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2004年8月

2004/08/31

オリンピックのその裏で

@nifty:NEWS@nifty:疑惑の女性2人が同居(共同通信)

オリンピックの平和ムードの漂う中で、それでいながらテロも発生していたんですよね。
これがアメリカでの事件ならば、もっと日本でも注目される事件であったはずですが、
オリンピックでのロシアは注目されても、リアルな感覚としてのロシアの現実の事件には、
日本はなかなか注目していなかったのではないかな・・・。
旅客機が消えたことで、どれだけの命が消えてしまったのか。
それを行ったチェチェン共和国の二人の女性の気持ちはどれほどだったのか、
何を考えていたのか?
数日前の情報では、彼女らの夫は、ロシアとの紛争で亡くなっている可能性が高いとのこと。
チェチェン共和国には、そういう理由で未亡人になった女性が、何千、何万人もいるということ。
だからこそ、命を懸けての復讐だったんでしょう。
殺したいから、という理由ではなく、
復讐したいからの自爆。そして、それに巻き込まれたロシアの乗客。
自爆した彼女らは、同じ飛行機に乗った乗客を、どんな眼で最期に見たんだろうか?
テロは、許してはならない行為。でも、それが行われてしまうのは原因があるから。
このシーソーはいつになったら、水平に留まる事が出来るのでしょう。
それをするためには、僕には経験したことのない、
大きな愛情と寛容な気持ちが人間に対して要求されるのですかね。


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2004/08/30

手塚眞監督,美しいと感じるもの

手塚眞の絶対の危機

今年の初めから春まで、毎日のラジオの仕事と並行しながら
監督と仕事を一緒にお仕事をさせていただきました。
初めてお会いしたときは、とにかく緊張。
だって、僕がとっても欲しいと考えていた
あのカメラのコマーシャルを、監督ご自身でなさっていらっしゃったから。

それは緊張しましたよ。
カメラのパンフレットで毎日目にしていた方を目の前にしたんですから。

でも、お仕事をご一緒できることになって、
お仕事中の監督は、
初めてお会いしたときとは雰囲気が違い、
とっても親しみやすく、それでいながらにして、
それまで以上の緊張感を味わいました。
僕が普段見る、スチルカメラのファインダーからの景色とは違う、
動く景色のファインダー越しに、(映画なんだから当然なのだけど)
夢中に、それでいながら冷静になってる監督の姿、
美しかったです。

人が「美しい」と感じる瞬間は、
そこに創り手の想いが宿っているからこそだと思うのです。
だからこそ、その創り手も美しいわけなのは当然のこと。

でも、夕日も、朝日も、いろんな景色が、自然が美しいでしょ。
何処に創り手がいるの?

その理由を考えたとき、

だからこそ、どこかに神様っていう、
僕らの存在を超えている存在がいて、
その想いが宿っているんではないかと、
僕は考えているわけです。

僕の弟も、僕の存在を超えてどこかに行ってしまった。

手塚監督が創り上げた今度の映画を越える
自然な、何かを、彼も創ろうとしてるのかな。
だったら、応援するよ。

舞台照明が大好きで、得意だったからなー。
綺麗な夕日とかつくれるかな?
よーく注意して見ておくよ。

でも、手塚監督のライティング、
とってもセクシーだよ。

どんな作品になってるか、楽しみだし
正直、自分がどうなってるか、不安でもある。

天国から見ててくれよー!


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分からないこと、解らなくていいこと・・・

僕には分かっていることを、
それをまったく違うことにして伝える人がいる。
わかってもいない状況で、
さも、理解しているかのように認識している人がいる。
それならそれで終わらせるべきではないの?
伝えることではないのでは?

何かが分かったから伝えるならいい。
分からないことを、分からないと素直に伝えるのも
それもいいだろう。

でも、解っていないことを、
伝えてしまうのは、どういうものなんだろう?
僕も700回以上のレポートをしてきた。
でも、そんなことは一度もしなかったと思う。
自分が解っていないときには、
その事実だけを伝えれば、あとは受けての判断だ。
でも、事実に空想は付けちゃいけない。

よく調べた人と、そうでない人、
それが僕には解ってる。

それだけのこと。

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2004/08/02

@nifty:NEWS@nifty:「あゆ」育てた専務辞任=経営方針で対立、エイベックス(時事通信)

@nifty:NEWS@nifty:「あゆ」育てた専務辞任=経営方針で対立、エイベックス(時事通信)

この感覚、僕も同じように感じることがあるんですね。一緒に会社を始めた。
しかし、経営に関してはブラックボックスのようになってる感覚を味わったり、
経営方針をあれだけ確認したというのに、実際には、ほとんど方針とは違った方向に
意図的に流れていたり・・・。
ただ、僕は松浦専務のようには出来ていない。
勇気がないからなのか、それとも僕の中では大きなことではないからなのか?
自分でもよくは分からないが、専門家に相談したこともあった。
少なくとも、僕には非が見当たらなかった。それで安心したのだろうか。
経営とは、誰かが何かに責任を持つこと。
それを明確にして実行しなければ経営とは言えない。
松浦専務は実行し、責任を持ち会社を離れるのだから、
経営者である彼の行動というのは、経営を全うしたと感じるのは、僕だけではないことでしょう。

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