2022/03/24

三年雪組、担任、大山剛先生


昭和57年、4月、私は玉川学園小学部で三年生になり、
雪組になった。
担任は大山剛先生。

専門は体育の先生で、見た目とっても若く、
比較的、薄いブルーのノースリーブのパーカーをお召しになっている・・・
という出立ちが多かった。
それは、下がTシャツでも、ワイシャツにネクタイでも。
ブルー系アーガイルのニットのベストも多かったかな。


三年生になる前の、
3月2日、雪の日だった。
その日に、とにかく大好きだった祖父を失っていた私は、
春休みは楽しいはずもなく、
毎日が沈んで、涙することも多かった日々だった。

三年生であろうと、新学年であろうと、
とにかくナーバスになっていた。
学校が、新たに始まるウキウキ感などといったものは無縁。
ただ、小川中央のバス停からバスに乗り、
つくし野駅から田園都市線に乗り長津田まで、
長津田から横浜戦にい乗り換え、町田まで。
町田から、小田急線の乗り換え、玉川学園前まで。
玉川学園前の駅から歩いて10分ほどだろうか、
小学部まで向かっていた。喪失感と共に、学校に。


新しいクラス・・・一番最初、グランドでの全校朝会が終わって、
教室に戻り挨拶・・・という流れ・・・
かと思いきや、その前に、

いきなり大山先生の指示で、雪組は、
教室に行くその前に、
校舎前の大きなヒマラヤ杉の周りで、
大山先生が一人、鬼役になり、
鬼ごっこで遊んだ。

先生がマジな全速力で追いかけてくるので、必死に逃げたが、
合谷君以外、
ほとんどの生徒が大山先生に捕まった。
汗だくになって真剣に遊んでから、教室へ行き、自己紹介などなど。
この頃には、ナーバスな気持ちを忘れていた。
朝の喪失感は消え去っていた。

マジ鬼ごっこの賜物。

三年雪組。
その教室に入った時の事を、鮮明に覚えている。

二、三年生が一緒になった細長い平家の校舎の三段の階段を上がって、
建物の構造的に一区切り、
ここから、三年生のエリア!と言う、校舎の中ほどに、
三年雪組の教室はあった。

その教室の記憶はいまでも鮮明だ。

教室後方、右側の廊下と反対側には、タイヤが4本積み重なっていた。
子供的に言えば、かなりギザギザなタイヤ。

それまで、タイヤは車に付いているものであって、単体で4つ見るのは初めて。
もう男子は興味津々。
1番最初の注意で、そのタイヤで遊んだら怪我するから。ダメ!
そして、そのタイヤは先生の宝物だから、イタズラするな!といわれた。

それは、先生の車、スカイブルーのファミリアと言うクルマの予備のタイヤで、

『そのクルマでは、ユーミンをかけるんだ。そうするとデートが成功するんだ。』
『ドアは、運転席の鍵を最初に開けたら野暮。いいか、
助手席から鍵を開けてー、
ドアを開いて女の子を座らしてあげれば、カッコいいでしょー!』

もう、今まで教わったことのない情報、話題に、それまでの先生とも違う、カッコよさみたいなもの、そして憧れを感じ始めた。

そんな話は、初めて聞くもの。

男の大人の人は、すごいな〜!と。
つまり、『先生』よりもまず、
『男の大人の人』だった。

始業式当日、家に帰って母に話したのは、
新しいクラスでは、教室にタイヤがある事、あと、スキー板もあること、
そして、怒ったら、玉川学園で1番怖い先生なんだって!という報告をしたと思う。

しかし、その報告は、祖父の他界を忘れさせてくれちゃうくらいのもので、
どれくらいの大声で怒るのか、初日に実演してくれたので、
ヤッバイぞ〜!と言う感覚もどこかにあった。

クラスについていくこと、先生に目を付けられないようにすることで
毎日が、とにかく速い流れで過ぎていった。


そんな新しいクラスでの時間、春の運動会、
小学部体育祭がすぐだった。

それまでの私は、
正直、体育という授業は、あまり好きじゃなかった。
走るのも遅い…はずだし、
嫌だなぁ…体操も華奢な僕は好きではなかった。
まあ、マスゲームは、スッゴく楽しいけれど…
なんて、控え目な私・・・なわけだったが、
意外な事がおこった。

そんな春の運動会、体育祭までのひと月あまりを
振り返ると…。

大山先生は、
遊びの時間に僕らが夢中になっちゃう仕掛けを作ってくれていた。
縄跳びでも、進級制度のカードを作ってくれて、
知らない言葉のカードにすら興味を持たざるを得ない状況。

なんだ?ビギナーって?
なんだ?エキスパートって?
プロフェッショナル?
スーパープロフェッショナル?
12段階くらいに分けられていたカードは、達成する度に、スタンプを押して貰える。
なんだかんだ、スタンプを押してもらいたくて、雪組みんなが、昼休みとか、縄跳びとか、
けん玉とか、鉄棒とか、がんばっちゃう感じ。
僕も、ランクアップがしたくて、なんだかかんだ縄跳びやっちゃってた。
すると、エキスパートにいち早く到達したのが、クラスでも合谷くんと僕だった。

