2019/07/16

誕生日に寄せて想うこと

誕生日に寄せて思うこと・・・   ここ何年かの確信として、 よくラジオをやりたいなんて人が、 『情報発信』なんて言葉をつかってきますが、 僕はそんなことではない・・・と思っています。   ラジオは、聴いている人しか聴いていないのですから。 これが当たり前であり、大前提。 だからこそ、その方々に向き合う時間を作ることが、番組を育てることなんだと思っているわけです。 番組を聴いてくださっていることに『向き合う』とはどういうことなのか? つまり、ラジオをやりたいと言う人、やってる人が、情報発信を…なんて言う言葉を使ってくれちゃう場合が多いわけですが、 今やネットの時代。 自分が求める情報は検索すれば、それこそ自分が求めた回答にに見合うものが、情報として見つけることもできる。 いや、マスに向けたメディアに対して情報を求めるよりも、 自分が求める情報を的確に発見する能力は、今はみんなが持っているといっても過言では無いと思う。 だから情報発信ではなく、今その時間を共有している人と、どう向き合うか、 向き合うためのメディアこそ、今僕が取り組んでいる番組たちなのだ。 例えば、子育てのお母さんに向けて向き合う、 お母さんの想い、言葉を受け止めるとはどういうことなのか。 お母さんが新たに買うことを推奨する絵本の紹介・・・ではなしに、 お母さんに向き合った場合は、 いかに子供だけの時間を創出するかということなのではないだろうか。 お母さんが求めているものは、子供の手が離れる時間であって、 その時間に朝ごはんの支度や、お弁当の用意をできる時間。 これを求めている。 そう考えると、お母さんに向き合った番組、 お母さんの思いを受け止めた番組・・・と言うのは、 それこそ、お母さんと一緒にいない時間、子供に夢中にさせてくれている、 【お母さんといっしょ】と言う番組なのではないだろうか。 この番組がやっている時間、子供を子供のみで向き合わせてくれる時間を作り出している。 お母さんと一緒じゃなくても、お母さんと一緒なわけだ。 それはお母さんが必要とするものに向き合った結果としてのコンテンツの1つの集大成。

そう、絵本の紹介やら、

子育ての話では無いのだ。

お母さんが、自由に動ける時間を作ること。それがお母さんに本当に向き合うと言うことの本質。

ラジオだってそうだ。テレビ番組でもそうだ。 では向き合うために何が必要なのか。

それは、日常の中で、子育て一生懸命したからこそ共有できる言葉、

経験もあれば、

仕事に全力で向き合うからこそ、仕事の辛さがわかったりだとか、 悲しい思いをした時に、それを忘れず、自分に刻む作業 飲み過ぎて二日酔いになって、それで翌日に向かう辛さも含めて、

要は経験、

その蓄積なのだ。

その経験と言う蓄積によって、 受け取った言葉をより心深く受け取ることができる。 つまりは日常の生き方、時間の過ごし方、それを心にどう止めおくか、 そういったことが表方の大切な作業なんだと思っている。 よく、翌日の番組のために準備をする…なんて言う場合があるが、 それはディレクターなり、作家さんなりに信頼をおいて、任せる作業なんじゃないかと。 表方が流されやってしまっては、やっつけ仕事の、 その場限りの情報発信にしかならない。 はたまた、『表面上の言葉の羅列』のオンパレード。 番組を面白くする…なんて準備ができない。 面白い人が、番組をやれば面白くなる。 準備して作り出した面白さなんて、 それはリアルタイムなメディアではない。 偽物の面白さ。 かっこいい人がやれば、それはかっこよくなる。 面白い人がやれば、面白くなる。 同じことをやってもだ。 嫌な人が同じことをやれば、 それは訴えられてしまうこともあれば犯罪にもなり得る場合もある。 壁ドンなんてその最たる例だろう。 かっこいい人がやればかっこいいんだ。 だからこそ、面白い人がやれば番組は面白くなる。 そしてそれを生かすのは、ディレクターや作家さんがさらに昇華させてくれる。 それが、それぞれの資質と言うもので、絡み合って、 面白い番組が出来上がるのでははなかろうか。 それを、無理矢理面白そうにしている番組も・・・ そんな番組もあるといえばある。 幸いにして、僕が携わる番組と言うのは、全スタッフに信頼を置いて、取り組むことができている環境にある。 だからこそ、表方と言うのは、常に色々な言葉を受け取るための鍛錬、 労作として、日常を過ごすことにあると思う。 そしてそれを忘れないこと。 そして番組の間、リアルタイムにその思いを受け止めること。 でなければ受け止める・・・なんてできない。 そして受け止めた場合次に行動すること。 本気で受け止めれば行動せざるを得ない時があるのが本物だ。

僕はこれまで、ラジオがあったからこそ生きて来れたと言うことを何度か言ったことがある。

それは僕が聞いていた番組のパーソナリティーが、本気で受け止めてくれたからこそ、

その先に、行動で接してくれたからこそ、

今僕が生きている現実がある。だからなのだ。

それは、すべて行動に…と言うのは難しいかも知れないが、行動にも波及することこそ、本気で誰かの言葉を受け止めた象徴では無いのだろうか。

今や、実に表面上の言葉で時間が過ごされてしまう番組が多いなとも感じるこの頃。 それが悔しくもある。 だからこそ、僕が携わる番組と言うのは、 全身全霊で番組に向き合ってくださる方の言葉を受け止めたいと思っている。 番組と言うのは、情報ではない。 時間の共有だ。 何十年か前までは違っていたかもしれないが、本質ではやはり、時間の共有なんじゃないかなと確信している。 46歳、 家族を大切にしつつ、 仲間を大切にしつつ、 番組を大切にし、 番組家族を大切にしつつ、 仲間を大切にしつつ、

番組を大切にし、番組にを味わって下さる皆様と、育てていきたいと思っている。

あらためて、メッセージ下さった皆様、ありがとうございました。

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2019/07/03

もしも、友達だというのなら

ブログのコメントってのはさ、

ブログに対するコメントであって、

私信じゃない。

もし、友達だと言うのなら、僕の電話番号なり、メールで連絡をくれればよい。

僕の友達ならば、それを知っているだろうし、そうでなくとも、仲間ならば、ツイッターやら、メッセンジャーなんかでメッセージのやり取り、しているはず。

そこを大前提として勘違いしている人もいたりしている…。

そういうのって、なんなのだろうか?(笑)

はっきり言って、友達でもないし、一番無関係な人からの言葉やら、他人への誹謗中傷をひたすら羅列されても、その言葉を生んだ人への嫌悪感しかないから。

そして、一番思うことは、そういう人って、可哀想な人なんだろうなと…。

誰だかわからないが、もし、友達だと言うのなら、電話してくればいい。

メール送ってくれればよいのだ。

まあ、そうでないなら、僕の友達でもなんでもないわけで…。

他人のことは、とやかく言える立場でもないし、僕の仲間に無用なジェラシーなんて、持たないで欲しい。そういう人に、そんな権利もない。

おそらく、僕が疎遠にしたいような人こそ、その人だと思う。

これを見る、多くの人は、そうではないのだが…。

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2019/06/24

言葉を編む

言葉と行動について、話すことが仕事だからこそ考えることが多々あるが、

想像力も豊かに、はたまた1つの言葉から想像できる多様な現実を想定することも、僕は、俳優と言う仕事柄、それを専門的に勉強し、ワークショップにも多くさんかし、訓練をしているから、とても得意な分野である。

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だけれども、その言葉を使う前提自体が崩れていれば、意味不明と言うこともある。

 

相手のことを、一切知らずして、自分の想像の中だけて、相手の人物像を作り上げ,

その上で,

そんな、勝手に作り上げられた人物像をベースに、ひたすら必死に語りかけられてしまっても、こちらはお手上げと言うもの。

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まぁ、いろいろなところで人間関係のトラブルと言うものはあるだろうが、

僕にまつわるところで見かけるトラブル等と言うのは、

僕が直面している問題に比べると、それこそ稚拙な問題かのようにも見受けられる。

 

ストーカー規制法だのなんだの、気軽に言葉として安易に使われるてるケースを見ると、

これが、実際にはどれだけ大変な『証明作業』であるかを、ご存知ないのだなと、思わず、子供の喧嘩のように思えてならない。

 

相手にしないのが、一番なのです。

 

例えば、実害の証明も大変なものです。

気持ち的に傷ついたとか、不愉快だと言うことを、証明…

これは、ストーカー規制法では、扱えない範囲だと多くの方が理解していないのだなと。

 

おそらく、一般的な感覚からすると、想像以上にストーカー規制法を使う人間関係と言うのは、証明が難しいものであるのです。

 

ストーキングされたとしても、実害を証明しなくちゃならない。

それは気持ちの問題ではなく、どう言う実害が存在したのかを、

書面で証拠として証明し、裁判所に提出、これを出来なきゃならないのです。

 

で、また難しいのが、その実害を自分が被る、被ったことを、自分だけでは証明にならず、

もし、第三者が実害を被った場合、訴えられる権利を持つのは、自分ではなく、その第三者なのです。

 

そう言うことを知らず、そんな言葉の応酬を繰り返している状況なんかを見ると、

その現状に直面している内側から、それを見れば、ほんと、稚拙なやり取りにしか見えないわけです。

 

さて、それらは置いといて、

その原点は、言葉の一人歩き。

言葉の一人歩きは怖いもの。

 

ましてや、互いを知らない関係で、言葉が一人歩きすれば、言葉のニュアンスは皆無であるケースも。

 

メール文化によって、あまりに言葉が誕生し過ぎる現状を考えると、単語ひとつひとつが、安っぽくなってしまっているとも感じる。

 

手紙文化のように、一語一句を吟味しながら言葉を編むことも、必要な事じゃないか。

 

 

今だからこそ。

 

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2019/05/21

お利口さんでいないでいいんだよ

昨年は、蜂窩織炎で長く入院していたあやめが、

今年も蜂窩織炎になってしまった。

親としては、自分を責めるばかりである・・・。

病院が終わってからの救急外来で、昨年入院した日医科大へ。

足首は2倍に腫れあがり、腕もポパイかのように腫れあがっている。

でも、この笑顔である。

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診断はやはり蜂窩織炎。

でも、家に戻ってから、

痛みがあると、初めて言った。

病院ではお利口さんだったと言わんばかりに。

いやいや、それじゃ、病院行ったことに対して本末転倒。

でも、そんなことは日常にも、大人でもあって、

配慮という名のものとに、お利口さんになってしまっている場合も。

本心は別のところにあるにもかかわらず、

配慮を優先してしまって、

大切なことは、信じられなくなってしまうというもの。

誰もが、本心はある。

でも、その本心を言わずして、お利口さんに控えたばかりで、

後から、期待に応えられないと言われても・・・。

そりゃー、逆に信じられてないんだな・・・となっちゃうよ。

医師は、痛みを気にしていた。

それでも、お利口さんで、

まあ、入院したくないという思いがあったとはいえ、

そこは正直に言わなきゃ、医師は対応のしようがない。

ワガママに見られたくない・・・という思いがあったにせよ、

正直な部分も語ってもらえる事も、大切。

言葉を受けた側は、相手から

『真意は伝えられるような相手ではない・・・』

と思われているんだなと。

もし、娘も、今夜、以前もお世話になった田辺先生ならば、

『痛いです』と言えてたと、帰宅してから言っていた。

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いわば、今日の救急外来の先生の前では、

とってもお利口さんを装っていたわけ。

実は、信じていなかったということ。

田辺先生への信頼と、今日の先生への信頼の違い。

でも、今日の先生も信頼できるんだよと、教えた。

そこは、本当のこと言わないとー!!

