、船の上では肌を露出しませんからねー。だから日焼け止めは、日常で、男性でもある程度必要です。僕みたいな肌の人は。

そこでお気に入りなのがメンターム、近江兄弟社から出ているサンベアーズという商品。500円程度で売っていますが、これがベタベタしていなくて、付けてる感がほとんどしないし、白くならない。それでいて日焼けを感じないから、保護力は強力であると言えましょう。

色々な日焼け止めを試してきたのだけど、コレが僕の中では一番かな。

コレが1998年にあれば、ワールドトールシップヨットレースで、もっと快適にレース運びが出来たと思う。あの頃の日焼け止めはもっとベタベタで、保護したいからいっぱい付けると白くなって、顔色悪く見られていたからなー。ぜんぜん健康で元気だったのに。(笑)

さ、太陽は出ていなくても梅雨時期、紫外線は降り注いでいますよ。ジメジメにm負けないで爽やかに過ごしたいなー。

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2005/06/15

YASHICA GX

050615_04160001dddd 050615_04200001 ヤシカGX、1975年、ヤシカがその製造するカメラを自社ブランドのYASHICAから、ドイツのCONTAXブランドへとバトンタッチしたまさにその年の、ヤシカとしての最終の最期のカメラ、「YASHICA GX」を入手しました。このカメラ、山口県の79歳になるおじいちゃんが、趣味として壊れたカメラを修理して、甦らせたものを譲ってもらったものなんです。(といっても、僕のおじいちゃんではありませんよ。古いカメラを通じて友達になった、おじいちゃんです。)

壊れてしまったようなカメラでも、
その息を吹き返すまでに復活させる、その技術力と物に対する愛情、本当に尊敬です。

さて、写真で見てもわかる通り、このカメラ、斜め上の角度から見ると、レンズに白い三日月や半月が現れるんです。

これ、CONTAXの最終モデルのレンジファインダーカメラであるCONTAX G2とかの、プラナー45というようなレンズでも同じ現象が見受けられ、こんな三日月が現れるレンズは、その描写が素敵だ、つまり色々な観点から見て、「素晴らしいレンズだ」と評価出来る!という話を写真家の先生から聞いたことがありました。いや、ホント凄いハズ!!

やっぱり、ヤシカがヤシカであった時代から、当時のcontaxに通ずる、素晴らしいレンズを惜しげなく開発し、使うスタンスが存在したのだと改めて実感。カメラの命である部分にコストダウンという意識がないわけですからね。

さてさて、そんなYASHICA GXではありますが、一点、レンズの中に拭き汚れがあるのです。こればかりは綺麗にするために、レンズ自体を分解しなくてはならなく、僕ではどうすることも出来ない・・・。

ヤシカのGXのレンズを分解して、清掃できるような技術力を持った人と友達になれないかなー。いつかは自分で分解できるようになってみたいのだけれども、まだその勇気、僕にはない。

だって、そのせいで僕がこのカメラを壊してしまったら、せっかくの山口のおじいちゃんの努力が・・・。

でも、まだ一枚も撮影していないから、もしかしたら写真には何も影響がないのかもしれない。ただ、レンズを眺めてにんまりとして喜びを感じている僕としては、もうちょっと何とかしたいという気持ちが働いてしまっている。まあ、これもこれで、このカメラ君の固体としての歴史だから写真にした時に味になるのかな。(笑)

ちなみに、2枚目の写真、一緒に写っているのはラビたんです。今日の、この写真自体は僕の使ってる携帯、auの(A5406CA)でお手軽に撮影してみました。

でも、携帯とはいえないくらいに綺麗な映りをしてくれるでしょ。

プロジェクトXでもやっていたけど、デジタルカメラというものをこの世に誕生させたのはカシオだったって知ってましたか?つまり世界初のデジカメ一号機を作ったのがカシオというわけ。カシオが作った基礎技術で、今の色々なメーカーのデジカメ技術の発展があるわけなんですね。カシオのそんな心意気、LAICAやCONTAXと似たようなポリシーを感じます。

そんな色々な「人間とモノ」に関する愛情あふれるストーリーを語るような番組、創ってみたいよなー。

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2005/06/14

サングラス!

PICT4828mini PICT4890mini 今日の僕はこの夏に備えての新たなサングラスをゲット。

先日、カメラマンの前田幸雄さんに頂いたサングラスから、こんな感じのデザインのものも、お気に入りになってしまい、今日は仕事での移動中に何気なく寄ったお店でこれを発見。仲間に「似合う!!」と言われ、その気になって購入。後から写真で見ても、なんだか気に入ったデザインだと実感。今まではクラシックなタイプや華奢なデザインのものが好きでしたがこういったマトリックス的?タイプのも、レンズ面積が大きくて、完全に直射日光を遮断してくれるので目には楽ですね。

僕はサングラスは、カメラと同じくこだわりがあるのですが、持ってる数もかなりのもの。いつもどれを使うか迷うのです。ただ、車を運転するときには偏光レンズのレイバンのものを愛用。それは車から出さないようにして、いつも車中です。

偏光レンズだと、車のフロントガラスの映りこみも遮断してくれるので、強い陽射しの時には、それだけで運転がかなり楽になる。この知識はヨットレースの時からなのですが、水面からの日光の反射光をカットしてくれることで、偏光レンズ愛用者になったのです。

僕の持っているサングラスの中で宝物があるのですが、それはL.A.eyeworksというところのヤンというモデルネームのサングラス。あの人のあの時とまったく同じサングラス。

あの人というのは坂本龍一氏、あの時とは、戦場のメリークリスマスでの、アカデミー最優秀音楽賞受賞の時です。これは宝物なので、飾ってあるばかり。

でも、サングラスの一番の目的はやはり陽射しからの目の保護。本当にサングラスだけで、夏の疲れは軽減されます。僕は目が黒くないから、陽射しに弱い。だから余計です。

今、僕の母は眼底出血をおこして、眼が不自由なのだけど、7月の手術に備えて、目を疲れさせないように、今までしなかったサングラスをしています。

そのために今回初めて、サングラスの良さを味わったようですが、普段サングラスを使用する習慣が一般化すれば、目の病も少しは少なくなるのではないでしょうか?