今にして思えば、明確なランクアップの基準はなかったのかも知れない。
相対評価でなく、絶対評価。

そんな話をして下さった記憶。
大山先生は、

『誰かと比べるんじゃなくて、その人、一人一人を評価する』
それが絶対評価というものなんだと。
そして、それが玉川学園なんだと。
教えてくださった。

さて、私は、というと、縄跳びはなんとなく・・・出来てしまっていたが、

まさか、クラス1体育が得意な合谷くんと、カードのランクが並ぶなんて…。
僕には信じられない状況だったが、嬉しかった。

とにかく、みんなを、ランクアップするたび、
一人一人、褒めまくってくれていた。

これ、誤解のないようにすると、
決して『先生に褒められた』
ではなく、『大人の男の人に褒められた』な感覚が、嬉しくて、
なんだか、社会に認められたかのような錯覚・・・覚えたのだった。

先生に生徒として褒められた…のではなしに、なんか、
社会に認められ、大人の人に褒められた…感覚。
つまりは、どこかで子供扱いしないで、導いてくれる先生だった。

『え、僕、得意なことがあったなんて・・・』
自分でも不思議だった。

そして、春の運動会は、新しいクラスになって、ひと月でやってきた。

赤組、白組、青組、きいろ組、対抗のリレー選手を決める徒競走。
朝礼のあとに学年であった時、
ふと、大山先生が、
『岡田は3位以内だな』
と呟いてくれちゃった。

そんな事、夢にも思わない僕だったが、

大山先生がそういうなら、そうなの?

と思いつつ、命一杯、走った。
縄跳びの要領で、踵を一切つけずに、爪先だけで、指先までピンっと伸ばして、
ただただ、自分が鹿になった気持ちで、
自分はまたスタンプもらえるかも!
なんて気持ちで走っていたら、そこで一着。
最終で速かったグループで走っても、一着。

みんなに驚かれた。
同じクラスの家田君に、『サイボーグ009みたいだった!』
『加速装置がついてるみたいだった!!!!!』
と言われたこと、鮮明に覚えている。

合谷くんと2人、リレーの選手になった。
もう、信じられなかった。

縄跳びエリート?の二人がリレー選手。

母だって、信じられないくらい驚いていたけど、喜んでくれた。

体育祭のリレー、優勝。

自分でも不思議で、初めて、『突破する…』
と言うことを味わった経験だった。

大山先生のささやきから・・・いや、
縄跳びの時から始まっていた結果なのかもしれない。

春の運動会が終わったころには、
大山先生は、こっわいけど、他のクラスに自慢したい先生で、
そんな気持ちを誰もが持っていたと思う。

先生であり、兄貴であり、大人の男の人。

夏休み前の暑い日には、
大山先生の命令で、学級委員二人が指示を受け、
僕らが授業中に、
歩いて往復20分かけて、
学外のオダキューOXというスーパーまで買い物に行かされた。

授業中に出かけた学級委員二人が帰ってくると、
実は、大山先生の提案で、
内緒で、アイスキャンディーをみんなの分買ってきてくれてていて、
クラスみんなで内緒で食べたりもした。
あれは、私のアイスキャンディー史上、
最高の味わいだった。

もちらん、大山先生のポケットマネーでである。

このクラスは
なんて特別なクラス、
三年雪組なんだ!

嬉しい時間が多かった。

しかし、だ。
正直、厳しかった面の方が、記憶には多い。
クラスメイト、みんながそうだったと思う。

あ、思い出した。
梅雨に入り、廊下が滑りやすい時期。
私が宿題忘れてくれば、
怒鳴られて、ほっぺが真っ赤になるレベルで
一発ひっぱたかれて、廊下に立たされた。

でも、実は私は、立たされている間、
上履きのゴム素材と廊下の素材の滑りやすさの音の不思議を楽しんでいた。
あー、鮮明に覚えている一秒一秒。

トイレ掃除の時にはカネヨクレンザーを撒いてドリフごっこしたりして、
それでも怒られた。
サンポールの空き容器は隠してあり、水鉄砲のようにして遊ぶのが常だった。

ほぼ、すべての男子が、引っ叩かれた。(笑)

三年雪組、大山先生のクラスでは、

クラスの一人ひとりが、何らかの役目や、キャラクター担当という
『こいつが、専門家!』
というような役割を担っていた。

柳原君なんて、掃除の時の焼却炉の専門家みたいだった。
とにかく、何かしらの分野で、
『あれは、このクラスであいつがトップ!』
というキャラクターを作ってくれていた。

秋、サツマイモを収穫したら、
それをクラスで、内緒で焚火をやって、焼き芋に。
そんな時は、大山先生がご指名!
掃除の時間の焼却炉担当、柳原君の出番だったりして、
焚き火の専門家かのような役割で、焼き芋は見事な出来だった!