痛みを解消できるか、できないかは、また別の問題。

痛みを緩和できないときには、耐えることを理解せねばならないが、

まずは痛みがあること、それは言わないとー。

あまりにも、世間では建前とは別の、お利口さんな

表向きの言葉・・・ばかりで、本質が議論されていないと感じることも多々ある。

ワガママになると思っても、第一の希望は伝えないと。

やはり、信頼というものがないのかなー。

それとも、まったく別で、そもそも、本当のことを言う相手ではないのか?

今夜の先生は、あやめにとっては、後者なのかもしれないが、

もし、田辺先生だったなら、痛みがあると言っていた・・・のだと。

最近よく耳にする熟年離婚なんて言葉も、

奥様が、あまりにお利口さんでいすぎた結果なんじゃないかと。

そう思ってしまう僕もいる。

本当の希望を伝えることは、ワガママとは違う。

ものわかりの良いワガママは、相手にも信頼していることの証として映る。

そうでなきゃ、手遅れになってしまうことも。

お利口さんでいすぎると、一瞬はいい子に見られそうだが、

その実、良いことはない。

真意はどこか・・・見極めなきゃ。

 

 

 

 

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日医科大 武蔵小杉病院

彼女の口ぐせは、いつもこうだった。
『あやめちゃんの病院はね〜、ご飯も食べられるし、カレーも食べられるし、ドトールコーヒーもあるんだよ。先生がいっぱいなんだよ!』

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彼女は、2013年7月29日、我が家から近くのとても大きな総合病院で生まれた。一般的にいわれる、難産。
10人以上が掛り切りになった。
とても大変な出産であったことは、傍目から見ていた僕にもわかる。
始めは、助産師さんと研修の学生さんの2人だったが、彼女がなかなか出て来ないので、

医師の数が一時間という時間の中で、二桁にまで増えて行った。
そしてようやく生まれてくれた。

 

家内は出産の記憶がないと言う。彼女に会えたのも、この世に出てから、3時間後。

新生児蘇生を受けての、その上での彼女との対面。

 

そんな『彼女』とは、わが娘、長女、岡田あやめ。
大学病院が、かかりつけになってしまっている。

 

彼女には妹がいる。妹は、我が家から近くの、小さな小児科専門クリニックが、かかりつけ。

 

生まれからして、大きな違いのある2人姉妹。

 

だけれど、お互いに、自分自身のかかりつけ病院にプライドを持っているようだ。

 

彼女は、よく言っていた。『私の病院にはレストランもあるし、コーヒー飲める場所もあるし…』

とにかく総合病院を自慢していた。

 

妹は、『風邪ひいたら行く〜。シールもらえる〜』と、負けない自慢を自分が、かかりつけのクリニックに。

 

互いの『かかりつけ病院自慢』は、とても可愛らしい。
違いは他にもあった。

 

彼女は、特殊で敏感なアレルギー持ちだ。
昨年の初夏、その年初めての虫刺され。
僕が出張中の事だった。

 

生放送の仕事をしながらも、僕のスマホには家内からの着信。いくつも。
こんな事はめったない。
でも、仕事中だ。
局にまで電話が入っていた。
『娘さんが緊急入院したそうです。』
生放送終了後の、スタッフからの第一声に、僕はたじろいだ。

 

蜂窩織炎というものだったらしい。
妹のかかりつけクリニックにて診察してもらったら、急遽、そのまま日医科大武蔵小杉病院へと、緊急入院。

 

入院初日、彼女が生まれた、知っている総合病院でない、初めての大きな病院であったことから、

大きな不安が彼女を包んでいるだろうことは、容易に想像できた。

 

僕も知らない病院。
日医科大武蔵小杉病院。

 

行ったことのない病院…。
出張先から電話する。

 

電話口の彼女は、4歳と言えども、とても元気に振る舞っていることが分かった。

 

『お泊りしなきゃいけないの…。』
『おとうさん、早くても明後日になっちゃうけどいい?』

 

もう僕にはそれくらいしか言えない状況でもあった。

 

金曜日、朝の生放送を終えて、急いで湘南新宿ラインで大宮から武蔵小杉へ。
大人の僕でも、初めて訪れる病院には緊張していた。

 

自分が住んでいる街なのに、駅の出口、どこを使えばいいかも迷う。
駅から10分ほど歩いただろうか。
日医科大武蔵小杉病院のエントランスをくぐる。

一般面会時間外ではあるが、お父様ならば、どうぞ…と。

 

制服を着ている警備の方が面会バッヂを渡してくれると同時に、

『お嬢さんですか、心配ですね。早く行ってあげて下さい』と。なんだか、それまでの緊張感が和らぐ。

 

エレベーターまでの30メートルほど、真っ直ぐに歩いて行くが、

その間に車椅子何台かとすれ違った。みんな和かな会釈をしてくれる。

車いすの患者さんも、それを押すナースも。

 

なんだ、この病院という施設にあるまじき明るい雰囲気、光。
この感覚は僕が4歳の時に原因不明の高熱で入院した

相模原の北里大学病院の雰囲気。その時の事が頭をよぎった。白石先生の名前を思い出した。

 

白石先生に憧れた4歳の僕だった。
白石先生に会いたくて、単なる風邪でも、

ワガママ言って北里大学病院へとクルマに乗せてもらい通院したっけ。
あの感覚が蘇ってくる。

 

エレベーターで小児病棟へ。
ナースステーションに行くと、誰もが『こんにちは〜』と。
明るい挨拶に返答する事だけで精一杯になったけれども、

それまでの自分の中にあった緊張を馬鹿馬鹿しく思いもした。

 

病室まで案内されると、寝ている彼女。
点滴のチューブに繋がれている右腕。
左腕は、包帯をしていても、3倍ほどに膨れ上がっていることがわかる。

 

彼女が目覚めたらなんと声をかけるか…。

スヤスヤ寝ている彼女の横でそんな事を考える時間、5分くらいだったかもしれない。

彼女が目を覚ますと、第一声は、『お父さん』ではなく…『田辺先生は?』

 

僕にはさっぱりわからない。
ベッドには主治医は佐野先生と記入されている。誰なんだ、田辺先生とは??


彼女に田辺先生の事をきいてみると、声が変わった。
かなり可愛らしい声で照れが入りながら
『あやめちゃんの好きな人』


いや〜、参った。蜂窩織炎どころでなく、4歳児が恋の病にかかっている。

 

僕の頭にも蜂窩織炎よりも、娘の心を奪ったオトコに興味津々。
彼女からのオーダーは、田辺先生に手紙を書きたいから、折り紙を持って来てほしいと。拍子抜け。

 

意外にも彼女は日医科大武蔵小杉病院での時間をエンジョイしている。


ナースにも聞き込み。もう、このタナベなるオトコとの対面に備えている僕がいる。

『もうすぐ田辺先生来ますよ〜』
病床でお会いした。

 

いや〜、なんとイイ男なんだ。
優しい表情に、子供の目線ですべて説明。こりゃ〜、心奪われるのも仕方ない。


勝手ながら男親の感覚で、『参りました!』となった。
二週間ほどの入院生活を経て、退院の日。


ナースに田辺先生の下のお名前を聞く彼女。もう、モジモジモジモジ。


主治医の佐野先生がいらっしゃると、
彼女は、『田辺先生は…いないの?』
ナースが言う。『今日は外来をされてるから、こっちこれないかな〜』

 

すると主治医の佐野先生、『僕、外来を、田辺先生と代わってきますから、田辺先生、来てくれるようにしますね』

 

なんて、心を大切にしてくれちゃう先生や、ナース達ばかりなんだ。この病院。

 

その後も蜂窩織炎が再発すると、日医科大武蔵小杉病院へ。

 

外来では右田先生にお世話になり、採血があると、泣きそうな彼女に右田先生が言った。

『あやめちゃん、お注射は、田辺先生がやってくれるようにするからね!頑張れ〜だよ、田辺先生に強いとこ見せようね』

 

これって、カルテにあやめが、田辺先生を好きってことが書いてあるんじゃないのか!(笑)

 

細かな配慮。処置室に彼女だけが入ると、

病棟からわざわざ田辺先生がやってきて、ナースも4人ほど。

泣き声が聞こえてくる前に、

 

『フレーフレーあやめちゃん!フレーフレーあやめちゃん!!』の大合唱が外来診察室の空間に響いてきた。

『あやめちゃんー、がーんばれ!あやめちゃんー、がーんばれ!!』

ナース4人の大合唱が続く。

素敵なナースさん達ばかりだ。

 

親として、目頭熱くなる思いだった。
泣くこともあるけれど、彼女はもう、

田辺先生、そして日医科大武蔵小杉病院のファンである。何を隠そう、僕もだ。

 

病院のエントランスをくぐる。挨拶が交わされる。

明るい気持ちになれる、そんな環境は、この病院に携わる一人一人が作り上げているものなんだと感じる。


彼女は自慢する。

日医科大武蔵小杉病院を知ってからは
『あやめちゃんの病院はね〜、好きな人がいるんだよ。田辺先生がいるんだよ、髪がないけど、右田先生がいるんだよ。みんなフレーフレーって応援してくれるんだよ。コンビニもあるんだよ。プリキュアのお菓子もあるんだよ。田辺先生と結婚するの』


その自慢に僕は『いいよ〜』と答えるのみ。妹も、憧れと共に聞いているみたい。

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この病院の近くに住んでいる誇り。安心。嬉しさ。彼女には、今、この病院で経験する人との心の繋がりを、しっかりと掴んで欲しいと思う。

 

もうすぐ運動会。その練習で、ちょっとした擦り傷でも、彼女は言う。『田辺先生に会いに行きたいの』
彼女の病院自慢は、どうやら幼稚園でもらしい

幼稚園の先生にも言われる。『あやめちゃんは、恋の病なんですね!』

どうやらこれは、日医科大武蔵小杉病院でしか治せないみたいだ。

 

