希薄・・・
今は環境問題のクローズアップ加減から、
「希薄」なんて聴くと、「希薄燃焼」とかエコ、ECOな話題かと思われる方もいることだろう。
ふとした時に、フッとモノゴト考えてしまう僕が、パッと起きた時に頭をよぎった言葉。
夢で見ていた内容もあるかもしれないし、
僕が更新してる、この記事のことを考えた時に、「失敗したー」と感じたこともある。
今、夢で、昔の通学風景が出てきていた。
思い起こせば、
毎朝、改札口の小田急の駅員さんが検札してて、挨拶。
国鉄の改札の駅員さんにも挨拶。
東急の改札の駅員さんにも挨拶。
×2である。
電車、乗って降りるから改札は2回通るでしょ。それで×2。
つまり、最低でも6回の挨拶が必要とされた。
「おはようございます」6回コース。
さらに、帰りもあるから、日に最低12回は必然的に挨拶
今、同じコースで出身校まで行っても、自動改札。
挨拶は必要とされない。ゼロだ。
小田急、国鉄、東急、どれの改札も、いろんな駅員さんで、
そんな駅員さんの顔を覚え、誰が検札してる改札口を通ろうかなんてのも、
ちっちゃな僕は考えていた。
そして、駅に行くまで、近所の人にもいっぱい挨拶してた。
今、自宅の斜め前、ほんと目の前は小学校だ。
今、そこの子供に挨拶されることもなければ、
こちらから挨拶したら、
それこそ子供から「変な目」を浴び、親が変な目で見る。
「挨拶」という文化が、必然的に、ずいぶんと希薄になったもんだと。
人間のコミュニケーション能力は、狭く深くも必要だけど、
広く浅くのコミュニケーション能力も、総量として重要なんではないかと思われるわけだ。
「能力」なんて言葉をつけなくても「人との関わり方」といった方がいいかな。
下手すれば、「広く浅く」のコミュニケーション能力を「カルイ」なんて見方があるのも悲しいばかりで、
まずはそれがないことには、深く話し込むことすらも、自己満足でしかない状況に陥りやすいのではなかろうか?
「深く話し込む」=「局所的な会話」であって「つながり」というものではない、それが、深いと思っている各々の自慰行為的な場合も、・・・そんな可能性が無きにしも非ず。
広範囲の中で繋がりがあり、その上である一点の局所的な深さが必要じゃないかな。
広範囲を無視して、挨拶すら出来ず、深くなってしまうと、それは特殊性を帯びる、そして広範囲が「その他」に分類され、攻撃性を伴うことも、最近の事件を見ると感じられる。
うーーーーん、
通学の夢見て、こんなことを書いてると、大学時代の研究論文作業してるみたいに書き進めてしまっている。(笑)
ごめん、文字ばかりで書き進めてしまって。
これは、今の自分への、日ごろの反省文でもあって・・・。
まず、これを書くべきだったかも。
「ミキたんのママ、ありがとう」
今、嬉しいことに事務所が大忙しでね。
それで、事務所のデスクワークも、受付も、社長のお姉ちゃんにしてもらってる。
あ、「社長のお姉ちゃん」って、社長が女だから、そう言ってるんじゃなくて、
本当に社長の「お姉ちゃん」に手伝ってもらってる。
社長のお兄ちゃんの、お嫁さん。
こういうことが出来るのも、人間関係があるからでさ。
昨日、6月1日、事務所のホームページで、ブログの更新状況がちゃんと表示されてた。
それを見た時、
「あー、わざわざここも手伝ってくださって・・・」と嬉しくなった。
日付変わってのお礼になってしまったけど。
でも、そんな僕の無礼があって、それを気付かせるために、通学風景の夢を見たのかもしれない。
みきたんというちっちゃな娘さんがいて、それでも、こっちも手伝ってくれて。
有難う御座います。
人間関係が云々・・・ということも、それがあって考えてみた。考えさせられた話題。