太田みちこさんは、
草刈り、鎌の使い方が見事で、
先生にほめられていたなぁ。
だから、砥石で鎌を研ぐとき、
私は太田さんに質問をした。
そしたら、お料理がお家でも好きで、
包丁の研ぎ方をお母様に教わったんだ・・・と話してくれて、
そりゃー、刃物、鎌、草刈りプロフェッショナルだわ・・・と納得した記憶。

とにかく、なんかひとつ、こいつはコレ!ってのがあった。

そんなのを、先生は作ってくれていたのかもしれない。
いや、そうだろう。

大山先生には、よく引っ叩かれたし、
あれは、今でも本気だと思うレベルで殴られもした。

だけれど、心を殴られていたのではなく、あくまで身体。
心が倒れないように支えながら、その平手打ちは身体が吹っ飛ぶほど。
痛かったけれども、心は倒れはしなかった。

きちっと、支えながら殴ってくれていた。
身体を通して、心まで届く教えを、必死に伝えてくれていた。

今にして思えば、言い訳した時だったと思う。
引っ叩かれたりしたのは。

宿題を忘れた・・・だと叱られる。
宿題はしましたが、持ってくるのを忘れました・・・殴られる。

そんな違いがあったと思う。

嘘をつくか、言い訳をしたとき。

そうでない場合、叱られる時は拳をゲンコツにして、
こめかみグリグリ。

竹製の1メートル物差しで、フルスイングお尻パッチン。

あれも痛かったが、どこかでクラスのエンターテイメントにもなっていたから、
みんなの前で恥をかく・・・ではなく
その儀式が終われば、
みんなに『どれくらい痛かった?』とか
女子からは『大丈夫?死ぬくらい痛かったの??』
というような、質問を受ける主役にすら、なれるものだった。

殴られても、引っ叩かれても、
クラスの中で、クラスメイトから軽蔑されるようなことはなく、
『対、担任教師』という価値観で、仲間意識がクラスにあった。

なにより、愛情があることを
やられた本人が理解できる何かがあった。

手を差し伸べながら、引っ叩く。
心が倒れないように。
心支えつつ、殴る。

その原点が、新学期の一番最初の、
本気にならざるを得ない
『対先生』の鬼ごっこだったのかもしれない。

先生は本気で向かい合うよ!があった。

楽しい・・・ということを、
当時リアルタイムに、特に感じていたわけではなく、
毎日が、速く過ぎて行く時間だった。
今にして思えば、それは楽しかったからだろう。

小学三年生で、リアルタイムに、
『この先生は心に残る!』なんてはずは、
そりゃないわけだけど、
大山先生のことは、私は四年生になっても、五年生になっても、六年生になっても、
すごく意識なさざるを得ない先生だった。

さて、玉川学園では、
小学六年生で卒業前に、原稿用紙100枚以上という基準で、
自叙伝を書かされる。

まあ、色々と書いたが、実は小学三年生での出来事や、
思い出は、サラッとしか書かなかった。

これにはハッキリとした理由がある。

それは、リアルタイムな、現実的当時に、
まだ、その小学校に通っている現役小学生として、
小学3年生時代は、
『内緒にせねばならない事』
でもあったと、勝手に思っていたから。

アイスキャンディーはじめ、焼き芋、
授業中にインスタントラーメン作り、
水の上に油絵具を浮かせて作った、マーブル製作、などなど。
とにかく特別なことがいっぱいだったから、

小学6年生の私は、3年前の出来事でも、
担任の小山内先生や
国語の佐伯先生にはバレてはならない!
との意識が働いていたのかも知れない。
リアルタイムなら、当然の意識であったはず。

なんだか、小学校で教わること以上のことを、
小学三年生では経験した感覚でいたから、

あれは、あのクラスの中で完結していなきゃいけないんじゃないかと。(笑)

でも、書けば、山ほど書ける内容ばかりで、あえてライトに書いていた。
だって、40年経った、今ですら、
こんな書けてしまう、経験がいっぱいの一年間だったわけだから。

さて、時は今。

昨年から、私が川崎市で、川崎市立玉川小学校の寺子屋の先生をやることになって、
研修カリキュラムに参加した時期、
いろいろな事を考えさせられた。

いつから大人で、いつから子供・・・なのか?

研修を受けている仲間は、
『子供は・・・』
『子供たちは・・・』

この言葉をよく使って発表なりをしていた。

でも、そんな発表や、講習、セッションなどという時間を、
俯瞰で見てしまた瞬間に、
やってることは、僕らも子供と変わらない授業だなと・・・(笑)

いっしょじゃん。今も昔も。
自分の今と、小学生の自分も。

なんで、いつからいつまでを子供として
子供を子ども扱いするの?

成人・・・とは違う基準だが、
答えはないだろう。

そんな時に、大山先生の事を考えていた。

子供と大人・・・ではなく

人と人。

それで接する時間だったんじゃないのかなと。

大山先生みたいな先生を、寺子屋でやりたいと。
そう思った。

教える・・・なんてことじゃなくて、
一緒の時間を一緒に歩んで、
一緒に考える
一緒に楽しむ。
一緒に悲しむ。
一緒に学ぶ。

それぞれの立場で。

だから、大人の男の人・・・を大山先生に感じた・・・のではないかなと。

そして、今、同じように小学生に接している私がいる。


2019年、年末を前にして、もう一人、小学生時代に影響を受けた、
音楽の小宮路先生が天国へ旅立たれた。
その先生に最後、病院にお見舞いに訪れた教え子は、私だったと。
その先生の万年筆での仕事ぶりは、今の私に息づいている。

大山先生の教えも、今の私に息づいている。
ラジオでの皮肉、ブラックユーモアは、
大山先生との出会いがあったからに他ならない。
きれいごとじゃなく、本音を交えて。

今、体罰は問題になる。
絶対にいけないと思う。
けれども、大山先生には、体罰なんてものは無縁だった。
体罰と教育は、明らかに違う。
何が違うか??