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そんな病院に、また、昨夜からお世話になっている。

心配はない。

なぜなら、日医科大武蔵小杉病院だからだ。

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2019/05/16

美味しいものは、裏がない、嘘がない。

美味しいもの、旨い酒、

そういったものを味わうとき、

裏がるか・・・なんて考えない。

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『いやー、美味しい!』これに尽きる。

美味しいものを食べた後に、この食材には裏が・・・なんてことは

考えること、ないだろう。

まあ、調理師さんとかなら、調理法に関して思いめぐらせることもあるかもしれないが、

警戒はしない。

しかし、最近は美味しい話には裏がある・・・なんて、当たり前になってきた。

オレオレ詐欺の類だとか、まあ裏があるわけで。

言葉に関しては、美味しい言葉に裏・・・勘ぐってしまう。

ラジオはそれこそ、言葉のいっぱいなメディア。

そんな風にならないように、注意している自負はある。

JA全農の番組を担当して、はや5年近くだろうか。

美味しいものをいっぱい頂いてきた。

やっぱり、この番組では、美味しいには、裏がないを証明している。

でも、美味しいの裏側には、ちゃんと努力している生産者の皆さんがいらっしゃること、

思い出していただくことができればと、この番組がその一助になればと。

番組をやってる自分たちもしかり。

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番組後に、東京支社長を迎えての、お酒を堪能する時間。

こういう時間が持てる、

こういう機会がある幸せ。これは現場にとっても嬉しい時間で。

美味しいものを囲んで忌憚なく話せる時間。

『あんなラジオ番組のような・・・』ではなく

『こんなの、創りたいです』が実現できるように。

一方で、

世の中には、裏がなくとも、心がない言葉が出回っている。

今宵もそんな言葉の羅列に遭遇した。

行動と言葉が一致しないのに、言葉だけは並べ立てる。(笑)

偽物の言葉。

そういうのが、普通になってしまっている世の中、

それに気づかない、麻痺した、言葉の軽薄化。

それに対抗するためにも、もっともっと言葉と音楽だけが勝負のラジオが、

ちゃんとした言葉と、言葉を偽物にしない姿を出さなきゃいけない。

それは、僕の場合、ラジオ以前に、まずは子供に対して。

カッコいい父親でいること、自慢の父親でいること。

子供達には出張中で会えていない時間だが、

それでも、気にしてもらえるように。

それが出来て、ラジオに臨まなきゃ、それこそ、

言葉の軽薄化に加担してしまう。

そんな自覚をあらためて覚えた今。

そんなんがいっぱいだからこそ、

いまや人の言葉を信じない・・・が前提のテレビCMもラジオCMもいっぱいだ。

これって、悲しくないかい?

結果薄っぺらな言葉ばかりを伝えるメディアだったりも増えてきていると考察できちゃうし、

信じるに足らない言葉ばかりを投げかけてばかりの人。

さっきまで言っていたことは???となるようなケースだってある。

言葉があふれかえっている。

その中で、真実の言葉がどこにあるのか。

誰が真実の言葉を使っているのかを、見極める力も養いたいばかりだ。

 

 

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JPコロニア、コスパ高し!

新しいアフターシェーブローションを入手。

僕の持っている中では、英国のトゥルフィットヒルに続いてのお値段。

トゥルフィットヒルが一万円以上だから、

それでも、次ぐ値段。

だいぶ違いはするが、ちょっと自分も、もっともっとオトナに変わってみようと。

4711ポーチュガルという選択肢もあったが、

少しだけリーズナブルなこっち。

でも、この製造販売元は、そもそもポーチュガルを作っていた会社。

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香りが精神に及ぼす作用も研究している。

爽やかで、アルコール度チョット高め。

一瞬、ヒリヒリっとするが、それこそ、消毒されてる実感を味わえる。

これを使うことで、新たな自分に向かっていると行動を始めることができる。

こういうところにかけるコストは、意外なほどパフォーマンスが高かったりする。

シェービングはメンドクサイ・・・と認識するか、

それを楽しむかで一日の始まりが変わる。

そこへの投資と考えれば、コスパは素晴らしく良い。

さ、今日も品位忘れずがんばろ。

 

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2019/05/15

何てことを・・・

僕が大好きだった箸があった。

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シンプルなブラックでPPS樹脂製。

2010年だったか。

横浜での結婚式。

妻の一番の親友、かよこちゃんの挙式で配膳に並んだもの。

彼女と妻とは鶴見女子出身で、その時からの一番の親友同士。

その式の帰り間際に、今日の記念にお持ち帰りください・・・

と言われて、その箸を持ち帰ってから、

本当に僕の一番の、自宅でのお気に入りの箸だった。

なんのことはない。その頃から流行り始めていた、

割り箸ではない、リサイクルプラスチック製のリユース箸だが、

ちょっと高級。その類の中では。

これが本当に使いやすかった。

それを、今宵、家族で蟹を頂いている時に折ってしまったのだった。

あの式には二人で参加したので、二膳分、4本はあるのだが、

3本になってしまった。

折ってしまった時、僕の妻は、特に気にする素振りも見せなかったが、

本当に、悔いる気持ちが、僕の中には生まれていた。

その箸は、僕の中でも見事に、かよこちゃん、彼女の思い出になっているから。

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なぜか。

 

かよこちゃんのお父様は、僕も舞台で何度もお世話になっていた

横浜ランドマークホールも入るランドマークプラザ、その支配人さんで、

僕もお会いしたことがあった。

とっても品のある紳士で、優しい目が印象的。

その昔、家内は、横浜勤めだったので、デートと言えば、横浜。

家内と横浜をデートしてれば、かよこちゃんも一緒になって、

そしてかよこちゃんのお父様に、ご挨拶したことも。

あの頃は、僕が舞台なんかに取り組めば、そりゃー、何か月も会えないこともざら。

舞台でツアーなら半年会えないことだってあった。

そして久々会える時には、

かよこちゃんも一緒に横浜で・・・なんてこともあった。

そんな当時の僕の彼女・・・であった妻を支えてくれていた、かよこちゃん、

そのお父様は、2010年になる前に他界・・・。

それで迎えた2010年の、かよこちゃんの挙式だった。

家内と結婚後、僕はかよこちゃんと会うことはなくなったが、

結婚して間もなく、かよこちゃんに病気が発見されてしまう。

ガンだった。

すっごく長く闘病して、再発、再発の繰り返し。

病院から家内と話すことが楽しみだった彼女のラインでの電話。

それが昨年、ある日突然、ラインから男性の声での連絡。

かよこちゃんの旦那様の声だった。

ラインの一番上にあった履歴で、電話をしてくれたとのこと。

かよこちゃんが、天に旅立った連絡だった。

目を真っ赤にして、耐えていた妻だった。

そんな時間も耐え抜き、そしての今。

我が家の食卓には、僕がお気に入りで並ぶ、かよこちゃんの挙式で頂いた、

その箸があったわけだ。

それを今宵、見事に折ってしまった僕である。

モノにコダワリを持つ僕なら、ショックで言葉にならない。

もちろん、モノのイデアとしての存在もあれば、

思い出としての象徴であった箸。

でも、妻は、『折れちゃったねー』の一言ですましてくれた。

そこに、痛切なる罪悪感を全身で受け止めていた僕がいた。

僕にできることは、それを一生懸命、同じものを探すこと。

そうする作業を経験することで、思い出を新たなモノに引き継がせること。

それしかない。

 

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2019/05/02

カキツバタなGW

今週は、週の半分出張ではなく、戻ってこれた。

 

さて、年齢を重ねることで、
謙虚になる部分もあれば、
傲慢になっている部分もあるんだと、深く認識するこの頃。
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例えば、苦労を知ることで、謙虚になる。感謝が増える。

 

一方で、子供の時や、学生時代に比較したら、
お金を使えるようにもなり、
お金で得られるものに対して、そこは傲慢なっているようにも思う。

 

小さな額ではあっても、『金のチカラ』ってやつだ。
まあ、僕が言っても、笑われてしまうばかりかもしれないが、
そんなとこだろう。

 

それが、だ。

 

手に入れられないもの、
例えば、時間・・・というものに対して、
切なくなる感覚というのは、
これは手に入れることが出来ないから・・・
ではなくて、お金を払ったとしても、切なさが購入できないことで、
味わえる感覚というものもある。

 

在原業平が、京都十輪寺において塩竃を焚いたような時間。

 

そういうものは、お金や対価を払ったとしても手に入れられない。

 

享楽は手に入れられるかもしれないが、
そうではなく、それこそ在原業平が過ごしたような時間というもの。

 

誰かの事を想い、そのことを思考するための『時間を味わう』ような人生。

 

学生時代、水越先生のもとで、在原業平の研究をしていた
当時の僕の方が、まだ、それに近かったかもしれない。

 

水越先生は、古文に関して、解析ではなく体験なんだと、
いつも仰って下さっていらした。

 

古文は解析されるためのものではなく、
心を伝えるために記されたツールなのだから、
そのツールは解析したって、意味がない。
『理解できる心を養っておくべき』だと。
彼と同じような境遇を経験した人にしかわからない文言が、
伊勢物語には散りばめられているんだと。
『だからこそ、それを理解できる人間になることが、岡田くんの研究なんだ』と、
そんな言葉を僕に下さった。

 

これは、大学の研究室で、島川聖一郎先生も、
同じニュアンスの事を、シェイクスピアに関して仰っていらした。

 

シェイクスピアは、読解されるために、文学として残したのではなく、
上演されるために、脚本を書いただけなのだと。

 

シェイクスピアの作品、それは文学ではなく、上演のための台本なのだと。

 

上演するために理解できる人間としての心を鍛えることが、理解の第一歩なのだと。

 

ゴールデンウィーク一週間前の土曜日、
右肩の剥離骨折をして、
それでこそ知りえる感覚、
病床の不自由であるという感覚すらも、購入は出来ない。
今回は、存分に味わってしまった。
まだ、痛みはあるが・・・。

 

これを苦痛ととるか、味わえたと喜ぶべきか。

 

正直、なかなか痛みに対して喜べる僕ではないが、

 

平成の最後にこういうチャンスが訪れたとも表現でき、
それは、感謝できている僕には、なっているように思う。

 

そして今、在原業平が感じえたような感覚は、
このゴールデンウィーク中だからこそ、
仕事をいつも通りこなす自分、そして、いつもとは違う聴き方をして下さる方々、
そしていつもとは違う時間の流れの中で、切なさを味わえている僕がいることで、
存分に味わっている。

 

否、ありがたいことに味わえてしまっている。

 

グリーン車から駅に降りると、
いつもは現実に飲み込まれる。ラッシュ時の駅の状態に飲み込まれる。

 

しかし、今週は、駅に降りても、改札口まで普通に、
そのまま歩けてしまっている。
グリーン車から降りても、グリーン車のような快適な移動。

 

そんな快適さの中に、いつもの日常の喧騒に恋焦がれる、もう一人の僕自身。

 

家庭内での紛争のような忙しい朝の時間、それを乗り越えて送る幼稚園、
そんな慌ただしい朝の時間もなく、
幼稚園もない、平和な朝。
その一方で喧騒を恋焦がれたように、朝の慌ただしさを恋しく思う僕自身。

 

このギャップに対する対価というのは、
とてつもないもので、買うことが出来ないものであることは、明らか。

 

これは何十年と経験していなかった感覚かも知れない。

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今日の番組の相棒、高賀茂さんが、
『眞善さん、これは令和以上に、いつものGWとは違いますね!』なんて言ってくる。
そりゃそうだ、剥離骨折の痛みもあるもん。でもでも、でもね、違うのはわかる。

 

これを水越先生ならば、どう過ごせ!と仰ることか。
なんとも、カキツバタなGWの僕である。

 

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2019/05/01

変わるからこそ、向き合う

真剣に向き合ったからこそ、

出来る事もある…はず。

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片や真剣、真剣が一方のみで、片や、そう言う思いが重なっていなかったと、後からわかった場合、