こう考えると、どうやら僕はカメラもサングラスも、目や、光に関係するものが大好きなのかもしれません。だから「星の王子様」も好きなのかな?

「目に見えないものが大切なんだよ」

目に見えないものを、何とかして目に見える形に近づけるのが、僕の仕事でもありますから。

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2005/06/09

グレッグのワークショップ

PICT4761miniPICT4760mmini日から僕の一番大好きな演出家であるグレッグ・デール氏のワークショップに参加!本当ならば月曜日から参加したかったのだけど、仕事の都合でどうしても今日からの参加。なんだか、やっぱりフレッシュな気持ちになれる。

そして何より、グレッグさんとの時間は、どんなワークショップよりも面白くて時間が過ぎるのが早く感じる。これって非常に重要なことなんだと思う。

グレッグはアメリカ人だけど、人間の心が万国共通であること、それを彼の指導から理解できるし人間の心の流れも同じであるということ。

違いは、思想に関しては大きく存在するのだろうけれど、その思想を作り出す心の深淵な部分では、同じなのではないかと思う。

悲しむ気持ち、喜ぶ気持ちなどなど。

ただ、そこに至る技をグレッグさんは的確に教えてくださるから楽しい。

でも、それと同時に、知らぬ間に僕をお芝居の固定概念が蝕んでいる事に気付かされる。

もっと素直にお芝居をするべきなのだと、素直に心に入ってきた。それには安定した、安定するための努力が必要不可欠。

グレッグさんの言う理論は、納得せざるを得ないことばかりで、その事に何故自分で気付かなかったのか、いつも後から考えさせられ、反省する。

今日の僕の相手役は彼女でした。

ただ、彼女の名前は知らない。僕の中では彼女がワークショップで演じてくれているルースという女性の役そのもの。

彼女とコンビを組めた事に感謝。だって、僕の目には彼女がルースという存在として映っているから。

僕が明日は、僕を消し去って、リサになれるようにナチュラルリセットしなくては。

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2005/06/07

CONTAXの消滅

リンク: 京セラ | 製品情報 | 光学機器.!PICT4210mini PICT4306mini

ついに僕の大好きなCONTAXが世界から消滅することが確実となってしまいました・・・。
世界的に見てこれほどの歴史のあるカメラは、LICAとCONTAXだったのに、その双璧の一方が消えてしまうというのは僕からすると本当に悲しくて、一時代が終わってしまうことを実感。
僕が生まれた1973年夏、ドイツのツァイス社の一部門であるcontaxがカメラメーカーとして存続の危機を乗り越えることが出来ました。
どうやって消滅の危機を乗り越えたのか?contaxブランドを守るには、世界の技術力を結集するべきだということで、日本とドイツの協力の下に存続できる事になりました。
ちなみに、それまでのコンタックスは小文字でcontax。
1973年の協力以降に生まれたコンタックスは大文字でCONTAX。
日本のヤシカというカメラメーカー、そしてポルシェデザインの3社によって、contaxブランドのポリシー、そして販売継続を決定しました。

日本のヤシカがコンタックスブランドのカメラボディーを日本のハイテク技術を注入し製作、デザインはポルシェ、レンズはカールツァイス。そして1975年、RTSという新生CONTAXが誕生したわけです。
つまり、僕が生まれる以前はcontax、そして、これまで僕の人生と同じ時間でCONTAXというカメラは生き続けて来ていたのです。
だから思い入れも強いわけで・・・。

それが1981年、ヤシカの経営も難しくなり、そこへ救世主として現れたのが京セラ。CONTAXのポリシーに賛同し、ヤシカを吸収して光学部門として存続させ、現在のCONTAXがあったわけです。

でも、1973年の危機を乗り越えたときも、原因は日本のカメラのシェア拡大にあったわけですが、今回も日本のデジタルカメラのシェア拡大がCONTAXの経営を圧迫したわけです。
CONTAXのデジカメも素晴らしいわけですけど、なにせ最高のカメラを作ってしまったからこそ、その価格も80万円。似たようなカメラがキャノンとかだったら30万円弱・・・。コンパクトデジカメだって半額。
でも、若い女の子なんかはデザインでデジカメを購入するでしょ。
そりゃーCONTAXもi4Rなんてデザイン素晴らしいわけですけど、価格は高い。すると候補から消えてしまって・・・。

これからも僕はCONTAXの呪縛からは開放されないんだろうなー。
いや、コンタックスの血筋を追い求めるためにも、ヤシカのクラシックカメラに興味を集中させてしまいそう。だって、今のカメラよりコストダウンを意識してないレンズは、作りも設計も素晴らしいから綺麗な写真が撮れてしまう。一度みんなも試してみればわかりますよ。
古いミノルタのカメラをCONTAXで撮影してみました。それから僕がカメラをいじってるところもCONTAXで。目が寄ってしまっているけど・・・。(笑)
ピントがキリっとしていて、背景が美しくボケて、いいでしょ、こういうレンズも

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