引っ叩く、殴る。
引っ叩かれる、殴られる。
それは身体的なもの。
それを、心までやってしまって、愛がないこと、それが
今言われる、体罰なのだと思う私がいる。

大山先生は
心を引き寄せながら。
支えながら。
先生の目に、涙ぐむ瞳を見つけて、
真っ赤な目で目力、マックスパワー引っ叩かれる。
それがなんのためなのか?
それ以上に愛情があること。
感じていた。

それを、生徒が実感できること。
実感している事。

はたから見た行為自体は似ていても、
全く違う。

心が倒れないようにしつつ、引っ叩く。
気持ちが塞がってしまわないように、怒鳴る。
それで、解放し、見事完結してくれる。

誰一人、クラスから孤立させないように、
そのための、実践だったと、

僕らが、その時、理解できていた。
嫌いになること、あるはずもなかった。

イジメ???
無理無理。そんなの出来やしない。
目の前に担任の大山先生という最大の仮想敵?
を前にしては、心の中に思いつきもしない。


閑話休題。

あ、やっと書けたんではないだろうか。
小学6年生の時に書いた自叙伝、当時書けなかった部分、
書かなかった、秘密のパート、
大山っ先生との時間について、
40年たって、ようやく書かなかった部分が、書かれて
あの、自叙伝は、完成した。
と、ようやく言えるのだろうか・・・

40年という時間を経てもなお、
常に憧れの意識は失われていない。

だから、大山先生は、大好きな先生なのである。
いつまでも、追いつけない『先生』である。

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2022/03/22

自宅学習の本質

昨年から、川崎市の小学校の現場で、
寺子屋の先生として、子供達に接していると、子供の学びに関して、
現場と家庭と、その両方の感覚を肌で感じ取る事が出来ている。

そんな立場ゆえ、
学校の先生方と話していると、

おそらく、先生同士で話している場合というのは

触れないようにしている領域の話題があるのだなと察する。

でも、

私という異分子がいることで、

導火線の役割として存在し、

普段は教師同士の会話では、そこに上げない本音として、

『親御さんに関する話題』熱く語られる場合がある。

これは興味深い。

先生方が切り出したのは、

果たして、何を目的に家庭での勉強をさせているのか?

親御さんが『子供が学ぶため』に教えている家庭というのが、
意外にも少ないのではないかと・・・

つまりは、クラスという枠組みの中で、

親の立場として、恥をかきたくない・・・ということが目的になっている、

子供の学びとは別のところに、家庭での学習の目的がありそうだということ、

これは異口同音な意見としてあるのだと気づかされる。

覚えるためだから、家庭ではテストはしなくていいものの、

テストのためのテストが、家庭で行われている兆候が顕著だと。

家庭での勉強は、覚えるために、答えを見ながらでも

正しく覚えてくれればいいのだが、

その行動こそが学習というものであるにもかかわらず、

確認ばかりが行われて、予習という名の確認ばかりが行われているのではないか・・・

そして、親御さんが『教えた』という自分の責任を全うした満足感が、

子供自身の学び自体よりをも、目的として上回ってしまっているケースも多いのだということ。

自宅学習では、答えを見ていい。
それが経験として学びになってくれればと。
そもそも、学校での学習でも、『覚えること』は、漢字など、その『答え』をみて覚える。それが学び。

家庭は、その学びのテストの場ではないはずと言う事。

親のための学習ではなく、本人が興味を持って考えるための学習を。

先生方と話す本音の話題は、
大切なことばかり。

我が家でも、そこは自戒せねばと。

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健康のスタート

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夕方から
#FEELCYCLE
#MKG
#武蔵小杉
にて、IRさんはAkito氏。
昔のJunさんを彷彿とさせるようなテンションの上げ方は流石。
気持ち良かった。そしてクタクタになれた。
健康だと感じられる今、それは、10年以上前からからの行動の実践による自負によるところが大きいと思う。健康は時間をかけて築くもの。