それを知った場合、その成果は、期待していたものではなくなってしまう。

 

 

 

僕は、熱血タイプでもないし、出来ればそんなとこは、通りたくはない系統なんだけど、しゃなりしゃなりと、時間を歩みながらも、真剣なときは、しゃなりしゃなりしながら人一倍、ちゃんとしていればなと。

そう願うから、そうしてる覚悟。

 

普通のことを、しっかり普通に。

 

普遍的なこと、それを乱して是とする事には嫌悪感すら抱くし、

そもそも、自分が支えられて、今があることを認識出来ているのかと。

 

自分さえ楽しければ、良ければ…。

そう言う思いって、とても嫌で、そんな思いを認める、賛同する気持ちすら、僕はとっても嫌悪。

 

表現としては、柔らかい言葉の羅列されたものかもしれないが、その実は、自分優先主義で、社会とか、そんな概念がないからこそ、そんな思いを持てる。

 

それを是とする感覚。

そこに共感する感覚。

 

それらに対し、社会の中で生かされているのだからこそ、そしてお金が回ると言うのは、根本に社会があるからこそと思う気持ち、だから生活出来ているわけだし、生かされている…、と、しゃなりしゃなりではあるけど、責任があると考えること。

それが、人々の生活、営みが、これまで続いてきていた『優しさ』なんではないかと。

 

その優しさを、当たり前、普通と思っては、なんて鈍感なことか。優しさに気づかないことか。

 

親への感謝とか、

実質、後になってから、親になってから初めてわかる事もある。

 

まあ、僕の場合は、自分が親になって、初めて、父親にパフォーマンスで可愛がられていたので、そこに本当の愛がなかったのだと、初めて知ることにもなったが、多くの場合はその逆だろう。

 

親が子に愛情があることは、それは普通のこと。そんな普通を普通と言えること。

 

その普通、受けた側が、普通だと思っては、あまりに寂しすぎる。

 

時代が令和になった。

 

平成の終わり、天皇陛下が武蔵陵墓にて、昭和天皇にてを合わせられていた。

昭和天皇を…。

アナウンサーがそんな言葉を使っていたが、まさしくその通り。

 

なんだけど、

その実態は、子供が、親に手を合わせる…と言う、僕らにでもある光景。

 

これが続いてきての、何回も続いての今に至っている。

 

そんな歴史の自分が一部でもあるという事。

 

そう言う思いがある事を、

例えば、比較対象にされてしまう事。

 

そんな感覚をどっちでもいいと、言えてしまう事が、僕には驚きでもある。

 

令和と言う時の幕開け、色々真剣になる瞬間を味わっている今である。






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2019/04/26

痛みを受け入れて

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わがままな思考に陥ってしまっていると、自分の痛みばかりしか認識できず、
相手がどれだけ今までリスクを回避するために努めていたか、
どれだけの痛みを伴ってきていたのかを評価できない場合があるんではないだろうか。

そのリスクとは、軟着陸することであり、そのために、実は陰で犠牲にしたもの、
つまりは見えないところ、見させないところで、リスクを払ってきていたという言う事を見ずに、
現状では着陸できている事を、当事者として当たり前だと思うのは、稚拙な現実主義のように思う。

見えているものを、実現させるためには、
見えていない部分で、あまりに多くの犠牲が、実はあることを、想像することも必要だ。

自己本位になっているときに、主張もすべてが自己本位で、
相手の見えていない時間を想像する力が欠如していて、
見えている部分で、着陸できている現実を、話のベースとしてしまう。
それでは話も噛み合わない。

なぜなら、日本語には建て前と本音がある。
本音だけで会話を成立させてしまえば、それは楽。

それが理想だろうか?
そんなことはない。

しかし、実は本音というのは『欲望の正体』であり、
相手のことを、本気でおもんばかろうとする時に、建て前がある。

建て前というのは嘘ではなく、相手のことを最優先した結果の言葉でもある。
その時には、欲望の正体である『本音』を口に出せない。
それこそが配慮。

つまるところ、建て前だから、真剣じゃない・・・のではなく、
建て前だからこそ、その建て前のためには、見えない犠牲が陰に存在しているということ。

その見えていない犠牲は相手のために。

それが、わかる人もいれば、想像することすらも出来ない人もいる。

例えば病院で、何らかの告知を受けたとする。
その時に、医師が相手のことをおもんぱかって、
『もう退院ですね』と言うことがあるだろう。

その時に患者の方が、この医師は完治していない自分に対して真剣ではない…
と判断したらどうなるだろうか。

医師には、それ以上の考えと、思考、悩んだ上での決断としての
『もう、退院ですね』という言葉であって、

この医師は、あくまでもその患者のこれこれからの事、
そして生きている時間のことを考えて
病院から解放しようとしたのであって、その患者を見捨てたわけではない。

そこに対して、患者から『この医師はだめだ』と裁判を開かれたら、
医師としては、情けないことこの上ないだろう。

医師であるならば、そりゃ、すべての病を取り除きたい。
しかし、それは本音ではあるが、『生きること』を患者本位で考えたとき、
患者のことを考えたら、実験台にしている・・・となることだってあるだろう。
だからこそ、退院させるのだ。

自分は治療を進めたくとも、本音と建て前、それを天秤にかけて、
医師としてできることを断念し、患者を、『活きる時間』に放つわけだ。

それを、見放された・・・と取られてしまっては、
あまりに患者の方の思考が傲慢である。

こういう事は、医師から、慎重なる病の告知をされたことがある、
そんな経験者でないとわからないのだろうか…。

医師と患者の間にはケアマネージャーがいたりもするが、
日常においては、それはない。

だからこそ、想像力、思考力は常に持ち続けたいもの。

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2019/04/25

重なる瞬間

見ずもあらずも見もせぬ人の恋しくは
あやなあく今日や、眺め暮らさん
月やあらぬ、春や昔の春ならぬ
わが身ひとつは元の身にして。
起きもせず寝もせで
夜を明かしては、春のものとて眺め暮らしつ・・・。
(伊勢物語)
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一瞬でもすれ違うことで、
その日が元気になることもある。
その一瞬が、意図しない瞬間でも、それが
抱えている問題から解放される時間になることも。
水曜日は四時間の生放送。
自分たちは四時間を通してのコンテンツと考えるケースが多いけれど、
実際、四時間を通してこの番組を聴いてくださっている方というのは
それほど多くはないはず。
車を使った一瞬だったり、車からおりての作業中だったり、
四時間の中から切り取られた一部を共有する場合がほとんどじゃなかろうか。
だからこそ、一瞬のすれ違いが、良いものであればと。
四時間を通しての結果、『よかった』ではなく、
一瞬のすれ違いが、『よかった』になれば、
それこそ本望にすべきことなんだなと。
(中略)
土曜日、激坂を上り中に剥離骨折した。
それから腱板断裂も。
もうこれが痛いのなんのって。
なかなか眠ることもできない。
すがる思いで期待して頼ったものこそ、まったく頼りにならずに、
かえってストレスになってしまったり・・・
優しさで出来ていると言われるバファアリンの方が、よほど頼りになる。
それが、一瞬でも楽になる瞬間がある。
そんな瞬間のような番組である四時間。
その一瞬。
そういう時間が連続になっている四時間ならば、
目指している優しさになるのではないかと。
今回、痛みに包まれた時間の中で、改めて感じた。
本当の特別は、それまでの時間ばかりにとらわれることなく、
その時に進行される事に感じる幸せにあるんだろうなと。
今は、痛みが和らぐ瞬間、忘れられる瞬間にあるんだと。

 

 

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2019/04/18

夢語れるか、ビジョンを抱いているか、

 

 

ラジオの仕事をやっていると、

これは必然的に、世間の感覚が番組に届く事になる。

それは日常の些細な事だったり、家族間の問題だったり、それこそ恋愛の悩み、そして、答えられるかわからない相談だったり。

それは、良いことも悪いことも。

している側も、されている側からも...。

だから、このラジオで会話する立場でこそ、見えてしまう部分もあったりするもの。

 

ゆえに、身の回りの人様の、恋愛などにおいて、立場を顧みずに、

『うまく使われてしまっている人』

と 『使っている人』というのも見えてしまうという、不都合は僕の中にはある。

 

例えば、男でも40代になって、恋愛をするのであるならば、それこそ、責任の所在をはっきりした付き合い方をするのが、普通に考えられる多くの40代男。

だって、番組に来るメッセージで40代男性からのメッセージはそういうものがほとんどだから。

 

悩むところが、そういう点に主眼が置かれた話題ばかりだ。

これが、20代ともなるとまた違った相談内容になってきている。

 

そして、20代と言うのは、僕も経験してきたことなので、他のメッセージを見ずとも、僕自身の感覚で読み解ける部分もあったりする。

 

ただね、やっぱり40代の男が恋愛するともなれば、そこには20代とは違う、30代とも違う、絶対的な責任を持ってほしいんだよね。

 

相手だって、大抵は20代の女の子とかでは無いのだから、相手の時間も消費していることに気づいて、

 

だからこそスタートから責任を持った恋愛をしてほしいと願ってやまないわけだ。

 

正直、未来のことも話し合って、

『恋愛をスタートさせる段階』において、すでに話し合っていてほしいと思うのが、僕を始めとした、他の40代男からする、一般的な感覚なのではないだろうか。

 

そうであることを願って止やまないのだ。

そうでなければ、40代の男の恋愛は、ただの相手への腰掛けになってしまう。

相手を『腰掛け』としての存在として見ていないのであるならば、それこそ、ちゃんと未来を、ビジョンを語って欲しいもの。そして行動が伴っていて欲しいもの。

 

僕の場合は、語ったビジョンが現実になっていないと言うのはある。

でも、これは不可抗力と言っておこう。

収入に関しての事だから。

 

それでも、『ビジョンを語ることをしなかった』…と言うことはない。

 

夢は、語れた。

語るに相応しい存在だったから。

 

そして、そうする気が、あったから。

だから考えていた。だから語れた。

 

家族には、ビジョンが現実的には伴ってない事を申し訳ないと思うばかりだが、それでもビジョンは、ちゃんとあった。

 

その上で結婚して、さらにその上でのビジョン。

 

夢なくして、今だけを堪能しているようでは、20代30代ならまだしも、40代となっては、40代の男としては、世間の感覚とは明らかに違う。

 

番組によくメッセージをくれる春山●●●●●●さんの悩みや、相談って、やっぱり、

40代の男ならではの相談だなぁと毎週のように感じる。

まあ、僕の場合は、そりゃ『収入に関する面のみ』ビジョンをなし得てない…

とは、決して思ってはいないが、

『仕事の面』に関しては、語ったビジョンを現実のものとさせて頂いている。

 

それは、こんな40代の男を支える家族がいて、仲間がいて、会社があって、放送局があって、その他、とにかく大切な多くの人がいて、実現できている事でもある。

 

それゆえに、この仕事での、仕事量と収入とは比例しない現実をも、

ひしひしと感じながら、今でも仕事においての夢は語れる僕が、今でもいる。

 