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2022/03/21

ありがとう…の反対を知る

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我が家では、テレビを付けている時間が増えた。

その時間のほぼすべてがBBC放送を付けている最近だけれども、

それももう一か月ほどになる。

日本の地上波を見ていれば、なんと呑気な事か・・・。

なんにでも首を突っ込むべきではない・・・とは強く思うけれど、

それでも僕らの日常の根源が、武力によって崩されている今、

そこから目を染めけてしまうような今で、いいものかと。

子供たちは、涙する子供をみて、心配する。

心が動いている。

そして共感し、なんで、今自分たちが、こうしているのに、

それが出来ていない子供や大人がいるのか、質問が生まれる。

そりゃ、ロシアにも言い分があるのだろうが、

そうなってしまった理由を根拠とする意見もあるが、

それでも、武力を限定的ではなく『使用した、使用し続けている』というのは、

これは根本的な、人類の平和に対する冒とく、自由に対する冒とくだと思う。

そんな、今の現実を知らない、興味のない人が大勢いるようにも感じる。

興味がないのはいけないことだとは思わないが、

興味がないと、無関心とは違う。

興味を持たざるを得ない状況でありながら、

あまりにも暢気だったりしているのが、テレビを垣間見ると伝わる。

『ありがとう』・・・の反対は『あたりまえ』

今の幸せな状況を『あたりまえ』と認識したときに、

人はどれだけ冷酷になっているのだろうかと思う。

その反対に、いつものことに『感謝』を見つけられる人間であるとき、

日々には心の動きも感動も多く訪れて、

豊かな心を持った、優しさのある人間に、

そして自分以外のことに涙を流せる人になれるのだと。

今、これまで当たり前だと思っていたことに、

それが、あたりまえではなく、とっても貴重なことで

守られていたことに気づくチャンスの時でもあるにも関わらず、

なんと暢気な事か・・・

今の子供たちは、

あたりまえの状況ではない環境で学び、生きている。

だからこそ、今の大人が『あたりまえ』と認識し、

比較してしまう過去の環境。

それをこれから先、『ありがたい』と認識できることが、

あたりまえになっているであろう。

それゆえ、今の子供たちが世の中を動かすときになったら、

そもそもが、感謝できる個の数が多いために、

素敵な世の中かも知れない。

それに引き換え、

私はオイルショックの時に生まれたが、

当然赤ちゃんとして、その苦労は知らない。

私が知る、時の流れ、それは、震災などを除けば、

世代として、世の中がどんどん便利になり、

そして苦労せず生きることができていて、

苦労した・・・は、今のウクライナの比にはならないであろうし、

次元が違うこと。

人々が、武力によって強欲を実現することには、命をかけて、反対したい。

コロナともまた次元が違う。

生きることが、生きる権利が脅かされている。

生存していると、生きている・・・というのは違う。

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デジタルの世界にあっても

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このレンズの色、
描写、使い心地、
その佇まい。
あやめが生まれた2013年に買ったカメラ、
#OLYMPUS
#XZ2
世代交代の速いデジタルの世界にあっても、
今でも売られている。
これは、作り手の強い想いが、ちゃんと息づいているから、
それを受け取る人が居るから、長生きしてるデジタルなんだと思う。

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2022/03/14

なぜ、惹かれるのか…個人的傾向

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私がなぜ、時
計を楽しいと感じるのか…。
スーツをカッコイイと感じるのか…。
共通点がある。
それは、かなりのレギュレーション、決められたルールがあるからかもしれない。
デジタルや、Gショックには、あまり興味がなく、実用でいい。
アナログ時計は、基本、円を描き、そこに3つの針、丸い文字盤。この中、このルールの中で、それぞれが個性を出す。
スーツも、一目で『スーツ』とわかる…と言うレギュレーションがある。
その『スーツ』と言う中での、デザインの勝負。
そこに、自由ではない、縛りのある中での勝負がある。
それを比較する事が楽しいわけだ。だから、全く自由なところからの絵画コンテストよりも、
車のデザインコンペの方が、縛りがあるから、比較が楽しい。
条件がある上での、作者の努力、想いを見つけて、比較してみる楽しさがある。
だから、車なんかだと、実は兄弟車とか、OEM車とかの比較が、とっても楽しい。決められたスケール、ディメンションでの勝負。
そんな中で、自分で勝手に勝者を決めて、自分の相棒にする。
演劇も、新作よりもシェイクスピアが好きだったり、何度も再演されるものを楽しむのが好き。台本が決まっている中で、どこまで勝負されてるかが楽しい。そして再演されるには理由がある。
だから、レギュレーションがあまりない女性のファッションとかより、リクルートスーツの方が、こだわりを発見するのが楽しい。
そう、時計って、速くても、遅くてもいけなくて、見やすくなくちゃいけない、わかるようでなければ。それでいながら、表情をかえてくれる。

だから、好きなんだと思う…。
と、自分を分析してみる。
#szsb021
#seiko

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2022/02/24

あれだけ『イケナイ』と教わり、言われても

全てを否定するわけじゃない。

ただ、とても深い違和感を感じること、今戦争になろうとしている場所がある。
いや、もう、これは戦争の始まり。

小学校の時から戦争はいけないと教わり、

夏になれば戦争の記憶を後世に伝える…などと言うコンテンツが盛んに世の中に流れて

明らかに戦争はいけないと言う概念を僕らが持っていて、

おそらく他の国の多くの方々もそうであろう。

そして今の僕らは戦争を経験してない人が大多数になった。

しかし、戦争の残響とすれば、僕の存在自体もそんな歴史的背景があるわけであって、
実際には、戦争を否定する強い言葉の数々に、
それを発する人が差別をすることに辟易している部分も感覚として持って来ていた。

戦時中の国際結婚と言うものの名残が、
昭和40年代生まれの混血児である僕にも外見として残っているわけで、
その点に関しては、一人、多くの時間を割いて教えられたことを、さらに考えてきている自負がある。

多くの日本人は、戦争を願わない。
そんな願わない状況に他国がなろうとする今、
首を突っ込みすぎるのも良くない。
だが、あまりに他人事すぎるのもどうかと思う。

これでは、戦争はいけないと教えられた子供たちからすれば、矛盾を覚えるだろう。

でも他の所ではやってもいいんだ…。
なんで止めないの?
どっちを応援しているの?

そんな正直な感想になってしまうだろう。それこそ大人な部分なのかもしれない。

子供達に教えたことを、大人が実践できないようでは…。

はたまた、教えてきた事が、綺麗事であるならば、それは教育と言う名の美辞麗句になってしまう。

教育は、絵に描いた餅か?

教えていること、教えられ出来たこと、それを実践出来る日本社会である事を願うばかり。

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2022/01/13

読解力…国語教育

今日は、小学校で先生をやってきた水曜日。

国語の大切さを、感じる。

でも、それは大人の世界での方が多い。

国語教育が、言葉の教育…だけではないと言うことを自覚しないとならないと感じている。
善意の広告になんちゃらかんちゃらクレームをつける方々は、広告の主張する『本質』を分からないから。

これは読解力の問題。

どんな名作だろうと言葉尻捕まえれば批判出来るだろう。でも、それは本質じゃないよね。

例えば、こう言うやつ。
東急電鉄のマナー広告。
本質以外を突っ込んだら、いくらでも、何でも批判出来ちゃうでしょう。

でも、その点で批判すべきは、この広告じゃーない。

読解力です。
読解力の欠如はなはだしいから、
批判出来ちゃう方々がいらっしゃる。

東急電鉄「車内で化粧はみっともない」 啓発広告に賛否両論の嵐 j-cast.com/2016/10/262817… #マナー問題 #化粧 #東急電鉄 @jcast_newsより

『これは、何を1番に伝えようとしているのか』
小学校2年生の国語で学び、
主語述語、そこには、1つの正しい答えと言うものがあります。
その順序をちゃんと学ばなければ、

共通の認識を共有する『言語』の意味がなくなる。
都合良く自分勝手に理解しちゃうのは、読解力の欠如の端的な現象だと思われる…。

つまり、単語や事象側面のみを捉えて批判するのは、お門違いと言うこと。

戦争映画だって、絵の端っこで死にゆく人にもドラマがあるわけで、
そこ話始めたら、趣旨が違っちゃう。つまりは、どこにフォーカスするか。

フォーカスされている点を読み解く読解力が疎かになっていると感じる。国語教育の責任だなぁ。

もっと、言葉には『正解』があること、
正しい読み解き方があること、
それを教えないと、自由な解釈をし過ぎると、言語ではなくなってしまうのだから。


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2022/01/06

開けまして…


2022年が始まりました。

どんな時の切替え、節目を過ごされましたでしょうか。

昨年は、私、
春より新しい環境に身を置かせて頂き、
新しい事にも向かい合い、
小学校二年生の子供たちと、言葉をいっぱい交わし、言葉を楽しんでもらい、覚えて、使ってもらう…と言う作業を、
小学校で毎週、取り組んできました。

このコロナ禍でも、子供達は、イキイキしていて、教わることもいっぱいでした。
さらに、
現役の先生や、校長先生から教わる事も多く、新鮮な言葉への発見もいっぱいありました。

この経験からの、まとめは、今年、春を過ぎてから、ようやく出来るのかなと。
そして表に出せるのかなと。
そう思っています。

今の社会、日本だけでなく、世界的な視点の上で、また春が訪れるのは、いつになるのか…。
それは、誰にも分からない事だとは思いますが、その春の訪れを1日でも早くむかえるために、日々で来る事は、やって行こうと。

そう思っております。

本年も、どうぞ宜しくお願い致します。

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2021/10/25

働き方、間違いな、新しい働き方


大前提として、日本が強かった時の働き方、それを否定しておいて、日本の競争力が下がった…。その議論が、不毛だと思う。

日本には、日本人の気質に合った、日本らしい働き方があって、そうなっている時に水を得た魚になれるわけだと思う。
だから、今の新しい働き方を前提にして、いくら議論しても、解決の糸口が見えない。
シンプルにそう思う。

日本は『組織』が大好き。それは僕も。
その組織愛というものが、強さにも繋がっていたと思うのです。
会社と言う組織も、その組織愛を受けて、互いに強くなって行く。
ドラマでも、そう言うのが流行る。
そして美徳、美談として語られる。

なのに、現実では、その組織からの解放ばかりが叫ばれ、そこベースで語る事が、新しい働き方と…。

例えばヒーロー、
アメリカだと一匹狼がヒーローになる傾向が顕著なわけだけど、
日本だと、団結をまとめた人がヒーローになりやすい。

日本は、団結する事に強さがある。
団結と言うのは、組織でないと出来ない。

その組織は、個の集団。

組織が個を、個が組織を頼らない傾向に持って行くことをが新しい働き方…と言っているように過ぎないと思う。

確かに、いままでとは違うけれども、
だから、『新しい』ではない。
新しくとも、合ってない働き方では、競争力は落ちる。

日本の競争力が落ちた…と言われ始めた時と、新しい働き方が叫ばれ始めた時期は符合する。

そこを考えず、『新しい』=『良い』と思ってしまう節、そのまま垂れ流すのは、どうなんだろうか。

その個について、価値観という尺度、教えている教育。
今の教育では、『新しい働き方』に見合うような価値観は教えていないし、
それは日本には、日本人には合っていない。

日本には、日本人らしい美徳があるわけで、
それを教えられてきた個が、チカラを発揮しやすい働き方。

それって、新しい働き方が叫ばれ始める以前のスタイルなんではないかなと。
そこの細かい環境を良い方向にと変えて行くことが、
それこそ、新しい働き方で、日本が強みを発揮する『仕事』が出来る社会なんではなかろうか。


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2021/09/30

金属発見

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最近、『金属発見』を子供らと遊びにしている。すると、
そこから社会と言うものを、子供達も学べること、重宝している。

社会生活を成立させる上でのインフラ、それはすべて金属が関わると言っても過言ではない。

これから人類と地球が共生していくにあたって、とにかく第一に考えなくてはならない資源の再利用と言う観点。

経済活動によってモノを生み出すためには、必ずや資源が必要であり、それを地球に依存している我々にとっては、
一度使ったものがまた資源として再利用できると言う事、
つまりは、資源、そのものを生産すると言う、その理念と実践のために、
頑張っている会社もある。