世の中には、そのビジョンを、どんな尺度で判断するかによって評価が分かれるところもあると思う。

もし、それが収入と言う面で判断されるのであるならば、僕はダメな男だ。

 

でも、語ったビジョンを、収入以外の部分では実現させてきていると判断してくれている家族がいる。

 

だから、やってこれてる。

 

夢、ちゃんと語れて、

それはビジョンを持っている事の証明で、そして、努力するための後戻り出来ないはずの言質でもある。

 

すでに、僕には語れない事もいっぱいあるけど、

語れるならば、『ちゃんと語る事の出来る』40代の男でありたいと、心から思っている。




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2019/03/21

那須塩原、君島市長、やすらかに

那須塩原の君島寛市長が3月9日に亡くなられた。

そして、市民葬が昨日、執り行われた。

君島市長、思い出が多い市長さんだった。

市長という立場とは別の質問にも、
快くインタビューに答えて下さり、
また、それが、市政への原動力にもなっていると感じた時だった。

市長である今、一番の嬉しいことって、何ですか?という質問に、

『自分の一番の楽しみは、正直なところ、孫と遊ぶことなんです...』と。

答えにリアリティがあった。

『だから、孫が住んでいる国、この地域をより良くしてね、
次の世代、そして孫の世代に渡さなきゃ、なにせ、孫が可愛すぎるからね~』と。

本音以外の何物でもない。

トゲがある質問をすれば、
毒のある答えで、話して下さり、
そういう空気を読んで下さる方だった。

何より、孫と遊びたかっただろうに。

よく、おじいちゃんおばあちゃんは、孫に責任がないから、
より溺愛できるし、なんでもしたくなっちゃい、
全ての原動力になると、
多くのお年寄りに、孫との関係を伺う事で、
これからの時代を演出する『マゴマゴタイムス』と言うテレビ番組をやっていた僕は、
インタビューでさんざん聞いていた。
雑誌『孫のちから』でもそうだった。

そんな原動力が、君島さんは
、見事に市政にと、活かしていらっしゃった。

自分でなく、何より孫、孫世代が誇れる那須塩原のために。

言葉だけでは済まされぬ、本気の愛情が、
その根底にあったんだと、感じていた。

素敵な市長さんだった。

その心意気は、多くの方々に息づくポリシーになっていることと思う。

どうか、安らかにおやすみください

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2019/03/20

危惧する兆候

見事なまでに、近ごろは、物事の判断を、単一的な価値観ばかりで決めつけ過ぎだと感じるのです。
ニュースをみても、『いい』か『悪い』...。
『適切だった』か、『そうでないか』...。
そんな判断ばかり。
何かを批判するには、その尺度だけで、物事判断するのが容易なのでしょう。
それを気にしてニュースを見ると、ホント、事実を伝えるニュースが、
結論として『適切だったか調査するということです』で結ばれている。
そんな限られた2つの尺度でばかり社会を評価する風潮がこのところ強いかなと思う。
本来は、もっと人間らしく,
好き,、嫌い
タイプ、タイプでない、
おいしい、まずい、
美しい、そうは感じない、
愛しい、愛しくない、
とにかく感情ごとに、そうかそうでないかがあっていいはずなのに、
例えば『おいしいは…良い』で、『まずいは…悪い』
と言うような判断になってしまっている。
だからこそ例えば
『髪が短い、ショートカットの女の子が好きでさ、タイプかなー。』
なんてことを言えば、
『それは髪が長い女性に対して、差別に当たる、適切でない!!』
なんて事を言われるようになってしまったり…。
自分の嗜好を話しただけでありながら、
それが勝手に『適切でない!』などと、そう言われるのは
ちゃんちゃらオカシイ。
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以前に、演劇の演出に関しても書いたことがあると思うけれど、
いい演劇も悪い演劇というもの…は、存在するまでもなく、
それは、観客の主観での、好きか嫌いかで、それでいいんです。
映画にしても絵画にしても、芸術全般に対する判断で、
善悪はないと思うわけです。
もちろん、道徳的な観念はそこにはあって当然と考えた上で…ですが、
個人が、言葉や作品を『良い、悪い』で判断することは、
あまりに短絡的であると思うのです。
それ以外の尺度というものの存在を否定してしまっては、
それこそ人間が、ゼロかイチかと言うデジタル的な判断のみで、
動かされてしまうことにつながってしまうと思う。
そんなデジタルでできないことを、人間はやり遂げるのであって、
だからこそ非合理的なことも人間的と言う言葉に置き換えることができるわけ。
そもそも人間が生きていると言うこと自体が合理的ではない。
いろいろな感情が存在して、
いろいろな矛盾や、それこそ無駄なことだって、
恋愛には必要だったりもする。
子育てだって、良い悪いではなく、
いろいろな尺度で認めることができなければ、
子供と向き合うなんて、そもそもが無理な話。
子供には子供の理論があって、それは良い悪いではなく、
興味津々と言う原動力によってつき動かされた行動の結果だったりもするのだから。

それは幼いうちに、いろいろな悪いことも経験した上で大人になってから悪いことをしないようにする経験につながっている。
イスラム教の教えではないが、物事には両端があり、その両端が中和しているところに人間がいる。だからこそ片方だけではそのシーソーは成り立たないわけだ。
幼いうちから、良い!だけを認識しかしないから、痛みが分からないこととか、あるのではないだろうか?
政治の世界でも、
適切であったかそうでないかの議論ばかりで、
信念や理念、理想、未来、国を引っ張っていく議論・・・
と言ったようものが少なくなってきてしまっているように思う。
それは野党が見事なまでに
『適切であったかそうでないか議論』ばかりで、
与党に攻め込もうとしていることからも感じる。
適切であったかそうでないかと言うのは、事後の判断であって、
ことを起こす原動力にはなり得ない。
つまりは、そんなことばかり言ってしまっていたら、
何も始まらないし、人間として生きている時間がもったいない・・・
とも言えるんではないだろうか。
価値観の多様性というようなことが、叫ばれているけれど、
実際には逆行している現状を感じ、
それがまた、ラジオから言葉、スタンス、自由さを奪って行っているようにも思われる。
さらには、その現状の危うさを感じない現場というのも、危険だと思う。
幸いにして、僕の現場ではそういう仲間がいないというのが救い。
なんとも人間らしい価値観を失い始めている・・・
そんな昨今だと感じずにはいられない。

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2019/02/20

ドレッシングの味わい…。

どれだけのドレッシングを無駄にしてきたことか・・・。





僕はサラダが大好きである。
今まで食べたドレッシングで記憶に残っているものは多々あるが、
富士急ハイランドの近く、
ホテルレジーナ河口湖のフレンチドレッシング、
北里大学病院のレストランのグリーンサラダ、
海老名の旧オークラホテルのサラダ、
以前の宇都宮東武ホテルグランデの朝食でのドレッシング、

記憶をたどらずとも、
すぐに出てくる、忘れられない味のドレッシングが色々あるわけだが、
そのどれもが、自宅では再現できていない・・・。

ただ、味覚と言うものが、見事なまでに味わう時の環境に左右されると言うことは、
実証済みである。

たとえば、東急田園都市線、つくし野駅前の、コナという小さな喫茶店がある。
ここのモーニングのプレートに添えられている、ちょっとした刻んだキャベツが旨いのだ。ここで、母と一緒に時々食べていたモーニングプレートや、ランチ。
旨かったなぁー。
だが、このキャベツにかかってるドレッシングは、
おばちゃんが、まんま、買ってきた一リットルのドレッシングを
ボトルからかけてくれる。
キューピーの中華ドレッシング。
しかし、これをスーパーで買ってきて、自宅でかけても、その味わいではない。
納得いかず、再度確認して、容量で味が違うのではないかと、
お店と同じ、一リットルのボトルでも買ってみたが、
味わいは自宅では、小さなボトルと一緒だった。
つまりは、コナのモーニングプレートとは味が違う。

さらには、Nack5、レディオファントムの取材で伺った、幸手のブルトンと言うカフェ、
ここで食べたサラダも美味だったのだが、
ドレッシングは、キューピーのすりおろしオニオンだと教えてくださった。
うちのは、普通なんですよ・・・と。

で、購入した。キューピーのすりおろしオニオン。

しかし、自宅で再現しても、まったく味わいが違う。

つまりは、どんな環境下で味わうかによって、味覚と言うものが見事に違ってくると言う証明でもある。

そして音楽でも同じではないだろうか。
ラジオにはリクエストと言う文化がある。
もし仮にその音楽が、とてつもなく好きでずっと聴いていたいのであるならば、それこそCDを何回も聴き続けてればいいわけ。
そしてその音源だって自らが持っているにもかかわらず、ラジオにリクエストしてラジオから流れてくると、また格別なる味わいに音楽を感じることができる。
だからこそのリクエスト欄ではないだろうか。

という事は、誰の、どの番組で、その音がかかるのか、
誰のどんな話の上でその音楽がかかるのか、

これらがラジオにとってはとても重要なんではないかと思う。

それを考慮せずに、音楽だけのチョイスと言うのはありえないし、
そーゆー選択ができるディレクターこそがやはり素敵な事ですからんではないかなと思う。

ラジオで情報発信する…などと言うが、ラジオこそ、発信ではなく受け取るメディアなのではないかと思う。
一対1で向き合って、そのやり取りの様子、それを楽しめる。

だからこそ、他にはない味わいが、ラジオにはある。

ドレッシングが、我が家では味が違うように、
音楽もまた、どんな環境の下で堪能するかで味わいが違う。

あとは、ラジオだからって、特別でないことも。
そのラジオで話している人も、そりゃ人間なんです。
悲喜交々あるわけです。

それを考えずしての行動は、そりゃ、情けなくもなります。

人としての節度は、やはり守らなければと。



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2019/02/11

韓国映画『弁護人』を

韓国の映画『弁護人』を見た。

2014年の韓国映画。


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今、現状を鑑みると、日本とはとんでもない状況ではあるが、

この映画を観ることで、韓国の良心と言うものも、そこに存在していると理解できれば、

その反面、韓国の怖い部分も想像通りに存在している事が理解できる。


この映画は1981年の実話が元になっていて、韓国釜山で起きた冤罪事件

「釜林(ブリム)事件」がベース。そして主人公は過去の韓国大統領である。

故盧武鉉大統領、その人だ。


その大統領が、大統領になる以前の弁護士時代の物語。


普通の大学生が国家保安法のもとに裁かれる事件。それを弁護することで、

人権に目覚め、闘った弁護士の物語である。


それが故盧武鉉大統領というのに驚いたが、

当時の国家権力は、全斗煥の軍事政権で、そこへの敵対意識がストーリーの中心。


こういう経歴、経験のある人間が大統領であったのかと、

僕は初めて初めて知ったわけだが、

その一方で、韓国と言う国の大統領は、

誰1人として任期を終えた後に有罪にならなかった人はいない。

つまり、大統領経験者が、みな全て、犯罪者になってしまう国家…とも言える


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この現象は、検証された書籍にもなっていて、

『大統領を殺す国 韓国』と言う辺真一氏の執筆されたもの。


誰一人として、歴代の大統領が、大統領としての任期を終えた後、

普通に暮らした大統領がいない国だと理解できる。

皆が皆、有罪になり、罪人になるのである。

たしかに、歴史、すべてがそうなのである。


それこそが、韓国と言う国を物語っている。

国家保安法と言う名の法律の元に、なんでも感情が優先されてしまう。

国内でさえも、そうなのだから、外国に対し、国際的な常識が

『通常』と言う感覚で存在するとは言えない。


ただ、国家保安法にて敵視された側には、外国でいう『常識』と言うものがあるのだと。


つまりは、韓国と言う国において、

政権は常にAとBが交代して成立しているために、

新政権は常に前政権を批判しそして有罪にするところから政権がスタートしている。


つまりは、理想ではなく、前政権の否定によってのみ、

政権交代するからこそ、前進ではなく、

前政権を処刑することからスタートするしかないのだ。


それは歴代のどの政権も前政権を否定するところで勝利を得ている。

これがずっと何回も繰り返されているわけだが、これを繰り返さない!