ただ、無闇にリサイクル=環境に良い…ではない。石油系の連産品に関しては、判断が分かれるところだろう。

このコロナ禍ゆえ、我が家の近所の散策のみでも、子供らと、金属発見の散歩は楽しい。
ベンチは、子供達が
お気に入りとして、新たに発見したポイント。
また、日々の生活の中で、金属との出会いと、感謝を発見すること、子供らは学んできている。


灯り、つまり電気も、金属がなければならないし、ガスも届かない。

生きるために必要な水つまり水道だって金属がその通り道を作り、運んでくれている。

ゴミ捨て時にも、子供らと、金属ガラスプラスチックゲームなるタイトルのもと、ゲームを。

こうすることで、材質や資源のことに真剣に向き合って考えている。なぜなら勝敗がかかっているから。

他にも色々発見した金属は、
Instagramで。
ほんと色々あるものだ。
そして、美しい。
ありがとう、金属。
 

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2021/08/29

責任の発生、判断すること。

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どこかで、任せっきりだった学校への責任は、

この状況下では、ようやく家庭側の責任の比重が上昇し、判断を求められて、判断に責任が生まれる。

でも、そこからコロナに対する対策は、違った尺度になるかも知れない。
 
先日のNack5、
レディオファントム
でも、取り上げましたが、

小学校、登校にするか、自宅学習にするかの自由判断、
未だに我が家は結論出ず、なおかつ、幼稚園からも、同じ提案。

姉妹揃って、家で結論を出さねばと。

保護者の多くから、『どうします?』の連絡。みんな迷ってるなぁ。自己責任の判断。

各家庭の状況により、判断も変われば、必然と結論が決まっている場合もあると思われる。

でも、コロナを前にした環境、
それを任せっきりだった学校、
いざとなれば、学校の責任だったものが、
大きく変わった瞬間が、
この一週間だったのではないだろうか。

さあ、どうする。

タブレット学習をする娘を前に、
カメラを弄り、
そして便箋に文字を走らせる。

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2021/06/07

違和感と言うのが、違和感に麻痺しているのか?

オリンピックはどうするんだ…
と言うようなニュース番組の後に
NHKを見れば、開催が前提の番組が流れていたりして、
そこに違和感を感じる僕ではあるけれども、
違和感を感じると言うレベル…であることが
そもそも違和感なのかもしれない。
何かが、麻痺してしまっているのではないかと、
反省してみる。

この感覚は、甘んじて受け入れているのか、
それとも、何かあきらめのようなものがあるのか…。

他の国から見たら、今の日本に住む人がどう見えているのだろうか…。

見え方を気にしているのではなく、
何かが麻痺しているのかを確かめたい感覚。


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2021/05/11

一年間

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陽射しが夏に近付いてきてる。
今年2021の夏は、
オリンピックの夏になるのか、
それとも…。
昨年の夏前も、同じ事を想った。
一年後も同じになるとは、この一年、何をしてたのか…。

あ、Gotoとか、してたか。

何のための時間だったのか。

自らの利益のために一生懸命になるのは
悪いこととは思わないが、
その代償として、他の命を差し出す…
命が消えてしまうようリスクならば、
それは善とは程遠い。

国を動かす代表者達に、その意識が希薄なのは、
なんとも悲しい。

一年間、なんだったのかなぁ。

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適材適所

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適材適所は、そうでない時にそのことからありがたみをとても実感する。

この段ボールを分解する前、
子供たちが課題で、
カッターを使っていたので、
僕は段ボールはハサミで分解。

いつも使っているカッターナイフ…。
それががないだけで、
日常の中に潜んでいるストレスは、
一気に姿を現した。

きりにくぅ!
なんでこんな時間かかる?

センターの長辺が大変。

かといって、
破り開ける豪快さは持ち合わせていない。

豪快は、松竹梅の日本酒で十分だ。

やっぱりカッターってありがたいなぁ…。

その感覚を思い出しながら、
段ボールを分解する。

適材適所を噛み締める瞬間。

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2021/05/04

人、すくなっ!

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果たして、この状況が
良いのか悪いのか…。

人がこもっている…ではなく、
出かけているから、街が静かなのか…。

正解はわからないが、

近所を街中散歩。

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2021/04/26

楽しくさ

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なんだかさ、
映画『ダーディ グランパ』って
粋だね〜。

カッコイイったらありゃしない。

この終わり方、
これっくらいか、肩肘張ってなくて、
『頑張りました』がなくて、
良いんだなあ。

今日は運動スクール。
『頑張って』
じゃなくて、楽しくやってて、
鉄棒が出来るようになってる。

これがいいんよ。

今日はX-Pro3やら、
XT-4で。

そして公園にも。

自粛って疲れない方法も見つけられると思うんだけどなぁ。

狭い思考に陥ってしまっていなければ。

そりゃ、大変は大変だけど、
諦めたら、『仕方ないじゃん』と。

僕なんかとは、レベルが違う方々もいるだろうけど、
詰めるとこは詰めて、それを楽しめる思考も必要なんではないかと。

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2021/04/25

ついにKAIがやりやがった!

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刃物好き、いや、カミソリ好きな僕ではあるが、
これまで、何度か書いたが、
カミソリだけは、
日本は、シックとジレット に、なかなか
そり味で勝てていないと。

包丁は、KAIの関孫六を揃えるほどに、
貝印好きな僕だけど、
カミソリだけは、
シックとジレット に次いでのポジションだった。

それが最近、出張でカミソリを忘れた時、
ホテルの使い捨てカミソリが、
リニューアルしてる事に気づいた。

まぁ、忘れてしまっているしこれを使うしかないか…。

そんな感覚でホテルのアメニティーのカミソリを使ってみたらあら不思議、とても気持ち良いではないか。そしてしっかりと剃れている。

気のせいだと、思った。

念のため、自宅に持ち帰り、自宅でも使ってみた。

いや、これは、気のせいなんかではない。

貝印の3枚刃、
凄く進化、進歩している。
しかも、使い捨てが!!

市販モデルならば、何になるのだろうか。

これは、もっとチェックせねばならんな。

ついにやってくれた。
KAIが。

岡田眞善としては、とっても嬉しいのだ。


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2021/04/22

特別な音

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昼12時、
四ツ谷駅に降り立つ。

外に出た瞬間に、祝福の音かのような、
イグナチオ教会の鳴り止まぬ鐘の音。

幼少期にも聞いたであろう、鐘の音。

始まるんだなと。

そんな事を感じ、噛み締めながら。

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2021/04/20

睡眠オーダー

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宇都宮から帰宅したら、手紙が。

早く寝て欲しいオーダーなのだろう。
鬼滅の刃の、手鬼がいるという脅し。
『なので』が『なのれ』に。(笑)
5歳にしては、なかなかやるな!
つばきめ、よく書いたな。
でも君は母親と寝てる…。

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緊急事態

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緊急事態って、
緊急な事態の時のこと。
僕はそう認識していた。

赤色灯を回してサイレン鳴らし、
緊急走行するパトカーや、救急車。

あれは緊急に走行しているからこそ、
緊急速報と言うのではなかろうか。

緊急走行するかどうか…。
それを検討、議論した上で、
ようやく急いで走っていたら、
緊急?
そならないんじゃないのではないだろうか。
それを『検討』する時間があるなら、
それが『緊急』と言う概念、
そこにあてはまるのか…。
僕にはよくわからなくなってしまった。

宣言?
で、僕らは??

街を見て欲しい。

多くの、ほとんどの人が対応してる。

それを、偉い…人達、
わかりましょう。

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2021/04/17

イブ6プラスもありがとう

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いっぱいのメール、
イブ6プラスへもありがとう。
嬉しいものです。

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2021/04/16

新しき相棒

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そして、今宵の相棒

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2021/04/15

久しぶりの

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雨の中の武蔵小杉。

久しぶりの再会に話しはずむ。

仕事の話、そして現状の生活、生きて行くための話。

ほんとは、もっともっと話し続けていたかったけど、そこは我慢。
いや、前向きに盃を止める。

やはり、人は少ない。

その一部になれていたら良いなと。

早めに帰路に。

早く帰れば良いと言う話ではなく、
何より罹らないように。

そこ一コマになるために。

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2021/04/14

武蔵小杉も人少なく

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武蔵小杉も、駅に降り立ち、人の少なさを実感する。
そして、灯りのついてるマンションの部屋が多いことも。

さ、あともう少し。

今宵は帰れば、X-Pro3も待っている。

この写真は、X70で。

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人の少なさ、社会の強さ

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生放送を終え、宇都宮、オリオン通りにも、人は少ない。
そして、数は上昇してきているが、
東京、頑張ってるなぁ。

駅もほとんど人がいない。
一部なんだよ。
ほんと一部なんだよなぁ。きっと。

そこが、どうにかならないかなぁ。
色んな駅で、ガラガラ。
大多数の、人の、社会の強さを感じる。

そんな21時台。

さ、東京を跨いで行きますか。

多摩川を超えて。

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2021/04/12

授業参観

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コロナ禍の授業参観。
一年で別人のように。

親もアップデートしなきゃと感じた。
一年生だった昨年から、
二年生への進化は、想像以上だった。

僕のハーレーは、チャンスあると、アップデートしてるんだけど、
僕自身が子への認識のアップデートをせずに、
一年と言う時間を経過させていたのだと、
痛烈なる膝蹴りをくらったよう。

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2021/04/11

参ります…。

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遊び…とは、
楽しいことなはず。
しかし、最近の遊びは、
楽しい…ではなく、
腰にくる。
しかし、幸せであることは間違いないはずだが…。

普段、子供の世話をしてる方々は、
ほんと凄いと思う。

こちらも、楽しい遊びを模索する。
今日は、X-Pro2で。
そこに定番のxf23f2.0で。

X-Pro3になるのは、いつだ〜!と
想像しながら。

今日は、日曜日であり、ゾロ目の日である…。

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2021/04/09

人の印象というのは…。

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イブ6プラス、
ご覧下さいました皆さん
ご視聴感謝。
人に対するイメージとは変化するもの。
それを体験した、今日のプログラム。
そしてゲスト。

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2021/04/08

人生で二度しか…REGAL

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もう25年以上履いているREGALのNo.2504。
何度底を張り替えしたか…。そろそろ、人生最後のNo.2504を買うべきか…。いつでも、ピカピカだが…。REGALの同じモデルの靴は、人生で最初と最後の二度買う事しか出来ない相棒。
#REGAL
#リーガル

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