と言うことをしない国家、国民がいる韓国という国家…と言えよう。


結局、だれもが、民主主義を守る!という理念のもとに、

独裁主義的な方法によって、意見を異とする存在を否定していく。


つまるところ、意見を異とする存在を否定する事でのみ、

自己肯定を到達させる歴史の繰り返しに近いのだなと感じるばかり。


その一方で、この映画を作った人間がいることも事実。

この映画を作れる人ってのは、それを理解しているからこそ描けているわけで、

一種の警鐘でもあるのではないかと。


今後、日本と韓国がどういう付き合いになるのがベストかは、僕には見えないが、

それでも、『これまで通り』では、繰り返しになることは間違いない。

これまでとは違った対応を続けることを願う僕もいる。


韓国の繰り返し好き・・・に呼応しないためにも、

これまでとは違った対応は必要だと思う。


韓国の中にも、この映画を作った人、この映画の真意をくみ取れる人がいるのですから。


少なくとも、日本は前政権を批判したとしても、処刑から始める国ではないのですから。



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2019/02/09

空気清浄機の本質 #nack5

空気清浄機マニアの僕からすると、

こいつは、絶品空気清浄機。
である。
やはり、基本はパッシブで空気を濾すことが何より大切。
そして、濾された空気が綺麗であること。
A180220001
実は高級機で『フィルター5年交換不要!』なんていうのも増えてきたが、
いわば、五年前から蓄積されたフィルターのゴミの間を抜けてきた空気で満たされた
部屋の空気を吸う・・・
と、考えると、精神衛生上、これはいいとは言えない。
綺麗なフィルターで濾された空気の方がやっぱりいいわけで、
こいつは、フィルターの交換も2000円ほど。
新しいフィルターで、新鮮な濾された空気の方が良くないかい?
そう考えた場合、ツインバードは身近になるわけです。
僕もこれを2台使っていますが、埃、花粉はこいつをフル稼働させた方が
家庭内総花粉量が減るはず。
いわば、燃費がいいわけ。
それから、加湿機能付きの空気清浄機も増えてきているけど、
これも分けた方がいい。
なぜなら、加湿しないときに加湿フィルターの濡れ残り・・・
これが、乾ききらないで使うバスタオル、
つまり室内干しに失敗した状況と同じ悪臭の発生機になってしまう場合が多い。
これ防ぐためには、次亜塩素酸水を使いたいとこ。
我が家ではそうしている機種もあるけど、
素直に加湿器を稼働させた方が、
これも精神衛生上、いいんです。
アクティブな空気にコダワリたけりゃ、
パナソニックのナノイー発生器を別に用意した方がいいわけで。
いわば、車でも、サーキットからオフロードまで、
高級ホテルのエントランス車寄せから、砂漠まで
すべての走りをこなす一台・・・
これは、逆にすべてが中途半端にもなってしまう。
別々にあった方がいいのです。
ジムニーとGT-R、センチュリーとね。(笑)
そういう意味で、ツインバードの空気清浄機はジムニー、なんです。
もうオフロードに特化しているわけです。
そして燃費がいいから、走らせることに躊躇しない。
空気清浄機は、そのイデアから考えて、
稼働させてこそ、意味があるもの。
置いとくだけでは意味がない。
だからランニングコストが優れていることが重要。
だからこそ、これからのシーズンは、特にツインバードがおすすめ。
ぜひ、Nack5特選市で。

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2019/02/07

行きつけ

大宮でも、行きつけ、顔なじみの店が出来てきた。

武州うどんあかね屋や、
この、大宮コーヒーロースターズ。



ここのポークソテーが好きで、
こだわりを持って、栃木の豚を使ってくださっている。







これが旨くて、また、付け合わせのプレートの上のサラダが美味しくて…。

ドレッシングの秘密は、オーナーに聞いても、『これは、ドレッシングではなく、いわばソース』と言うばかりで、教えてはくれない。

この、野菜の味をちゃんと残せるドレッシング、憧れだ。

ここに居ると、時間を忘れて、ゆっくりできる。

もちろん、食後の珈琲も美味しい。



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教育において、最優先されるべきものは



今朝の読売新聞

制度や仕組み、規定の話ではなく、心の問題と言う根本だと思う。

学生時代は理解していたとは言えないのだが、
やはり
『教育が国家の財産』

と言った小原国芳の言葉が沁みる。
悔やみきれない念。

親の受けてきた教育がどんなものだったか、そこを反省すべきで、教育において、『心』よりも、制度や仕組み、カリキュラムばかりが何より優先されてきた結果なのではなかろうかと…。

心がちゃんと育っていれば、こんな事は出来ないし、問題にすらならない。
そもそも起きない。

あの問題は、親の段階の教育を反省すべきではないかと、真剣に思う。

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2019/02/06

洗濯機の選択の悩み・・・

もうかれこれ、不満を抱きながら、

東芝のドラム式洗濯機を10年近く使っている。
250VGというやつだが、
これまでかなりの額を修理に費やしている。
だからこそ、買い替えられない・・・という心理的環境でもあるのだが、
実は、節水機能が当時は無理していたのだろう・・・
すすぎがなかなか上手くできない。
柔軟剤ではなく、洗剤のニオイが、間違いなく残っている。
乾燥機は使えば、途中でエラーになるし、
カッチカチのシワシワ。
いい加減、室内干しの時の洗剤の残り香で子供が咳き込むので、
買い替えねばと。
でも、いろいろ見てくると、ドラム式洗濯機の相場が
この10年ほどで1,5倍くらいになっていることに気づく。
でも、急激に上がり始めたのは、この3年くらいだ。
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取材したことがある経験から、洗濯機は日立贔屓なのだが、
価格comみてみると、乾燥の段階で、排水溝からの臭いを吸い上げてしまうなど、
そんな問題が頻発していて、ユーザーレビューが熱かった。(笑)
設計ミスだと断言する人まで。
すると、やはりパナソニックかなと。
まあ、ばっちり、ぶつかり合う、この2大メーカー。
パナソニックも、洗濯機での取材はさせていただいたし。
ただ、技術者の熱さが、日立はすごかった。
でも、日立、なんだか、新築の環境で使うにはいいみたいだけど、
集合住宅で築年数が経っていると、下水までの配管を意識して、
臭いの問題を考慮すべきなんだと・・・。
いやー、ジレンマ。
もう、洗濯機で東芝というチョイスはサービスのことを考えると、修理高いし、
すぐトラブルあるしなと。
フラッシュエアーとかは、すごくいいのに・・・。
悩んでいるけど、いつ買うか?
そしてどこで買うか?
そんなのが番組で遊べたらいいのに・・・。(笑)

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2019/02/05

今そこかい?大切な本質を見ずして…

まぁなんとも重箱の隅を突くような…。


自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」


そもそも自衛隊と言う言葉概念が日本独特のもの。

だからこそ、

自衛隊の意訳を英語でなんて言っていられないって。


『JAPAN MARITIME SELF-DEFENSE FORCE』


そりゃ、正式な表現っちゃー、表現ですよ。


でもアジェンダはそこじゃないって。


海の上、空、そういった場所では意味、存在がわかりやすいほうが、

相手のためでもある。

しかもその言葉ですら相手から…聞き取れなかったなどと言われてしまうのだから。


そこに深い意味を見出そうとすることこそ、

今の日本で安全に暮らしていけることが、

そもそもどれだけありがたいことなのか、

現状で素晴らしいことなのかと言う、

その見えないとこにどういう労力が費やされているかの認識不足。


見えることばかりで、見えるものだけをみて批判するなら、稚拙すぎる。


実は日本の自殺者数が減少傾向にあると。


そういうこともちゃんと認識しなきゃいけない。


その上での話だ。

切羽詰まった状況から抜け出した人が増えたと言う事でもある。


それを差し置いて言葉の問題…いや言葉の問題以前に、

それを取り上げる感覚こそが物事の争点見ずして、

同じ日本の足を引っ張っていることに気づかないのかと。


まぁこうして重箱の隅を続けることこそが、

ドンダケありがたい環境下でのことなのか…。


もちろん、僕にもわからない感覚だったり実情はある。

しかし『今そこ??』

なのである。


全く以て『JAPAN NAVY』でいいんじゃないかと。

いわば、その日本語訳の認識を日本である、

当事者の我々が理解していればいいわけで。

日本独特の見解を押し付ける英語訳でなくてはいいんじゃないか。


現場の状況を知らずして、

外野からワガママの押し付けは、平和だから出来ている事実。


そんなこと言ってられない世界だってある。


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綺麗・・・の概念

Dscf1250 毎週100キロを超えるドライブを、取材のために

ディレクターのFKD氏と一日で走破しているわけだが、

その100キロを超えるドライブの途中、よく話題に上がり、議論することがある。


それは『美しさ』や『綺麗』と言う概念について。

まあ、もっと下世話に言ってしまえば、

お互いの『好みのタイプ』だったり

そんな話から始まるわけだが、

なぜ人によって、好みのタイプ、つまりは『綺麗』だと思う人の傾向が違うのだろうか…。そんな話題を真剣に突き詰めていくことがある。

もう何回もだ。

結構下世話な話題から、哲学的になっている。


極端なことを言えば、


首長族などは、首が極端に長い女性こそが美しい女性とされるらしい。

しかし、僕らは、そーゆー女性を見たとしても、なかなかそうは感じづらい。


そして男女ともに、セクシーさを感じる部分も違っていたりもする。

なぜそういうことが起こりうるのか。


人生の中の、どの段階で、そういうことが価値観として、

個人の中に決定付けられて行くのか?


もし仮に、首長族の男性を、幼い頃から日本で育てた場合は、どうなるのか?

それでもDNA的に首が長い女性を美しいと思うのだろうか…。

などなど、『綺麗』の概念についての議論は、FKDディレクターと尽きないわけだ。


少なくとも、僕に自信があるのは、ディレクターのFKD氏、

彼の好みは分かっているつもりである。

同じように彼も僕の好みをわかっている。結構そこは間違いがない。

そしてその感性をお互いに認め合うところでもある。


一方で、『きれいでない』、『美しくない』といった方向性に関しては、

多くの人が共通見解を得る部分でもあるのではないだろうか。

ただ好みと言うことに関しては、

それこそタイプは片桐わたり、すべての理想が違っている。


娘が通っている幼稚園、そこでもやはり綺麗なお母さんがいらっしゃる。

綺麗な先生だっていらっしゃるby FKDディレクター。


しかしそれは僕や彼ににとってであり、他人にとってはまた違うであろう・・・とも。

それぞれの『綺麗』の概念から言えば、また違っていることも、至極当然。


そう考えていくと、

きれいと言う概念については、人それぞれほんとに多くの概念や理想型があり、

それこそ、『きれいな人』という言葉から、

『きれいにする』と言う事まで、

全く意味が違ってることだってあり得る。


子供に、『きれいにしなさい!』と言うことを言う時にも、

その綺麗と言う言葉の目指してる方向性が違っていたりもする。


例えば、うちの場合は、家内が言う場合の『きれいにしなさい!』は

『片付けなさい』に置き換えることができるかもしれない。


一方僕が言う『綺麗にしなさい!』…と言うのは

『磨きなさい』、『拭きななさい!』と言うようなニュアンスだったりもする。

つまりは『掃除機をかける』なども僕の場合の『きれいにしなさい』。

それに相当するわけだ。


だからといって、きれいにしなさいと言う言葉の概念について、

お互いに否定しあったりするわけではなく、

その言葉のニュアンスを理解した上で言葉として使い、利用している。


さて、綺麗や美しいと言った概念に関しては、

車に例えると、わかりやすいかもしれない。


それぞれ、好きな車があるわけだが、一番欲しい車は?

一番手に入れたい車は?

一番美しいと思う車は?

一番乗ってみたい車は?


もう、この答えは千差万別。


理想のクルマだってみんな違う。


だからこそ、いろんな自動車メーカーがあって、

いろんな車種がある。


理想のクルマだって、

フェラーリという人もいりゃ、パジェロという人もいる。

スポーツカーであったりSUVであったり・・・。


そして、自分の置かれた環境によって、現実的に変わってくることだってある。


まあ、無限にお金がありゃ、そりゃGT-Rなんて選びたい僕がいるけど、

僕にはランボルギーニやらフェラーリ以上に

GT-Rにセクシーだと感じるし、頬ずりしたいと思う。(笑)


でもさ、現実的にはエクストレイルnismoとかが理想だったりね。


必然と環境によって・・・というのは分かるけど、

似たような環境でも、好みのタイプが違ってくる人間の面白さ。


綺麗という概念は、どこが原点なのか??


美学概論の研究でも、そこは教えてもらわなかったなぁ・・・なんて。


まだまだ100キロの取材ドライブでは、話がつきそうにはないな。

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2019/02/04

トライアンフ

現状、カワサキやハーレー乗りではあるが、

基本は二輪車でしか味わえないものも大好きで、
そんな生活が好きである。
自分が乗っているバイク以外でも、興味があれば。(笑)
最近、カッコいいなぁーと思ったのがトライアンフ。
英国のバイクである。
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でも、なんだか、トライアンフに稚拙な僕からすると、
なんだかハーレーらしい側面も感じるわけで、
バイクのイデアってのは、こういうところに集約されていくのかなと。
つまりは、無駄な美しさ。
まあ、そもそも、バイクというのが無駄なものでもある。
だからこそ、バイクがなくても日本では生活できるし、
そういう人が大多数でもある。
だからこそ、そんな無駄なとこを渇望する僕みたいな人がいるから、
これ、結果としては必要なんです。
ディーラーを訪れると、もうカッコいいのがずらりと。
でも、スポーツタイプは、僕は国産の方が好きなので、
必然とネイキッドやら、スピードマスターに目が向く。
イヤー、なんかやっぱり細部をみると、ハーレーとはぜんぜん違うのだった。
その煌びやかさは、同じ煌びやかでも、向いている方向性が違うことに気づく。
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スピードマスター、惚れました。
というか、惚れそうだから、ディーラーまで行ったと表現したほうが正しいか・・・(笑)
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もちろん、親子チェックも。
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いいじゃん、トライアンフ。(笑)
そうは言っても、もう少し先だろう。
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さて、今週は土曜日朝から作業をした。
なぜかしっくりいってなかった、ハーレーのフロントフォーク。
アルミそのままの色だったのだが、
それをソフト99のボディーペンを使って塗装。
ハーレーのビッグブルーパールには、トヨタのダークブルーパールが近似色だと
感覚的に判明したので、それで作業。
アルミへの塗装は難しい。
まあ、でも及第点かな。
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まあ、納得の仕上がり。
本当の仕上がりは、再来週、コンパウンドで磨きをかけてからだけどね。
これで、飛び石リスクでの腐食も減るかなと。
そんな淡い期待。
春の訪れが待ち遠しい。
その前に花粉との対峙があるが・・・(笑)

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2019/01/29

新幹線駅を基軸とした移住

新幹線駅を基軸とした移住・・・
こんなテーマでパネルディスカッションが、小山市、那須塩原市の共催で開かれた。
そのファシリテーターを務めさせていただいたが、
やはりというか、
実際の移住では、新幹線駅があることでの、新幹線通勤の実現のし易さではなく、
移住先での衣食住、職・・・の完結が理想であること。
その上で、新幹線駅がああることでの
『いざとなりゃー、東京まですぐ!』という安心感に対する期待の方が高かったと。
たしかにこれまで、那須塩原の番組で出会った方々、
新幹線通勤ではない。
移住して、那須塩原に職も見つけていらっしゃる。
移住は、それくらい覚悟を決めて実現するものになっているんじゃないかと。
『仕事はそのまま、生活環境は移住で!』
なーんて美味しい話じゃなく、
仕事そのまま・・・じゃー、あまり移住の神髄には達せないのではないかと。
だって、手取り30万の人が、新幹線通勤するので月10万円以上の通勤手当を
総務に申告するのは、ハードルが高すぎる。
そうなりゃ、結局は解雇のリスクが非常に非情ながら高まってしまう。
ま、僕なら言い出せない。
それを実現できる人もいるけど、
その環境がある人の移住に、行政が期待するというのは、
それこそ、とっても小さな牌の奪い合いになる。
でも移住先として考えた場合、小山も那須塩原も
現地で完結!が可能な都市。
現在の仕事を選んだ場合は、そもそも、移住は難しい。
なぜなら、今の僕がそのケースに当てはまる。
仕事で毎週那須塩原を訪れていて、その良さを熟知している僕ですら、
新幹線通勤には踏み込めない。
そんなことしたら、破産だ。
しかし、家族を優先させた場合、
職まで現地に求めれば、それが可能で、
いざとなりゃ、新幹線ですぐに東京にも。
これは大きな安心感だ。
でも、今の僕は『いざとなりゃ』の連続の毎日。
そして、家族を優先させること・・・よりも『今の仕事』を優先させている。
あとは、家内の実家に近い距離・・・
という、家族を優先・・・ということを実践している。
まあ、川崎市って、日本で一番、幼稚園に関するコストが高い都市というデータ。
たしかにそうだと思う。
幼稚園に入るのも、武蔵小杉界隈では、やはり大変だ。
JR東日本のHPによれば開業前の2009年の乗車人員(南武線のみ)は、76,831人。これが開業後の2011年には、103,624人。
人口だって、
武蔵小杉の人口増加 でわかるように、たった一年で駅の利用者が増え、
いまは、もうこの何倍もに膨れ上がっているとおもう。
とあるブログ が分かりやすい。
電車に乗るまでが一苦労。
駅に車で行くのも、下手すりゃ2キロを30分。
そりゃー、自転車使うわ。
でも、文化放送の現地取材で、駐輪場にインタビューしたら
駐輪場の定期利用の空き待ちは一年待ち以上。
長い人は二年待ち・・・。
さらには・・・
さあ、駅に着いてから・・・
そして駅で改札にたどり着くまで15分、
湘南新宿ライン、横須賀線側は、改札機が、実質2つしかないからね。(笑)
臨時改札機も2つ出来たが・・・。
改札からホーム、そして電車に乗るまで行列で10分なんてことも普通だ。
でも、この地域が、それでも嫌いではない僕もいる。
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同じ東京駅を目指すなら、
那須塩原から新幹線の方が早い場合も。
小山からなら、間違いなく負ける。
品川までは電車に乗ってる時間は武蔵小杉から10分だけど、
ドアtoドアなら、小山には、負けるだろう。
ただ、またここにも言葉と実際の乖離がある。
東京での仕事、東京駅でするわけじゃーないからねー。
ドアtoドアで考えなければ。
実際に新幹線通勤していらっしゃる方々は、
新幹線での着座時間、
この時間が有意義に使ええるというメリットを発見していらっしゃる。
新幹線通勤できるだけの環境にある人は・・・
同じ事したら、僕の場合は破産になるが・・・。
移住・・・それは東京に縋りつくか、
そうでないかの決断。
『住む』っていうのは、その土地への迎合でもあると思うんです。
郷に入らば郷に従え・・・って、結局はそういう事なんではないかと。
東京の場合は、それこそ迎合以上のすがりつき。
でも、そうでなきゃ生きていけない環境である、僕みたいな人もいるし、
その土地への迎合が、自主性さえあれば、小山や那須塩原へは
比較的容易な地域性。
それこそが、新幹線駅の存在でもあると思う。
ただ、東急田園都市線、つくし野駅の光景、これを見てきた僕が感じるのは、
あと遅くとも25年後、
この街をほとんど占める人たちが定年退職すると、
朝の駅・・・そこから利用者が消える光景が訪れるだろう。
それ以前に街の衰退も始まっているはず。
一気に開発された街は、一気に同世代が流れ込み、
その世代が定年を迎えると、街から一気に店が消える・・・。
つくし野からは、武蔵小杉近辺には沢山あるドラッグストアチェーンが閉店、
撤退した。
駅のコンビニも消えた。
東京都でも、一気に開発された街は一気に衰退する。
同じ世代ばかりが住んでいると、こうなるのだなと。
小学校はデイケアセンターになってしまい、
新しい世代が住める物件は、ほぼない。
那須塩原や小山ではそういうことはないだろう。
色々な世代が、同じ地域に住める環境があるから。
移住・・・
新幹線通勤が実現させてくれるわけではないと、
あらためて感じたパネルディスカッションであった。

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2019/01/23

須賀由美子という女性

1月19日 さいたま市宇宙劇場にて、 プレミアムな、たった一回のステージ、 『あるパイロットの見たものは』を上演させて頂いた。
星の王子様で有名な、サンテグジュペリ、その一人の男を支えた妻、コンスエロの物語。
1548218479760.jpg これ、そもそも、同じ放送局で、同じ番組を、曜日違いでやっていることからの縁。
たまたま、ピンチヒッターで須賀由美子さんが、僕と同じ曜日を担当してくれ、
番組後に飲んだ時の、彼女の涙がきっかけだった。
彼女はお酒が入ると、泣き上戸なのか?? いや~、そんな彼女に泣きながら説教されてね~。 1548218482217.jpg 『だいたい、男の人っては、ワガママ過ぎますっ!』だの、
なんだのかんだの。
ひたすら、僕と、『火あぶり』の大将の枝野さんは、謝罪してた。(笑)
それが面白くて、とにかく印象に残ってしまった。 1548218483067.jpg
ちょうど、その頃気にしていた案件でもある、プラネタリウムでのステージ、
何をしようか考えあぐねていたところ、
『これ、星の王子様のコンスエロを、彼女なら、地でいけるんじゃないか!』と、
感じたわけ。
彼女なら、難なく出来るはずだと。 そして、僕も難なく行けるはずだ。
もう、この瞬間、舞台の九割が完成した感覚に包まれた。
まあ、その後色々あり、彼女には不安を抱かせた側面もあるわけですが、 とにかく、すでに、彼女にはスキルがあるわけで、
無用なチャレンジなどはしてほしくなかった。 1548218484180.jpg 表現と再現は違うし、鍛錬した俳優さんでないと、再現になってしまう可能性も往々にしてある。
ただからこそ、練習は控え、リアリスティックな時間を作ることに、注力した。
だからこそ、彼女には演技とかのオーダーでなしに、
とにかくコンスエロという一人の女性を探求していて欲しかった。
すると、期待以上に、彼女はコンスエロの年表まで作って、
コンスエロを研究、探求していてくれた。
だって、本質は、コンスエロの再現でなくて、
男と女、夫婦の普遍的な本質、関係を舞台の上でぶつけ合うこと。
だからこそ、彼女にしかできない役なんだと。
ラジオにいつも真摯に向き合ってる彼女なら出来る!という確信があったわけ。
ほんと、完全に彼女は期待に応えてくれて、ディレクターの福田氏と共に、楽しくて仕方なかった。
だからこそ、続演もしたいし、新作も、作りたい。
とにかく彼女は、勉強熱心なんです。
それゆえに、彼女自身で、不安になることも。まあ、 僕や福田氏の動き見てりゃ、そうだったというのは納得。
リアリスティックをリアルタイムで! なんてオトコ2人ですから。(笑)
でも、次回からは、もう岡田福田のスタイルは、彼女は知っているわけで、
大丈夫だと思うわけです。 このスタイルを経験したからこそ。
すでに、また須賀ちゃんと作ることが楽しみ。 次はね~...。もう、構想は出来上がってるさ。 須賀さんとの出会いに感謝です。

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2019/01/16

ステージまであと3日

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今日は山形新幹線つばさ...その車両で宇都宮。まずはCM 録りがあってからのスタート。クライアント様もいらっしゃるとのことで、楽しみ。

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頭は、けっこう今週土曜日の舞台のことばかり考えてみちゃう。

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隣のホームには、北陸新幹線、かがやきが居る。石川県とか行きたいな~。
大宮までなら、乗っては行けるが...。(笑)
最近、旅をしてないからなぁ。
那須塩原は、毎週訪れさせて頂き、旅というより、ホームな感覚だし。

さ、生放送に向け、らく~になっておかなきゃ。

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2019/01/08

ついに寿命か…。プリンター。

2010年から、僕はキヤノンのプリンターMP 560を使っていた。

この560って数字も好きでさ、僕がメルセデスベンツなら、これこそ、カッコいいなぁ〜と思ってたのは、420やら、560の時代のやつだから…。(笑)













確かに3年ほど前から、調子が悪い時もあった。休止がうまくいかなかったりと…。

でも、勝手に560ステータスが…。
ではなく、

でも、そんな時にジレンマが起こるのだ。
『この買ってあるインク館をどうしよう…。』

まだ、インクあるし…。となるのだ。

今のプリンターと言うのは、インク代も馬鹿にならない。

だからこそ買い置きのインクがプリンターを変えてしまうことで使えなかったらもったいないと…。
そうこうしていると、独立インクタンクのどれかがなくなり、またインクを買い足すと言う始末。

その悪循環が続いてまぁ3年よくがんばったものだ。
しかし、さすがにきちっと印刷できなくなってはもうお役御免と言うことだろうか。

これまで僕はキャノンのプリンターばかりを使ってきたが、そろそろエプソンもいいかなと。

すると、ありがたいことに、エプソンは新型モデルを出したばかりじゃ〜ありませんか!
と言うことは!!

そう、旧型モデルが安くなっている!と言うわけで、
今回はエプソンのプリンター11月までのモデルを購入することにした。
価格.comを調べてみて、そしてまたショッピングサイトなども調べてみて、家電量販店にも足を運び、
そしてアマゾンでの評価も参考に、
総合的に価値のあるお店を見つける。

と言うか、見つけた。

ただ、まだまだ、インクが…。キヤノンのインクが…。

今月中は、使い倒す。
そして、なるべく、インクも使い切る。勿体無いからね。
白黒プリントなら、なんとか問題なく。Chromeのウェブプリントは苦手みたいだが、IEなら、まだなんとか行ける。

およそ9年頑張ってくれた。

ヘッドも何回か交換したり。

痛い出費だが、仕方ない。

今度は、880である。






あ〜、850なら、これまたステイタスな幻想があったんだけだなぁ…。(笑)

さ、まずは、インク、ちゃんと使い切ろう。

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2019/01/05

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
どうぞ、2019年もよろしくお願いいたします。

年末から年始にかけては、ほぼこの舞台の事ばかりを考え、歴史に、そして航空史に照らし合わせ推敲し、原稿と対峙していました。
もうあと2週間ほどでこの舞台がたった1回のみですが、幕を開けると言うわけです。



今回は、色々と初めての試みがあります。
基本的に舞台と言うのは、1人の演出家によって物語が読まれ、
その感性によって演出と言う作業が行われるわけですが、こと、男女の問題に関しては、それぞれ見方や価値観が異なるわけで、1人の視点からの読み解きではなく、
男女それぞれの視点からの読み解きによって、それぞれの価値観に基づき、
これは即興で舞台が進行すると言うものです。

男の理屈、
女の理屈、

これは僕が読み解き、演出してしまっては、男の理屈によって理解された女性の理屈になってしまうから。

本来舞台は、そのほうが観やすいのかもしれません。

なぜなら、誰か一人の視点に立って、物語が解読され、感受され、話が進んでいくわけですから、読者と言う演出家の視点が一番わかりやすいはずです。それを考え、作業するのもまた、監督や、演出家の仕事。


しかしながら、今回は共演の須賀由美子さんには多大なる負担をかけてしまっていることと思いますが、
彼女には、彼女の視点での、
女性側の理論を持った上で、
女性の代弁者としてステージに立って欲しいと思っているばかりなのです。

この演出法は、グレッグデール氏のワークショップにて学んだ手法でもあります。

作者によって作られた世界ではなく、リアルタイムで作られて行く、ラジオの生放送に限りなく近い。

だからこそ、ディレクターも、舞台の演出家ではなく、ラジオの福田勇樹氏。

とにかく信頼出来るディレクター。

これは、ラジオの手法で出来上がるに違いない、生の舞台。

さしずめ、僕は、あと構成作家の役割を担うばかりです。

そんな舞台だからこそ、須賀由美子さんは、間違いなく、存分に出来ると。

楽しみな僕がいます。

あらためて、本音もよろしくお願い致します。

そして、どうぞお楽しみに。

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2018/12/09

ラジオCM考察

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この何日か、ラジオの広告収入があーだこうだと言われている。

ただいろいろなシーエムメディアの中で、1番嫌がられていないシーエムの類というのがラジオシーエムだと思う。

というのも、例えばYouTubeなどは、有料会員になることでシーエムを排除することができる。つまりは、ユーザーサービスとして最善のスタイルが、シーエムを排除することだとYouTube自身が認識していると言うことではないだろうか。

これはテレビシーエムにおいても言えることではないか。
テレビを見てる場合においてシーエムと言うのは多くの場合邪魔な存在。

中にはクリエイターの力によって、楽しめる、ためになるシーエムもあるが、ほとんどの場合はテレビのコンテンツ自体の楽しみの、足を引っ張る存在である。
つまりは、動画においてはシーエムが邪魔なもの。

さらにはネット上においてもCMと言うのは時に邪魔に感じることの方が多々ある。





一方で新聞は、広告が楽しめる。その芸術性だったり美しさだったり、新たな情報であったりと、広告から学ぶこともある。

つまりは広告から学んでいるのだ。

そして無視したい場合には、全く気にならない。
目線をやらなければ良いだけ。

ラジオの場合も、シーエムを早飛ばししたい…などと言う事はなく、ラジオCMの場合はよく考えてあることが多く、時間を認識出来るツールであったりもする。

ましてやシーエムが1つの音楽であったり、1つのフレーズを覚えさせてくれる。そういった意味で優れたラジオCMはいっぱいある。





僕自身に置き換えて考えてみても、YouTubeやネットでは本当にシーエムが邪魔。
×印をすぐに探してしまうし、テレビにおいてもシーエムがなければどれだけ早送りボタンを押すことをしないで済むだろうかと考えることもある。

一方で、ラジオを録音したものを味わう場合は、特に僕はシーエムを飛ばしたりはしない。

そのシーエムもラジオのコンテンツの中の1つの要素である事が常であるからだ。

時報がシーエムになっているものもあれば、シーエム自体を1つの習慣として楽しむことができているから。

少なくともラジオに関して、自分の好きな番組の提供スポンサーに対してはとても好意を持つ現象が起きる。

それは僕だけではなく、多くのリスナーの方々にとっても同じような状況ではないだろうか。

一方でネットの場合は、何度も何度も同じシーエムが登場することに苛立ちを覚え、その広告主を嫌いになることだってあり得る。
いや、嫌いになる場合の方がほとんどだ。
テレビでもそうかもしれない。

それが新聞広告ともなると、一面広告を写真に収めてしまったり、小さな広告であってもそこから情報得ていて、ファンになってしまうこともある。

僕の中でとても印象に残っているのは、出光の出した一面広告。それにより僕は出光のファンになってしまってもいる。
その昔、J-WAVEにおいてサッポロビールがスポンサーの、平日夜のジャズとポップス番組があった。
それを聴いていた僕は大学生であったが、初めて飲むビールはサッポロビールがいいななどと思っていたものだ。

もちろんそれは大学在学中に20歳を迎え実現したことでもあった。

他にもラジオシーエムから影響受けて自分の好きな番組のスポンサーを好きにもなった。

現実問題、このような感覚は多くの人にあるんではないだろうか。

そのことに、そろそろスポンサーも気づくべきではなかろうかなと…。

テレビでも好きな番組のスポンサーでファンになる場合もある。それは世界の車窓からの富士通であったり、広告効果と言うよりも人、魅力的なコンテンツを作り出している、『その番組をさせ支えている企業』だから…と言うことからファンになったりもし、学生であった僕が初めて手にしたパソコンは富士通であった。

今ネットで、富士通のシーエムが出てくると×印を探す僕がいるが、世界の車窓からを支えている富士通と思うと僕はファンなのである。

どれだけリーチ出来たかではなく、どれだけ愛される事が出来るのか…。

それが広告の根本として大切な事ではないかなと。

そもそも、ネットでは嫌われる存在。テレビでも。

それが、メディアとして、新聞とラジオにおいては愛されやすい。

そして東京から30キロ圏とそれ以外では、まったくメディア文化が違うと言うこと。
そろそろ、ちゃんと認識すべきではないかと、声を上げたい。




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«GPX750Rと言う彼女は…。